The Deprived (5) 「……というわけで、しばらくジュール隊長はこちらで議長と行動を共にすることになった。隊のことは、一切をきみに任せるとのことだ」 議長直属の秘書官だというそのしかつめらしい顔の男から淡々とそう告げられたとき、ディアッカはぽかんと口を開けたまま、返す言葉を失った。 「……宜しく頼む、ディアッカ・エルスマン」 ヴィジフォンが切られそうになったそのとき、ディアッカはようやく我に返ると叫んだ。 「ちょっ、ちょっと待って下さいよ!……それって、どういうことなんですか?何が何だか自分にはさっぱり……隊長が……いったい何で議長と――」 「詳細は伝えるわけにはいかないが、極秘の任務だ。了解してくれたまえ」 ……って、言ったって、そんな、急に……。 「あ、あの、じゃあ……せめて隊長からこちらに直接説明するように伝えて下さいよ。……ずっと連絡も取れないままだし――」 ――このままじゃ、納得できねーよ。何なんだ、いったい……。 「残念だが、それはできない。ジュール隊長は極秘任務に携わっているため、外部の誰とも連絡は取れないことになっている。議長の命令だ」 「はあ?」 ディアッカがさらに何か言おうとする前に、 「では、連絡は以上だ」 その一言とともに、回線は一方的に切れた。 「……あっ、おいっ……!」 スクリーンが暗くなり、ディアッカは呆然とその場に立ち尽くした。 「……くそっ……!」 彼は舌打ちすると、ブーツの踵で床を軽く蹴った。 (……イザーク……どうなっちまったんだよ?) ズボンのポケットに入っている緊急連絡用の個人通信機を取り出すと、再度いじってみる。無駄とわかっていても、そうせずにはいられなかった。 案の定、相手側は受信不可と出る。 否応なしに不安と焦燥が募る。 ――極秘の任務……だと? 何だよ。個人的に呼び出しておいていきなりそれはないだろうが。 本当に、そうなのか。 疑念を覚えずにはいられない。 (議長が……) 『議長』という言葉に引っかかりを感じて仕方がなかった。 いや、そんな馬鹿なことがあるはずがない。 抱きかけた疑念を振り払うようにいったん頭を強く振ってみる。 仮にもプラントの最高評議会の議長たる人が、そんな個人的感情で部下を動かすはずがないではないか。 しかし、そう思いたいのに、なぜだろう。 どうしても下賎な想像に捉われてしまうのは。 あの人の、イザークを見たときのあの目。いつかのあの光景が頭の片隅にちらついて、離れない。 (そんなはず……ないよな) イザーク……せめて、あいつの声を一言聞ければこんなに不安を感じなくて済むのに。 ディアッカは深い溜め息を吐いた。 こんな悶々とする心を抱えたまま、ここであいつの帰りを待っているわけにはいかない。 いや、第一、あいつは本当に帰ってくるのかどうか。……そんなことすら、定かではない。いや、何が起こっても不思議ではない。何とでも理由はつけられるだろう。たとえば、任務遂行中に『不慮の事故』が起こってしまう場合もある……。 そう……それは、あり得ないことではない。そう思うと、ぞっとした。 彼は目を上げると、光の消えたスクリーンを睨みつけた。 自分のすべきことは、わかっている。 愚かだと蔑まれようが、構わない。 任務放棄で処分を受けることなど恐れてはいなかった。 あいつの無事な姿をこの目で見届けることができるなら。『大丈夫だ』というあいつの声をこの耳でじかに聞くことができるなら。 それさえ、確かめることができればそれでいい。 彼はひそかに決意を固めた。 ノックの返事も待たずに、足早に部屋に入ってきたハイネ・ヴェステンフルスを、ギルバート・デュランダルは物憂げに見た。 長い豪奢なバスローブにくるんだ体を、長椅子にゆったりと沈め、その片手には朱色のワイングラスが揺れている。 ハイネは傍までやってくると、慣れた挙措で彼の隣に遠慮なく腰を下ろした。 「……飲むか?」 ギルバートは声をかけると、前の小卓の上に置かれていたワインボトルに手を伸ばした。 「いや、いいですよ。とても飲みたい気分じゃない」 ハイネはそう断ると、椅子の背に頭をもたせかけ、軽く息を吐いた。 「……どうした?憂鬱そうだな。何か、不満かね」 ギルバートが横から射るような視線を投げた。空いた手の指先がハイネの首筋を摘むように撫でた。 「……彼を、抱いたのか?」 その一言に、ハイネは驚き、そして同時に怒ったような瞳をギルバートに向けた。 「……イザークを?俺が?」 彼はギルバートの手を振り払うと、体を起こし、まともに相手と顔を合わせた。 ギルバートは面白そうにそんな彼を眺める。 そのいかにも人をからかうような視線が、少し癇に障った。 「冗談じゃない。……俺はあなたとは違いますよ!」 彼は思わず声を高めた。突然、湧き上がった怒りの衝動が彼を突き動かすかのように、口が勝手に動いた。 「あなたのように……あんな……あんな風に彼を虐めたり、辱めたりするつもりはない……!」 「そう怒鳴るな。頭が痛くなる」 ギルバートは笑っていなすと、手に持っていたワインを一気に飲み干した。飲み干すと、いったん空になったグラスを見つめる。その口元に皮肉な笑みが浮かんだ。 「そうか……私は、そんなに虐めていたか。彼を……」 ――そうだな。それは、否めない。 あれがまともなセックスではなかったことは、自分が一番良く知っている。 吐息を吐くと、そのままグラスを卓に戻す。その指先の優雅な動きを、ハイネは放心したように眺めていた。 (俺は……俺はギルに、何てことを……) 衝動に駆られてのこととはいえ、言ってはならないことを口に出してしまったような気がして、何となく落ち着かない気分になった。 (どうしてあんな風に、ギルに怒鳴ったりしたんだろう) 我ながらおとなげない反応だったように感じて、彼は少し居心地悪げに視線を落とした。 しかし、ギルバートは別段気を悪くした様子も見せずに、相変わらずハイネにゆったりとした微笑を向けた。 「……抱きたいと思っているように見えたのだが、違うのか。――意外だったな」 彼はふっと息を吐いた。その瞳が探るように、ハイネの顔を覗き込む。 「……本当は抱きたいのではないのかね?」 ――正直に言ってごらん。 まるで小さな子供に話しかけるかのような口調だった。 「ギル……」 ハイネは戸惑った。 ――この人は、本当に戯言を言うのが好きだ。 それは前からわかってはいるものの……。 なぜか今、その問いに答えるのは気が進まなかった。 イザーク・ジュールか……。 確かに……正直に言うと、自分は彼に心魅かれている。 さらに、抱きたいかと聞かれると…… 「……抱きたい」 ふと言葉が口からこぼれ落ちた。 「――って思ったのは、否定しませんけど……」 でも……だからと言って……。 即座に抱くことなど、できるわけもない。 「俺は、立場をわきまえてますから。これでも、一応は」 そう言うと、憮然と顔をそむけた。 自分でも答えになっていないような答えだなとひそかに苦笑する。 ――抱きたいのだろう? ――そうだ、抱きたい。 たった一言、そう言えばいいだけなのに。 そんな彼の心の内を見透かすかのように―― 「抱きたいなら、抱けばいい」 ギルバートが素っ気なく言い放った。彼は椅子に再び身を預けると、静かに瞳を閉じた。 「……あれは、『魔物』だな」 口元が不思議な微笑を湛えた。 ――危険なほどに、人を魅惑する。 一度あの体に触れてしまうと、他のことは何も考えられなくなる。ただ、恍惚とした快楽と陶酔の波の中に溺れる。溺れて、二度と浮き上がってこれなくなってしまうかと思うほどに……。 「きみも、味わってみればいい」 ギルバートの言葉に、ハイネはぞくりと身が震えるのを感じた。 ――戯言を……。 なぜ、そんなことを言う? 俺は、あなたのようには…… 忽ち、嫌悪感が湧き上がる。しかし、同時に抗いがたいほどの誘惑に捉えられていくもう一人の自分がいる。 ハイネは頭を振った。 くそっ……! この人といると、自分までおかしくなってしまいそうだ。 「……しかし、なぜこんなことを……?」 ハイネは改めて問いかけた。 アスラン・ザラ。 その名は何度もギルバートの口から聞かされた。この状況下での彼の重要性もわかってはいる。それでも……イザーク・ジュールの存在を利用して、アスランにそこまでプレッシャーをかけることができるのか。本当に。 彼にはまだよくわからなかった。 アスラン・ザラとイザーク・ジュール。 この二人はいったい何なんだ。 「……何度も言ったろう。これは単なる個人的感情の問題ではないのだと」 ギルバートが答えた。 わかっている。それは確かにこれまでも幾度も聞いた答えだ。 しかし……。やはり思わずにはいられない。 「でも、あなたはアスラン・ザラを、個人的感情で動かそうとしている」 それが、良いのか悪いのか。自分にはわからない。 こんなことに意味があるのか。 「人は個人的感情で動く生き物なのだよ。最終的にはね。だからこそ、つけいる隙がある」 歴史も最後の瞬間で変わることがある。 それは、この世のあらゆる事象も、結局は人という感情を持つ生き物によって動かされているに過ぎないからだ。 「だからこそ、今、私にはイザークが必要なのだ」 イザークが…… いや、アスラン・ザラの力が必要だから。 そして、そう言いながらも、内心自分自身もイザークの体に溺れていることを微かに自覚せざるを得なかった。 冷たい微笑が、ギルバートの唇を僅かに歪めた。 ハイネは目を閉じた。 (狂っている) どこかで……何かが壊れていく音が聞こえるかのようだった。 どうして……なのか。 彼は答えのない闇に沈んでいく自分を感じ、漠然とした恐怖に身を竦ませた。 そんな彼の頬にギルバートの手がそっと触れた。 はっと気付くと、すぐ目の前にギルバートの顔が迫っていた。 「ギル……っ……!」 非難するような目を向けるハイネを無視して、ギルバートの唇がその頬に軽くくちづけた。 電流が走るかのような軽い刺激が全身を駆け抜けた。 「……久し振りに、私に抱かれてみないか。ヘル・ヴェステンフルス」 返事をするまでもなく、既に彼の体は長椅子の上に押し倒されていた。 「……強引だな。あなたは……」 ハイネは思わず苦笑した。 今夜は、何だか特に……。 いつものように、冗談めかして逃げてしまうことも、どうやらできそうになくて。 あなたとは、二度と体を重ねることはないと思っていたのに……。 これは……どういう魔力に捉えられてしまったものか。 知らず知らずのうちに、巧妙に仕組まれた罠に嵌ってしまったかのように……。 今夜は拒めそうにない。 もはや抗う気もなく、彼はそのまま相手の唇を受け容れた。 (To be continued...) |