The Deprived (7)





 体がだるく、頭の中がぼんやりと白む。
「……う……」
 呻く声も声になっていない。ただ、喘ぐような乱れた呼吸音だけが荒々しく耳を打つ。
(あ……)
 身を動かそうとして、突然気付いた。
 自分の手足を縛めるものの存在を。
「………………!」
 イザークは青ざめた。
 必死に体を振りほどこうともがくが、ベッドの枠に繋がれた金属の枷がしっかりと鎖でその四肢を固定していた。
(……なんで……こんな……ッ……!)
 彼は湧き上がる怒りと屈辱的な感情に全身を震わせた。
 信じられない。こんなこと……。
 これではまるで……
 本当に、自分は……
 ――囚人。
 その言葉が思い浮かんだ途端、また一段と屈辱的な気分で一杯になった。
 囚人……いや、それ以上に酷い扱いを受けている。
 こんなこと……
 彼のプライドが、自分の置かれている状況を受け容れることを激しく拒んだ。
(嫌だ……!)
 彼は狂ったようにベッドの上で身をのたうちまわらせた。鎖ごと引きちぎらんとするような激しい動きに、ベッドのスプリングが悲鳴を上げる。
(くそっ、くそっ……くそっ……!)
 こんなもの……!
 手首や足首に走る鈍い痛みにも、いつしか何も感じられなくなっていた。
 情けなくて、涙が出そうだった。
 ――嫌だ……
 こんな自分は、あまりに……惨めすぎる。
 誰が自分にこんなことをする……。誰にもこんなことをする権利はないはずなのに……。
 こんな、こと……!
(ディアッカ……)
 無意識に見慣れた顔を探そうとしていた。いるはずもない者の姿を虚空に追う。
 ――何でおまえ、今ここにいないんだよ……!
 いつも鬱陶しいほど、近くにいるくせに。
 ……あいつ、俺がこんな目に会っているなんて、きっと思いもしないんだろうな。
 だって、普通思うか。
 いくら警戒しろと言ったって、一個小隊の隊長が理由もなくいきなり議長の私邸でこんな……。
 本当に涙が零れそうだった。
 馬鹿だ、俺は……!
 イザークは目をきつく閉じ、歯を喰いしばった。弱気になれば、ますます惨めになるだけだというのに……。
 弱気を振り払うように、さらに手足を強く引っ張る。鎖がじゃらじゃらと嫌な音を響かせた。それがまた神経を苛立たせる。
 手足が引き千切れてしまうか、鎖が切れるのが先か……イザークは皮肉な笑みを浮かべた。
 構うものか。手足が裂けたって、こんな目に会わされるくらいなら……
 彼はさらに全身に力を加えた。
「何やってんだよ!」
 そのとき、不意にハイネの声が頭上から突き抜けるように響いた。
「こら、やめろって!」
 力強い腕がイザークの暴れる体を押さえつけた。
「……触る……なっ……!」
 その力に対して、イザークはますます体を捩り、抗う力を強める。
「そーいう風に暴れるから、縛っとかなきゃならなくなるんだろうが!」
 ハイネは叩きつけるように言うと、イザークの体の上へ乗りかかった。自分の全体重を乗せ、ようやく相手の体の動きを止める。
(このじゃじゃ馬が!)
 膝頭で下半身を押さえつけ、手で両腕をシーツに縫いつけた。
 ぐっ、と呻きながらもイザークはのしかかってくるハイネを強い瞳で睨みつけた。
「……ったく、なんだよ、その目は……!」
 ハイネは苦笑した。
(勝気なお嬢さんだなあ)
 しかし、このような目で見られると、余計に……。
 ――なんか、そそられちまう。
 欲情に一気に火がついたかのようだった。
 ぞくぞくと興奮した感情の波が胸の奥底から湧き上がってくる。
 ――このまま、犯してしまおうか。
 ふとそう思った。
 すると急に矢も楯もたまらなくなり……
 その瞬間、彼の理性は弾け飛んだ。
 衝動に突き動かされるかのように、彼はイザークの顔に自分の顔を近づけると、押しつけるように素早く唇を重ねた。
「……ん……ッ……!」
 驚きに目を見開いたイザークを尻目に、乱暴に歯列を割りながら舌を口内に伸ばし、嫌がる相手の舌をたやすく絡め取る。そのまま相手の口内をやや荒っぽく犯した。
 苦しげに首を振って唇を離そうとするイザークを押さえ込むように、顔をさらに押しつけ、息もつかさぬようなディープキスを強要する。
 唾液が絡まり、口端からたらたらと流れ落ちていくと、イザークの白い項を艶かしく濡らした。
 苦しさに目尻に涙を滲ませるその青い瞳の色がちらと視界に入ったとき、ハイネははっと我に返って唇を離した。
 途端に相手がはあはあと息を荒げ、苦しげな呼吸を繰り返すのがわかった。
(……しまった。つい……)
 ハイネは己自身興奮した息を吐き出しながらも、何とか自制心を取り戻した。
 顔をそむけ、ぐったりとした相手の体にかけた手の力を緩めると、その青ざめた表情を見て自分がたった今したことを思い起こし、ひどい自己嫌悪を覚えた。
 喘ぐ唇の端を湿す唾液には、先ほどの行為で口内のどこかを傷つけたのか、血がうっすらと滲んでいる。自分がしたものか、彼自身によるものなのかはわからなかったが、それがさらに蛮行の跡を強調しているようで、何となく罰の悪い気分になった。
 ――これじゃあ、本当にギルと変わりない。
 彼は忌々しげに瞳を閉じた。
(傷つけたくないのにな……)
 ……そう思いつつ、自嘲の笑みが浮かぶ。
 ――この、偽善者め。
 はっきり認めたらどうだ。……本当はどうにかなってしまいそうなくらい、こいつを抱いてしまいたくて仕方がない、暗い欲望に身を染める乱れた己自身がいることを。
 イザーク……
 その名を胸の中で呟き、その腕の下に捉えた彼の柔らかな肌の感触を意識するだけで、もうこんなに体中が興奮し、異常なほどに動悸が高まる。
 その手がゆっくりと白い肌の谷間を撫でるように滑り、シャツの下をくぐっていく。
 相手の体がびくんと反応する。
 乳首を摘むとさらに体が軽く痙攣するように動いた。
 喘ぐ息遣いの合間に、微かな声が淫らな響きを加え、ハイネの耳をじとりと犯した。
「……ったく、ちょっと触っただけで……。よっぽど感じやすい体なんだな、おまえって」
 呆れたように呟きながらも、再び湧き上がってくるむらむらとした抗いがたいその衝動に捉えられていくのを感じていた。
「……なあ、このまま、抱いてもいいか」
 ハイネはイザークの耳元で囁くように息を吹きかけた。返事を待つまでに、ぺろりとその耳朶を舐める。柔らかな触感が舌先から欲情を倍加させるかのようだった。
(ああ……ダメだ。俺、こんなに変態じみた奴だったっけ?)
 ハイネは内心苦笑したが、舌は這わせたまま、どうしても離すことができない。
 じんじんと体の内奥が疼く。体温がどんどん上昇していくかのようで……このままでは本当に気が遠くなりそうだった。
「……な……に……を……っ……」
 イザークはハイネの舌から逃れようと軽く体を捩ってみせたが、それはただ耳元から項へと滑り下りただけだった。
(……あ……っ……)
 イザーク自身の意志に反して、体は悔しいほど素直にその愛撫を嬉々として受け容れている。
 ズボンを引き下ろし、既に堅く勃ち上がったそれを空いた手で掴むと、ハイネはからかうように笑った。
「ここだって、こんなに感じちゃっててさ……」
 軽く指先で扱くと、先端から蜜がこぼれ出た。
 ――ほら、こんなにはちきれんばかりだ。
「……認めろよ。おまえ、俺に感じてるだろ。ほんとはこのまま俺に抱かれたいんだろう……?」
 少し意地悪にも聞こえるそんな問いを甘い声で囁く。
 イザークはそれでも力なく首を振った。感応する自分の体を、意地でも否定するかのように。しかし、その薄桃色に上気した頬と、艶めき濡れそぼる瞳は、ハイネの言った言葉を全て肯定しているも同然だった。
「……意地っ張りだなあ」
 ハイネはくすりと笑い、相手のものを持つ手に軽く力を込めた。直接的な刺激を受けて、ぷるぷると肉塊が震えた。
「あ……やっ……め……!」
 後は言葉にならなかった。
 その淫らに上がった声が、ハイネの神経をますます興奮させた。
 自分の理性が、どうにも制御不能な段階まで達してしまったことを朧気ながら感じ取っていた。
(……抱きたい……!)
 強い欲望の波がハイネの全身を満たし、一向に引いていく気配を見せない。それどころか、感情は高まるばかりだ。
「抱かせてくれよ……イザーク」
 もう、虐めないから。
 ハイネの表情が緩んだ。
 愛しいものに向けて一心に注がれる、優しい光を閃かせる瞳。
 優しく抱いてやる……。
 ……たとえ、この先二度と俺と寝ることがなくなったとしても、それでも……おまえが一生忘れられなくなっちまうような……
 これまでにおまえを抱いた奴が何人いたとしても。
 この先おまえを抱く奴がどれだけたくさんいようとも。
 そして――
 いつかおまえの記憶から俺の存在が塵のように消え去っちまう、そんな日がきたとしても、おまえの体に刻み込まれたこの一つ一つの舌や肌の触れ合う感触は、永遠に俺を忘れない……。
 ――なあ、そんなセックスをしよう。
「なあ、イザーク……」
 指を絡ませながら、甘い吐息を吐く。
 そのとき、イザークがその手を押し返した。
 鎖の擦れる音がした。
「……そのまえに――これを外さんか……」
 弱々しいながらも、相変わらずの命令調に、ハイネは思わず苦笑した。
 しかし、同時にそんな風に突っ張る相手がいとしくてたまらなくなる。突っぱねるような言葉を放ちながらも、ほんのりと頬を赤く染めて息を乱しているその様子が、かえって欲情をそそり立てる。
 彼は一瞬、自分を抑えるかのように、軽く息を吐き出してから答えた。
「そうだな。足くらいは外しといた方がいいか」
「両方……だ!」
「だめだ。足だけ」
 ――だって、そっちは開かなきゃ、なんないからさ。
 悪趣味な思考に、我ながらくすりと笑いが洩れる。
「……冗談――言うな……」
 イザークはむすっと顔をそむけた。
 その顎をくいと掴んで、無理にその顔を自分の方へ向けさせる。
 視線が、ぶつかった。
「……抱くぞ、ほんとに」
 ハイネは真剣な目で、相手の青い瞳を突き刺すように覗き込んだ。
 片手を下肢に伸ばし、尻ポケットから取り出したセンサーキーを素早くイザークの足枷に向けた。
 ぴっ……という電子音とともに、金属の輪が外れた。
 キーがそのまま床に転がり落ちていく音が聞こえたような気がしたが、もはやハイネは一顧だにしなかった。
 もどかしい指先で熱く疼く自らの下半身を解放する。
 固い先端が突き当たる気配を僅かに感じた途端に、イザークは思わず自由になった足を動かしそこから逃れようと試みたが、それより先に素早く両足を掬い上げられた。
「……やっ……」
 イザークは僅かに抗ってみせたが、それも結局はほんの少しの間のことで、いつしか彼の体はハイネの腕に抱かれるがままになっていた。
 諦めただけなのか。それとも……。
 少しは自分に抱かれる気になってくれたのか。
 いつのまにか、こんなに相手の感情を気にしている自分が不思議だった。
 相手がどう思おうが、無理にでも抱いて自分の欲望を吐き出しちまえば、それで終わるはずなのに。
 でも、俺は……。
(そうじゃない)
 ハイネは頭を振った。
(俺は……)
 ――ただ抱くだけでは、意味がない。
(こいつの心を、捉えたい)
 いつのまにか、そんな子供じみた独占欲が、彼の心の片隅に生じ始めていた。
 俺だけを映すアイスブルーの瞳。
 俺だけを感じていて欲しい。

 俺だけを……
 
 自分がこんなに我儘だったとは思わなかった。
 ハイネは苦笑した。
 しかし……
 もはや思いは止まらない。
 喰い入るように真っ直ぐ見つめてくるその青い瞳に吸い込まれそうになりながら、ハイネは再び彼にくちづけた。
 今度は、優しくそっと……互いに蜜を舐めとるように舌先同士を触れ合わせる……。
 その僅かな接触が、心地よさを煽った。
「……おまえの中に、入ってもいいか?」
 潤んだ瞳が肯定しているのか、否定しているのかはっきりとわからぬまま、ハイネは相手の体の中に自分の体をゆっくりと沈めていった。
 
                                          (To be continued...)

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