ONE STEP TO HEAVEN
6 Demons Desire






 あれから、どれくらいの時間が――日が、過ぎたのだろう。
 既に時間感覚のかけらもない。
 全てが、混沌とした意識の中で、恐ろしいくらい淡々と流れ過ぎていく。
 そして、ただあるのは苦痛。
 体中を切り刻まれていくかのような、絶え間なく襲いかかる痛み。
 脳の中で絶えず、何かが爆発を起こしているかのような、一瞬のブラックアウト・・・そしてそれに続く激しい衝撃が全身を駆け巡る。
 自分が何か叫んでいるのに、なぜかその声は聞こえない。
 全ては音のない世界の海に沈んでいる。
 届かない声。
 そして、時折・・・いつもの顔――あのとり澄ました『死天使』の顔が、にやりと笑って同じ質問を繰り返す。
「・・・Yes or No?」
 彼は黙って首を振る。
 そしてまた・・・苦しみは続く。
 その繰り返しが、際限もなく繰り返されていく。
 
 
 ――どうして、俺はこんなに、こだわっているのかな。
 オルガはふと、思った。
 もともと、もう自分には何も残ってはいない。
 ここでこのままくたばってしまおうが、奴らの実験台にされて死のうが、変わりはない。
 なら、何で奴らの『ご親切な申し出』をこんなに頑なに拒む必要がある・・・?
 奴らは親切にも、全ての苦痛を取り払い、楽になれる方法を無料で提供してくれようとしているのではないか。
 その見返りはただひとつ、奴らの実験台としてこの体を差し出すだけ。
 そしてただMSに乗って戦う・・・。
 もともと自分は連合のパイロットだった。
 あの不運な事故が運命を狂わせるまでは・・・。
 どんな方法であろうと、もう一度空を飛べるということは歓迎すべきことではないか。

 なのに・・・
 何で、俺はこんなに抵抗するのかな。
 彼は苦笑した。
 ――何でだろうな・・・。
 何かイヤなんだ。
 こんな風になってまで、空を飛びたくない・・・。
 いくら人工的に体を改造しても、あの空を飛ぶときの・・・俺が好きだったあの感覚は、きっともう戻っては来ない。

 それが、わかっているから・・・
 だから・・・俺は、自分でも馬鹿だとは思いながらも、やっぱりここで奴らにノーと言い続ける。
(仕方ねえな・・・)
 ・・・彼は目を閉じた。
 
 
「このままでは、いずれ死んでしまいますよ」
 研究員が、アズラエルに言った。
「・・・もう、彼のことは、あきらめられた方がよろしいのでは・・・?」
「バカを言ってもらっては困りますよ!」
 すかさずアズラエルは男を叱責した。
「それを何とかするのがあなた方の役目でしょう。 ・・・いいですか。誰でもいいというわけじゃないんです。あの3体のMSはいくら人間の体を人工的に強化しても、誰にでもそうそう簡単に乗りこなせるというものじゃない。 今、連合軍の中であれだけのMSを自在に動かすことができる技能を持つパイロットが果たしてどれだけいることか・・・。 所詮我々ナチュラルは、奴らコーディネイターとは土台が違う。その点では圧倒的に不利なんですよ。 ・・・それに、他のパイロットを探し出すだけの時間的余裕もない。 オルガ・サブナックは、貴重な人材なんだ。絶対に手放すわけにはいかない。・・・何としても彼をMSに乗せる手を考えなさい! ――『このまま死なせてしまう』なんてとんでもないですよ・・・もしそのようなことになったら、あなた方にはそれなりの責任を取ってもらいます・・・わかりましたね」
「はっ、はあ・・・」
 研究員は青ざめながら、力なく頷いた。
「俺が、何とかしてあげるよ。アズラエル」
 そのとき、いつのまに室内に入ってきたのか、研究員の背後からすっとシャニが姿を見せた。
 アズラエルは、目を細めて彼を見た。
「・・・おや、シャニ・・・何か考えでもあるというんですか」
「さあ、ね。・・・でも、この人たちより、まだ俺の方が何とかできるんじゃないかな」
 シャニはうっすら微笑を浮かべて、ちらと傍で佇む男を見た。
 男は一瞬ぎくりと身をすくませたが、敢えて少年の視線から逃れるように顔を反対方向へそむけた。
「――まあ、好きなようにしてみなさい。ただ、あんまり、つまらないことは考えないようにね・・・誰にでも同じ嗜好があるわけじゃない」
 にやりと笑ってアズラエルがシャニを舐めるように見る。
 シャニはそのアズラエルの意味ありげな視線を無表情に受け止めた。

「わかってるよ。あいつはあんたとは、違う・・・」
 シャニはそう言うと、くるりと背を向けて部屋を出て行った。
 
 
 ――そういえば・・・
 オルガはふと思い出す。
 彼を一瞬、震わせたあの言葉を・・・
(・・・俺は、母さんに、殺されたんだ・・・)
 あれは、どういう意味だったのだろう。
 ぼんやりとした頭で、あれこれ考えてみる。
 が、その瞬間・・・またもや『爆発』が起こった。
 目の前が真っ暗になる。
 思考が途切れた。
 何度目かのブラックアウト。



 ――次に意識を戻したとき、目の前に『奴』がいた。
 色違いの瞳を宝石のように闇の中に閃かせて・・・いかにも妖艶な表情を浮かべ・・・。
「・・・もう、そろそろ限界じゃないの・・・」
 その『生き物』は、彼の耳元で、ゆっくりと舐めるように言葉を囁きかけた。
「・・・苦しいだろう。楽にしてあげようか。――クスリを使わなくても、楽になる方法はあるんだよ・・・」
 少年が、彼の体の上に覆いかぶさってくるのがわかる。
 まるで・・・そう、女を抱いているような、柔らかな感触。
 一瞬、オルガは錯覚にとらわれた。
(・・・え、これは・・・?)
 体が反応しようとする。
 しかし、相手の唇が頬に触れかけたそのとき、彼ははっと我に返った。
「・・・よせっ!」
 彼は力を振り絞って、その『生き物』を自分の体の上から押しのけた。
「この野郎・・・!」
 そのまま、彼は必死で反転し、相手の体を床に押しつけた。
 驚くほど、相手の体からは抵抗を感じない。
 あっという間に形勢が逆転し、今度は仰向けになった少年の体の上に彼が乗りかかる格好になった。
 いつのまにかオルガの両手が、少年の喉を強く締めつけている。

 彼ははっと両手の力を緩めた。
 シャニは、少しむせて咳き込んだ。

 そんな彼を、オルガは激しく睨みつけた。
「・・・おまえっ!・・・おまえは・・・いったい、何考えてやがる・・・!どういう・・・つもりなんだ・・・!」
 シャニは、答えなかった。
 彼はただ黙ってこちらを見つめているだけだった。
 その彼の表情が、オルガの胸をなぜか深く衝いた。
(・・・何だ、こいつは・・・何だって、こんな目をして見やがる・・・?!)
 本当に、これじゃ、まるで――
 そう・・・母さんと、同じだ。
 あの日の・・・『あいつ』に殺されながら、微笑さえ浮かべて死んでいった母の、最後に彼を見たあの目・・・
 オルガは呻いた。
「・・・おまえは・・・何なんだ・・・?」
 それはついにオルガの口から音声となって迸り出た。
「――いいよ・・・殺してよ。母さんも、そうやって、俺を殺したんだから」
 シャニが乾いた声で、そう言った。
「俺は、間違って生まれてきたんだって・・・俺はこの世に存在してはいけなかった・・・全ては間違いだった・・・俺がいなくなれば、また幸せになれるって・・・また全てが元通りになるんだって・・・そう言ったんだ、あの人は・・・だから、俺は・・・」
(・・・殺されてもいい。あなたを、愛しているから・・・あなたのことはわかっているから・・・私はあなたを赦すことができる・・・)
(――私を殺して、あなたが満足するなら・・・幸せになれれば、それでいいの・・・)

(お父さんを恨まないで・・・私はいいの。これで幸せなんだから・・・)
 ――愛する者の手で、殺されようとしている者の目・・・。
 同じだ・・・。
(――母も、こいつも、同じだ・・・!)

 オルガは、息を吐いた。
 どうして・・・こんな奴がいる?
 オルガは、いつしか自分が声もなく泣いていることに、気付いていなかった。

(To be continued…)

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