The Deprived (6)





「……参ったな」
 廊下を歩くハイネの口元から深い吐息が洩れる。
(しようのない人だ……ったく)
 久し振りのギルとのセックスは、彼をひどく消耗させた。
 ギルバートの抱き方は、予想していたほどには攻撃的ではなかったものの、やはり通常よりは度を越えた激しさを伴っており、時に逃げ出したい衝動に駆られるくらい、彼をひどく不安定な状態にした。
 しかし――
(……きっと、あの人がイザークにしたセックスは、こんなものではなかったろう)
 あの無数の赤痣を伴う、いかにも蹂躙された跡を残していた彼の体の様子を思い返すと、厭わしさにぞくりと悪寒が走った。
 それでも……。
 なぜか、そのとき――
 恐怖と苦痛に怯えながら震える瞳の中で、なおも輝きを失わないあの青い光の瞬きが、不意に脳裏に甦った。
 あの空を映すような、眩いほどに鮮やかな青い色が……。
 なぜだろう。思い出すだけで、こんなにも心を揺さぶられる。
 今、無性にあの瞳の色を見たくてたまらない。
 そう思うと、彼の足は自然とイザークのいる部屋へと向かっていた。
 
 
 ロックを外し、そっと扉を開いた。
 しんと静まり変えった部屋の中に、扉が床に擦れる鈍い音だけが響く。
 体を滑り込ませると、彼は素早く扉を閉めた。背後にセンサーキーを向けて自動ロックする。ピッ、と施錠を知らせる電子音が響く。我ながら嫌な響きだと思ったが、止むを得ない。
 相手はやはり、ザフトの隊長級の軍人なのだ。油断すると、逃げられる。
 そしてこんな状況に陥ってしまった以上、もはや簡単に逃がすわけにはいかないだろう。彼は既に、ギルバート・デュランダルの懐の奥に深く入りすぎた。ギルバートにもそれはわかっている。だからこそ――
(彼を、逃がすなよ)
 先ほど、ギルバートがふと洩らした言葉を思い出す。
 ――彼を、逃すな。
 警告と脅しを含んだその低い声音の響きが、ハイネを威圧した。
 ――逃がすな。
 まるで囚人監視の役目だな、俺は。……いや、実際にその通りなのだが。
 囚人――という言葉を使いたくはないが、イザークが事実上、この邸内に監禁状態にあることは間違いないわけで。たとえ最高評議会議長といえども、本人の意志に反して、特に何の理由もないままにこのように一箇所に留めておくことはできない。しかもここは議長の私邸ではないか。こんなことが外部に知れたら……。
 表向きは公務という名目を使うらしいが、ジュール隊の中で、議長の私邸から戻らぬまま連絡も取れなくなってしまった隊長の行方について不審に思う者が出てこないだろうか。
(……ギルは、本当のところイザークをどうするつもりなのか)
 ただ目的のために利用するだけなら、必要以上に彼を虐めることもないだろうに。
 なぜ、あそこまで……。
 彼の瞳の奥に潜む、あの妄執を帯びた輝きの色を目にするにつけ、恐ろしくてたまらなくなる。
(くそっ……俺はいつまで同じことを考えている?)
 そんなことを今さら考えても仕方ないではないか。このように事実上、ギルのしようとしていることの片棒を担がされている自分も既にギルと同罪だ。
 ハイネは軽く頭を振ると、意識を現実に引き戻した。
 部屋の中をさっと見回しながら、イザークの姿を探す。が――
 ハイネはあっと息を飲んだ。
「……………?」
 どうしたことか、イザークの姿がどこにも見当たらない。
 ハイネは慌てた。
 少しぼんやりしすぎていた。現実の状況がすぐには把握できず、彼は混乱した。
(どこへ、行った?)
「イザーク?」
 素早く窓に目を向けるが、無論開けられた形跡はない。そもそも特殊加工された厚い強化ガラスが素手でそう簡単に割れる筈もないのだが。
 かたん。
 ……と微かな音が聞こえたような気がして、ハイネは振り返った。
 バスルームのドアの隙間が僅かに開いている。
(……そこか……?)
 バスルームへ入ると、シャワーカーテンの向こうで影が揺れていた。
「おい?」
 カーテンに手をかけた瞬間――
 突然カーテンが下から大きくめくれ上がり、そこから飛び出してきた手に胸倉を掴まれた。
「あっ……!」
 彼は平衡を崩し、バスタブの中へつんのめった。頭上を銀色の髪が舞うのが目に入った。
「イザークっ……!」
 狭いバスタブの中に転がり込んだ拍子に、角に頭をぶつけて目の前が暗くなりかけた。
(くそっ……!)
 浮き上がった足を下ろし、体勢を立て直そうとするその前に、背後から巻きついてきた腕に体を一気に締めつけられ、身動きができなくなった。
 僅かにタブの表面に付着している水滴がじとりと尻を濡らした。
 相手の吐く荒い呼吸がすぐ耳元で生々しく感じ取れた。
「……キーを渡せ」
 相手の要求に対して、ハイネはちっと舌打ちした。
(やりやがったな……)
 十分予想できたことの筈なのに、それでもこのように見事にしてやられた自分が情けない。
 要らぬ妄想に気を取られすぎていたせいかもしれないな、とふと自嘲の思いに駆られた。
「……早くしろ!」
 苛々とした口調。
 せっつくように、両腕に込められた力も強くなる。
 相手も相当焦っているようだな、と彼は少し唇の端を緩めた。計画性があるようで、ない。殆ど衝動で事を起こしているような気配すら窺える。
 キーを手に入れ、この部屋から出たとしても、そこから先のことを、こいつは本当に考えているのか。
 普段から常に厳重な警備が敷かれているプラント最高評議会議長の私邸から、そう簡単に出られるわけもないだろうが。
 しかし……それだけ、必死なのだ。彼なりに。
 当然だろう。命の危険とまではいかぬまでも、いきなりあのような酷い辱めを受けて、訳もわからぬまま一室に監禁された状態で……これから先どうなるのか全くわからない。しかも理由はどうあれ、この邸の主のあの狂気じみた欲望に満ちた瞳をひとたび覗き見れば、今後も同じような目に会わされるだろうことは容易に想像がつく。
 恐怖と不安に煽られ、誰でも一刻も早く逃げ出したいと思う筈だ。
 そう考えると、彼の必死で脱出しようとする健気な努力がいじらしくも思えた。
「わかったよ。……その右ポケットの中だ」
 目でズボンの下を示す。
 相手は慎重な動作で片手を彼の体から外し、ゆっくりと指し示されたズボンのポケットへと移動させた。
 その指がポケットの中から、小さなセンサーキーを探り出したのを横目で見たとき、ハイネは一気に全身に力を入れ、押さえつけていた相手の腕を振り解いた。
 キーに気を取られ、力が緩みかけていた相手の腕は呆気なく離れた。
「このっ……!」
 離れた相手の体を逆に押さえつけようとするが、狭いバスタブの中では動きづらく、どうも効率が悪い。衣服が既に水滴で湿気て肌にべたりと付着する。そんな湿気た体を互いに密着させながら、相手の息遣いを間近に感じつつ、そのまま押さえ込もうとすると、ふと何か怪しい衝動が襲いかけるのを感じる。
(馬鹿!何考えてるんだ、俺は……!)
 こんなときに……。
 邪念を追い払うように、目の前の白い顔から僅かに目をそむけた。
 そのとき、頭上から突然勢いよくシャワーが降りかかってきた。
 顔面にまともに冷たい水を浴びて、ハイネがひるんだ隙に、イザークはその腕から体をもぎ離し、敏捷にバスタブから躍り出ていた。
「待てよ!」
 全身に浴びた水を振り払いながら、ハイネもその後を追う。
 バスルームから出て、部屋の扉のすぐ前でキーを弄ろうとしていたイザークの体を、背後から捉えた。
「……放せ……っ……!」
 抵抗するイザークを抑えようとするが、相手も強硬だった。止むなく、拳を握る。
「いい加減にしろっ……!」
 ハイネに顔面を殴られ、その勢いでイザークの体は床に吹っ飛んだ。
 衝撃にくらくらする頭を押さえながらも、彼は何とか素早く身を起こした。
「……やったな、貴様っ……!」
 顔を上げると、屈辱に燃える青い瞳がぎらぎらとハイネを睨みつけた。
「貴様……っ……!」
 殴られた頬が、沸き立つ怒りとともに真っ赤に紅潮していくその生き生きとした表情が、逆にハイネには新鮮だった。
 ――この表情(かお)。
 彼は一瞬、相手の顔に見入った。
 イザークの内に息づくその生命力が、生き生きと感じられる瞬間。
 ――怒りを美しさに変えることができるなんて。
 ハイネは思わず笑った。
 面白い奴だ。こいつは……。
 そんなハイネの笑みが、自分を馬鹿にしているように感じられて、イザークはさらに怒りを募らせた。
「舐めるなよ!」
 そう怒鳴るとイザークはハイネに躍りかかった。
 イザークの拳が、今度はハイネを打つ。床に尻をついたハイネの上にイザークが乗りかかり、二人はしばし取っ組み合った。
(やっぱ、女の子じゃないもんなあ)
 ハイネは相手の力の強さを肌で感じながら、ひそかに苦笑した。
 ギルに組み伏されていたイメージがあまりに強くて、彼に倒錯的感情を入れ込みすぎていたようだ。
(白服なんだもんな。一応――)
 やはり、強い。華奢に見えても、筋力はしっかりついているし、こうして実際に組み合ってみると、軍人としての日々の鍛錬の跡も十分窺える。
 今さらながら、同性としての相手を意識した。
(……なんて、呑気なこと考えてる場合じゃねーか)
 少々厄介なことになりそうだ。しかし、逃がすわけにはいかない。
 抑えようとする腕の中からするりとすり抜けていく相手の体を追いかける。
 相手の手の中には、キーがある。
 ハイネは忌々しげに逃げていく背を睨んだ。
(あんまり、乱暴はしたくないんだが……)
 彼は息を吸い込んだ。
 止むを得ない。
 懐にひそかに隠し持っていた小型銃を引き出すと、躊躇いなく引き金を引いた。
「………………!」
 一瞬で声もなく、その場に崩折れていくイザークの体をすかさず駆け寄り、後ろから受け止める。
「……イザーク」
 瞳を閉じ、ただ突然の衝撃と痛みに僅かに引き歪んだその秀麗な面を覗き込むと、ハイネはやはり胸の奥に痛みを覚えずにはおれなかった。
 ――自分はなぜ、こんなことをしているのか。
 そのときふと、頭の中にそんな疑問が湧いた。
 ギルに言われたからか。ただ、それだけのために、こんなことを……。
 なぜ……
 手から離れた麻酔銃が床に落ちる無機質な音が響く。しかし彼はそれを拾おうとしないばかりか、一瞥さえしなかった。
 彼の視線はただ一心に、自分の腕の中にぐったりと意識を失ったまま抱かれている青年だけに注がれていた。
 その美しい銀色の髪をそっと指で掻き分けながら、躊躇いがちにくちづけてみる。
 髪の先についていた水滴が、唇を濡らした。
 それを舌先で舐め取ると、さらに髪の毛の先を舌でなぞった。目を閉じて、細い柔らかな髪の毛の先が舌を撫でていくその感触だけをゆっくりと味わった。
 しばしそんな恍惚感に浸ったあと、彼はようやく唇を離し、瞳を開けた。
(抱きたいのだろう?)
 どこか遠くから、からかうようなあのギルの声が聞こえてくるような気がした。
(……そうだな……)
 ――抱いてみたいな。
 心からそう思った。
 自分でも変態っぽいな、と苦笑しながら、ハイネは壊れ物を扱うかのようにそっと彼を抱き上げ、ベッドまで運んだ。

                                          (To be continued...)


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