The Deprived (9) ――体が、熱い。 天井を眺めながら、イザークは燃えるような吐息を吐き出す。 まだ、体が興奮から覚めきっていない。 シャワーも済ませ、こびりついた汗や飛散した白い体液も全て綺麗に洗い流してしまったはずなのに。 それでもなお、腹の中が熱く、あの内壁がぬめる感覚が離れない。 相手の息遣いや零れ落ちる液体を啜る卑猥な音が未だに耳元に残っている。 ……あれから、何度も抱かれ続けた。 抱かれるたび、いつしか体が悦びの味を覚え、理性とは裏腹に、さらなる刺激を求めて、もっともっとと相手にねだるようになった。 それに応えて、相手の体が貪るように自分の体に絡みつき、その深奥まで犯していくのがわかった。 制止しようとする心は、快楽を求める本能に押し流され、吹き荒ぶ欲情の嵐が歯止めもきかぬままに、彼の白い肢体を侵食していった。 時間感覚はとうになくなっていた。 頭の奥が白く霞み、ただ相手の熱い欲望に幾度も貫かれ、そのたびに全身が快楽と苦痛に打ち震えた。 彼に抱かれていることに慣れすぎて、自分の体に回された力強いその腕から離れることができなくなっている自分がいた。 なぜ、こんなに……。 魅入られてしまったのか。 あの男に……? 「ハイネ……」 呟いて、イザークはハッと口を押さえた。 (何で、あいつの名を……) 自然とその名を呼んでしまったことに驚きを感じながら、彼は恥じ入るようにシーツに顔を埋めた。 自分でもわからない。 自分がなぜあんなにも淫靡で乱れた肢体を相手の前に晒してしまったのかが。 (もっと、早く出会いたかったな……) そんなハイネの微かな呟きを聞き取ったとき、イザークは複雑な思いに捉われた。 (もっと早く……) 出会えていたら…… 何かが、変わっていたのだろうか。 本当に、そうなのだろうか。 ――かちり、とドアが開く音がした。 人の入ってくる気配。 「……ハイネ……?」 ベッドから身を起こし、その人物の姿を認めた瞬間、イザークの全身に忽ち緊張が走った。 長く黒い髪に鋭く煌くルビー色の瞳。 「……議長……!」 彼はベッドの上で、僅かに身を引いた。 イザークの前に立つと、ギルバート・デュランダルはふと目を細めて微笑した。いつものように、スクリーンを通して見る公的な柔らかな表情がその顔を覆っているが、今となってはそれが本心かどうかはわからない。それだけに、微笑を見れば余計に警戒心が強まる。 「……ハイネを待っていたのかね」 ギルバートはおかしそうに笑った。 「……私の知らない間に、えらくきみたちは仲良くなってしまったようだな」 その視線が舐めるようにイザークの開いた胸の間を一瞥した。 ほんのりと色ずんだ肌が、艶かしく情事の跡を物語っているのを、嗅ぎ取られはしなかっただろうか。 イザークは思わず居心地悪げに胸の襟を合わせ、肌の露出部を隠した。 「……しかし残念だが、もう彼はここには来ないよ」 ギルバートが言うと、イザークは僅かに顔色を変えた。 「……え……っ……?」 自分でも驚くくらいに動揺しているのがわかった。 (あいつが……ハイネが……) ――もう、会えない…… そういうことなのか? (そんな……) 彼は自分の高ぶる感情の漣を必死で止めようとした。 ギルバートの前で、ハイネとの関係を示唆するような言動は一切取りたくなかった。 しかし、ギルバートの鋭い視線は、既にそうした彼の心の動きを全て見透かしているかのようだった。 ひとしきりイザークの反応を窺うと、ギルバートはそれ以上ハイネの件については何も言及せず、話題をさらりと切り替えた。 「……イザーク。きみにはこれから私たちと一緒に地球へ行ってもらうことになる」 真面目な表情でそう言ったギルバートを前に、イザークは瞠目した。 「……ちょっ、ちょっと待って下さい。それは……」 あまりに思いがけない言葉に、彼は困惑した。 地球へ……? 議長と一緒に……? なぜ…… 「それは……ジュール隊を……ということでありますか……?」 答えはわかっているような気がしたが、それでも一応そう問わずにはいられなかった。 そうでなければ理屈に合わない。 いや、既に理に合わないことをされているのだから、今さらそのようなことを言っても無意味なのだろうが。 案の定、ギルバートは冷やかに首を振った。 「いや、わたしに必要なのはジュール隊ではなく、きみ個人だ。きみにだけついてきてもらえば、よい」 「しかし、それでは、隊が……!」 それにそもそもなぜ、一個小隊の隊長がプラント代表と行動を共にしなければならないのか。 不可解なことが多すぎる。 自分が『イザーク・ジュール』だから……なのか。 母の影が脳裏をよぎる。 自分はやはり特別視されているのだろうか。 だから、あの軍事法廷でも彼はあんなに擁護され、今こんな特別な地位につけてもらえたとでもいうのか。 そう考えると、ひどく自分が惨めに思えて、気持ちが沈んだ。 「ジュール隊のことは気にしなくてもいい。きみがいない間はきみの友人の、あの……何といったか……ああ、そうだ。エルスマン。……ディアッカ・エルスマンがジュール隊を取りしきるように指示しておいた」 ディアッカに……。 その名が出た途端、懐かしさに胸が震えた。 「……あっ、その……それではわたしがもう一度直接、彼に話して――」 「その必要はない」 有無をいわせぬ一言に遮られ、イザークはあえなく言葉を潰えさせた。 「……地球には、アスラン・ザラがいる」 ギルバートの言葉に、イザークは再び目を上げた。 (アスラン……?) その名に、どきりとした。 なぜ、今ここでアスランの名が出るのか。 そういえば、初めてここに呼び出されたときも、議長はアスランのことを何か言っていたなと、イザークは不思議な思いでギルバートを見つめた。 「彼は、『フェイス』になった」 え……と、イザークは思わず目を見開く。 『フェイス』……では、彼はやはりザフトに戻ったのか。そんなこと、何も聞いていない。 「わたしが、任命したのだよ。きみたちが再会したあの後すぐに」 ギルバートはふっと笑った。穏やかな笑み。一見、何も他意はなさそうに見える。 (議長……) では、自分たちと同じように、アスランをも議長は受け容れたのだ。 ――信じて、いいのか。 イザークは迷った。 「……彼も決意を固めてくれたので、わたしも彼に賭けてみようと思った。あれだけの力を持った人材を無にしたくはないのでね」 ふと思い出した。 再会したあのとき、墓地で自分がアスランに言った言葉を。 (……だから、おまえも何かしろ) (おまえには、力がある) (それほどの力、無駄にする気か?) アスラン……。 ――それでは、おまえは本当に俺たちのところへ戻ってきたのだな。 胸の鼓動が速まった。 そんな彼の様子を瞬きもせずに見守るギルバートの瞳の奥に微かに謎めいた光が閃いていることにイザークは気付かなかった。 彼はただ、アスランがザフトに戻ったということで胸がいっぱいになっていたのだ。 「……ただ、彼はまだオーブに……というより、以前のあの地球軍にいた仲間とまだこだわりがあるようでね」 表情を曇らせたギルバートを見て、イザークは不審気に首を傾げた。 「地球軍の……?」 というと、まさかあの……。 胸の奥がちりちりと焼けつくような、微かな痛み。 まさか……。 ずっと忘れていたのに……。 今はもう消えたはずの、傷が疼く。 彼は思わず片手で顔を押さえた。 ――ストライク…… (……キラ……!) アスランの嬉しそうな声が頭の中に響いた。 キラ…… キラ・ヤマト……か……? くらくらと目眩がするようだった。 アスランが、キラを……? 「大丈夫かね?」 気付くと、すぐ目の前でギルバートの顔がこちらを覗き込んでいた。 「あ……その……」 イザークは顔から手を離すと、幻を振り払うように強く頭を振った。 「……アスランが、そんな……」 声が掠れているのがわかった。 駄目だ。動揺を隠すことができない。 まだ、自分はこだわっているのか。 そのことに、苛立ちを感じた。 ギルバートはイザークの傍に腰を下ろすと、宥めるようにその肩に手を置いた。 「気持ちはわかるよ。わたしもアスランの決意を大事にしたいとは思うのだがね。わたしにはわからない、いろいろなしがらみがあるようなので、どうにも口の出しようがない。その点、きみの方が彼のことについてはよくわかっているだろうし、アスランに会って聞いてもらいたいこともあるのだ。きみになら、彼も本音をいうかもしれないしね」 そう、きみになら……。 ――アスラン・ザラ。 ギルバートの瞳がきらりと光った。 彼を手中に収めることは、大いに意義がある。 アークエンジェル。 キラ・ヤマト。 ラクス・クライン。 キーになる存在が、彼に深く関わっている。 しかし、一筋縄ではいかないだろう。 彼はそう単純ではない。簡単に自分の言う通りに動くような人間ではないだろう。自分の意図はいずれ、見抜かれる可能性がある。そうなると、計画は台無しだ。 ギルバートは軽く溜め息を吐いた。 改めて横にいる銀髪の青年を見た。 アスランと彼の関係は明らかだ。 しかし本当に彼がアスランの緩衝材となるのか、どうか。 彼は自分のしようとしていることが、ふと滑稽に思えて唇の端を緩めた。 論理的思考ではないな。 しかし…… (人間は、感情で動く生き物……) そう言ったのは、自分だ。 現に彼を見ていると、自分も流されそうになる。 危ういものだ。 彼は苦笑した。 銀色の髪に、透けるようなアイス・ブルーの瞳が、自分を誘う。 彼を手に入れたのは、いろいろな意味で幸運だった。 ギルバートは目を細めた。 「……まあ、察してくれたまえ。きみを一緒に連れて行く理由を」 ギルバートはそう言うと、イザークの頬に手を触れた。 途端に、相手がぴくりと体を震わせるのがわかった。 (怯えている……) なぜかその感触が心地よい。ぞくりとする冷えた悦びが一瞬全身を電流のように駆け巡る。 そんな自分にギルバートは苦笑した。 「……おや、すっかり嫌われてしまったようだな。まだわたしが怖いか?」 顎を軽く持ち上げ、自分の方へ向けさせると、からかうようにその瞳を覗き込んだ。 イザークは震撼した。 彼に触れられると、どうしてもこの間のあのひどい性行為を思い起こして、体が過剰に反応してしまう。 「……あ……っ……!」 イザークは反射的に相手の手を払いのけようとしたが、逆にその手を掴まれ、動きを封じられた。 「……もう少し、楽しませてほしいのだがね」 にやりと笑うその瞳には、明らかな欲望の焔が滾っていた。 「……わたしは、あなた……とは、もう……」 (……あなたとは、そういう関係を結びたくはない) そう、言いたかった。しかし―― 震えを帯びた声は、途中で力なくかき消えた。 「わたしには抱かれたくないと言いたいのか?それはあんまりだな」 ――まだ、逃さない。 その瞳が射るようにイザークを捉えた。 「きみの体は誰にでも開いてくれるのだと思っていたのだが」 ――おまえの体が、わたしを求めているのがわからないか。 ギルバートの舌がイザークの頬から耳朶をねっとりと舐めた。それだけでびくんと体がしなった。 思わず声を上げそうになり、唇をきつく噛んだ。 (体は、正直なものだな……) そうしたイザークの一つ一つの反応に対してますます高まる欲望のうねりを感じながら、ギルバートはゆっくりと舌先の愛撫を続けた。 なおも抗おうとする体を強くかき抱きながら、ベッドの上へ押し倒す。 「……や……めっ……!」 悲鳴を上げかけた唇は、ギルバートの唇によって瞬時に塞がれた。 舌先が荒々しく口内を犯していく。逃れようもない。 頭が白くなる。 ――議長……! ギルバートの腕に絡めとられた瞬間、自分が彼の虜囚であることを強く思い知らされた。 どんなに理屈をつけようとも、ギルバートが彼を不条理な方法で拘束していることに変わりはない。 (この人は、俺を犯して楽しんでいる……) そう思うと、彼は心から慄いた。 ギルバートの瞳が笑みを湛えて苦しげに歪むイザークの顔を凝視する。 愛しさや優しさの欠片もない、まさしくそれは征服者の目だった。 暗い絶望感が胸を覆っていく。 (……俺に……何をさせようとしているのか……この人は……) 唇がようやく解放されると、イザークは軽く咳き込みながらも、ギルバートをきっと睨みつけた。 「……あなたの……言う通りになど……なる……ものか……」 掠れた声が、ちゃんと相手の耳に届いたのかどうか。 (あなたは……アスランを……どうしようと……している……?) しかし、彼の真意がどうであれ、自分はその片棒を担ぐつもりはない。 たとえ…… アスランが、キラ・ヤマトの元へ走ることになろうとも。 微かな痛みを感じながらも、イザークは改めて自分自身に言い聞かせた。 今、目の前にあるこの悪意に満ちた酷薄な瞳を見ている限り……この暴君に従うことが正しいとは思えないのだ。 ――なぜ…… (この人の心は、こんなにも冷たく凍てついているのだろう……) こんなにも……奈落のように底知れぬ暗い闇に覆われた心が…… 「……残念だが、きみには選択権はない」 イザークの惑いを嘲笑うかのようなギルバートの無情な一言が、冷たく空気を震わせる。 イザークの背をかき抱くその手の指先が、痛いほど強く肌に喰い込んでくる。 ――逃れられない。 全身を駆ける冷たい恐怖に、じわりと汗が滲む。 (誰か……) 助けを呼びたかったが、声は出なかった。 また拷問のようなひとときを過ごさねばならないかと思うと身が凍るようだった。 (呼べよ……) そのとき、ふとその声が聞こえたような気がした。 (………………?) 彼は瞬いた。 (俺の名を、呼んでみろ……) 残響のようにこだまするその声を聞きながら、見えない姿を必死で追い求める。一縷の望みを抱いて伸ばされたその手の先が、ただ虚空を掴むだけだとわかってはいても。 (……ハイネ……) アスランと同じ翡翠の瞳。 でも、アスランとは違う色を湛えている。 それがわかった。 アスランとは違う。 でも、美しい緑の瞳の中には、自分を愛しむその優しい想いが満ちている。 不思議だった。 初めて、そのとき…… 彼は、自分の中に生まれつつあるそのハイネ・ヴェステンフルスに対する思いに気付いたのだった。 (To be continued...) |