ONE STEP TO HEAVEN
3 Angel Fears
「・・・そういうことか」
オルガはムルタ・アズラエルに視線を戻すと、改めて目の前の男を怒りに満ちた眼で睨みつけた。
「まさかブルーコスモスが、マフィアまがいの仕事まで請け負っているとは、思いもしなかった。・・・悪いが、俺はあんたらのゲームに参加するつもりはない。何と言おうと無駄なことだ」
(・・・なぜなら、俺は――)
と、オルガは心の中で続けた。
(俺は・・・クスリの怖さを、知っている)
彼は薬漬けになって狂乱のうちに死んでいった、ある人物の姿を思い起こしていた。
遠い日の、記憶・・・
『父さん!・・・父さん、やめてよ!やめて・・・!』
――銃声。
腹から血を流しながら横たわる、その小さな獣の姿。
それを見下ろしながら、ざまあみろ、と父は一言吐き出すように言った。
そして、狂ったように笑い続けた。
子犬を殺された怒りと悲しみでいっぱいになった少年は、抗議の声を上げようとしたが、父のその血走った眼差しに鬼気迫る凄惨な形相を前にして、思わず恐怖に慄き、口を閉ざした。
父の高笑いが、震える少年の耳の奥にいつまでも響き続ける・・・。
――畜生、何で今頃こんなことを思い出さなきゃならない・・・!
オルガは忌々しい記憶を振り払うかのように、即座に頭を振った。
そんな彼の姿を、アズラエルが舐めるように、見つめている。
「・・・そうですか。それは残念ですね。すぐに同意してもらえるかと期待していたのですが。――悪い話ではないと思うんですがね・・・」
「――ふざけるな!何が悪い話ではない、だ。
何かは知らないが、要するにおまえたちは何かの実験台として、俺を利用したいということなんだろう。
・・・どうも胡散臭すぎる。こんな風に正規の手続きも踏まず、裏でコソコソ動くというのが、いい証拠だ。
・・・冗談じゃない。俺はごめんだね。悪いがほかを当たるんだな!」
オルガが吐き捨てるように言うと、アズラエルは一瞬狡猾そうに目を細めた。
「ほう・・・なかなか勘がいいな。するとMS乗りも、案外馬鹿ばかりでもないということか」
その言葉は彼の自分自身に対する呟きであったため、オルガの耳までは届かなかった。
「・・・申し訳ありませんが、きみにはどうあっても同意してもらわなければならないんですよ」
アズラエルの言葉は丁寧であったが、その口調には明らかな威嚇が込められていた。
「力ずくで・・・ってことか。ブルーコスモスが過激な集団だとは知っていたが、ここまでヤクザな集団だとはね」
オルガはそう言いながら、背後の気配を感じて、素早く振り返った。
シャニがオルガの腕を背後から掴もうと手を伸ばしかけていた。
その手を、
「――俺に、触るな!」
一喝して、強い力で振り払う。
その力の強さに華奢な少年の体は一瞬均衡を崩して、あっけないほど弱々しく床に崩れ落ちる。
オルガはなぜか、動揺した。
そんなに力を入れたつもりはなかったのに、なぜこんなにも簡単に倒れてしまうのだ。
まるで、実体のない、亡霊か何かであるかのように、あまりにも脆弱なその体・・・。
オルガが手を振り払った瞬間に、その生命がすっとどこかへ抜け落ちてしまったかのように。
ナイトクラブで彼が暴力を振るったあの女でさえ、もう少し、肉体を打ったという感触があった。
彼は、不思議な感覚に捉えられながら、床にうずくまるその物体に向けて、おそるおそる手を伸ばした。
――と、その瞬間。
全く予想もつかない唐突さで、シャニの体が忽ち息を吹き返した。
あっと驚くオルガの体は、シャニの強い力に掴まれ、瞬く間に動きがとれなくなった。
シャニの体が身軽に反転し、起き上がりざま、掴んだオルガの体を物凄い力で床に叩きつけた。
「・・・うっ・・・!」
気付いたとき、オルガは既に全身を床に押さえつけられていた。
シャニの全体重が彼の体の上に強い負荷をかけて、乗りかかっている。
すぐ目の前に・・・少年の無邪気な笑顔がある。
「形勢逆転・・・だね。オルガ・サブナック」
シャニはさらりとそう言ってのけた。
吐く息がふっとオルガの耳にかかった。
そして、そのときオルガは気付いた。
これだけの動きをしておきながら、少年の呼吸が一糸たりとも乱れていないということに。
オルガは驚愕に目を瞠った。
(こいつ・・・?!)
なぜ・・・こんなに強い力が・・・?
こんなに華奢な体のどこにこれだけの力があるのか。
オルガは全身に力を入れ、何とかシャニの手から身をもぎ離そうと必死でもがいたが、強い力に押さえつけられ、全く自由にならない。
彼のパイロットとしての日々の鍛錬で鍛え上げてきた肉体。腕力にも絶対的な自信があった。
無論、最近の荒んだ生活の中で、体力が多少落ちていたことは否めないにしても、そうそう長年鍛えた頑丈な肉体がこのような華奢な少年にひけをとるとも思えない。
(しかし・・・こいつのこの力は、異常だ・・・!)
オルガは喘ぎながら、目の前の少年を鋭く睨んだ。
「おまえ・・・なんで・・・?!」
「驚いた?――強いだろう、オレ」
シャニは嬉しそうに言った。
瞳に妖しい光が揺らめいた。
紫と黄の、物語に出てくる妖精のような、魔力を秘めた瞳・・・オッド・アイ・・・。
それを見つめていると、まるで異空間に吸い込まれていくかのような幻覚が彼を襲いそうになる。
しかし、彼は敢えて妄想を振り払い、何とか正気を保った。
そう・・・この異常な力は、人工的につくりだされたものに他ならない。
この瞳に宿る僅かな濁り・・・これは、かつて父親の中に見たものと同じだ。
「まさか・・・おまえは・・・」
その恐ろしい考えに、オルガは思わず言葉に詰まった。
その先を言うのが恐い。
「そうだよ。こんなに強くなれたのも、これのお陰なんだ」
彼の右手がすっとどこかへ伸びたかと思うと、再びオルガの目の前に戻ってきた。
きらりと光る先端を持つものとともに。
「・・・や・・・めろ・・・!」
オルガは虚しく言葉を振り絞った。
しかし、抵抗することはできなかった。
抵抗するより早く、その針の先端が、彼の首筋に打ち込まれていたのだ。
「う・・・」
冷たい針の感触、鋭い痛み・・・あやしい液体が体内に注入されていくのがわかる。
(やめろ・・・!)
声が出ない。
突然、全身が大きく痙攣したかと思うと、彼の脳内で何かが白い閃光を放った。
目の前が真っ白になり・・・
そして、彼の意識はそこで、ぷつりと途絶えた。
(To be continued…)
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