ONE STEP TO HEAVEN
7 Compassion






「この子の髪は緑、瞳はスミレ色・・・そうね。そんな感じがいいわ」
 彼女は満足そうに頷く。
 白衣を着たアドヴァイザーが、てきぱきとフォームにその要望を打ち込んでいき、最後に終了ボタンを押す。
 申し込み受付シートがプリントアウトされて出てくる。
「では、こちらにサインをお願いします」
 ――なお、万が一、不測の事態が生じても、貴社に対しては一切責任は問いません。
 小さなフォントで最後の行に付加されたその一文にまで、彼女が丁寧に目を通していたかどうか。
 彼女は有頂天だった。
 ――これで、わたしの望む通りのかわいい子を手に入れることができる・・・!
 彼女は喜んで、同意書にサインした・・・。
 
 
 ――なぜ、母がそんなに自分におぞましい視線を送るのか・・・幼い彼には理解できなかった。
 ただ、自分が何か母の気の染まぬことをしてしまったのだと、自分自身を責めた。
 どうやらその原因が自分の色の違う目にあるのだということを、彼が朧気ながらに知ったのは、母が頻繁に連れてくる例の若い男と深夜に交わす会話を偶然洩れ聞いたときだった。
 
 
(・・・こんなつもりじゃなかったのよ。わたしはただ、きれいなスミレ色の瞳の坊やが欲しかっただけなの・・・なのに・・・あんな気持ちの悪い子ができてしまって・・・)
(ハハ、いいじゃない。きれいな子だよ、あの子は・・・。あなたによく似ている。あの瞳だって、悪くない。ああいうのが、今に流行りになるかもしれないよ)
(よしてよ!気味が悪い。あんな子、わたしの子じゃないわ・・・!全く、あの会社、訴えてやりたいわよ・・・!あんな失敗作、押し付けて・・・)

(まあ、そうひどいこと言わずにさ・・・何なら、あなたの代わりに、ぼくが面倒見てあげようか・・・?ぼくは結構気に入ってるんだ。あの子はきれいな子だからね、ほんとに・・・その辺の女よりよっぽどいいくらいだ・・・)
(あら、それ、どういう意味?)
(・・・やだな、冗談だよ!そんな目で睨むなって・・・キレイな顔が台無しだよ・・・)

 
 
 その数日後、不意に彼は背後から、抱きしめられた。
 『その男』に・・・。
 母親は外出していて留守だった。
 いつの間にかコンパートメントに入ってきたその男が、彼の後ろからいきなり抱きついたのだ。

 彼はいきなりのことに何が何だかわからず、一瞬身をすくませた。
「だ、誰・・・・?!」
 声を震わせる彼に、男はそっと囁いた。
「・・・心配すんなよ。俺だよ、俺。おまえの母さんの友だちだ」
「おじさん・・・?」
「ああ、そうだよ。いつものおじさんだ。・・・なあ、いいことしようぜ、坊や」
 そう言いながら、男はぎゅっとますますきつく彼を抱きしめる。
 全く身動きできないくらいに強く・・・。

「・・・痛いよ、離して・・・!」
 彼は突然わけのわからない恐怖に駆られて、男の手から逃れようともがいた。
 しかし、当然の如く無駄な抵抗だった。

「じっとしていろよ!・・・もうすぐ、気持ちよくしてやるからな」
 男がズボンのジッパーを下ろす音が聞こえる。
 幼い彼は、何が起ころうとしているのか理解できないままに、虚しく男の手に身を任せているよりほかなかった。
 
 
 何度そんな行為が繰り返されたことか。
 ある日、遂にその光景に出くわしたとき、母親はその場に凍りついた。
「・・・何て・・・ことなの、これは・・・!」
 母は目を大きく見開いたまま、悲鳴に近い声を上げた。
 その目が異様なまでに血走っているのがわかった。

 そこに映っていたのは、凄まじいまでの怒り、憎悪・・・そして、絶望か。
「・・・何て・・・何て恐ろしい子なの・・・!おまえは・・・」
 母がそんな自分の身内に高まる感情を一気に吐き出したのは、男にではなく、幼い自分の息子に向けてであった。
(・・・化け物だ・・・やはり、おまえは・・・!)

 母は男からは目をそらし、代わりに息子を一心に責めた。
 母は幼い息子を力いっぱい打った。
 彼が気を失うくらいに強く、激しく、何度も繰り返す・・・。

 男が何か叫んでいたが、彼の耳にはもはやその音声は届かなかった。
 最後に見たのは、目の前に迫る母の激しい憎悪に醜く歪む表情・・・。
 そして、喉に立てられた母の指の爪が強く喰い込んでいく感覚・・・。
(やめて・・・母さん・・・!)
(ごめんなさい、母さん・・・ぼくを・・・ぼくを、許して・・・!)
(もう、あんなこと、二度としないから・・・だから・・・)
(お願い、母さん・・・!)
 しかし、加えられた力は緩むことはなかった。
 あまりの痛みに悲鳴を上げようとしても、既に声は喉の下でかき消されてしまっている。
(・・・おまえなんか、死んでしまえばいい・・・!)
 激しい憎しみが渦を巻いて、幼い彼を一挙に飲み込んでしまおうとしていた・・・。

 
 
 気がついたとき、彼は病院のベッドの上にいた。
 親切そうなナースが、やさしく彼の額に手を当てた。
「大丈夫よ、坊や。もう、何も心配しないで・・・」
「・・・母さん・・・は・・・?」
 不思議なことに、それでもなお彼の口からはその人の名がこぼれた。
 ナースは哀れみの込もった眼差しで、そんな彼を見返した。
「・・・あなたのお母さんは・・・遠いところへ行くことになったの。病気を治しにね。・・・しばらく会えないわ。辛いだろうけど、我慢ね」
「・・・母さん・・・病気だったの・・・」
 彼は何となくホッとして、ぼんやりと呟いた。
 ――じゃあ、今までのことも、みんな、病気のせいだったのかな。
 ほんとはやさしい母さんのはずなんだ・・・。

 ナースは暗い微笑みを浮かべた。
「ええ・・・そうね。とても重い病気だったの・・・。早く良くなられるといいわね」
 彼はこくりと頷いた。
 
 
 ・・・母とはそれきり二度と会うことはなかった。
 風の便りに、母がどこかの病院に収容されたまま死んだと聞いたのはそれから数年が過ぎた後だった。
 そうして、僅か10歳にもならないうちに、彼は孤児になった。
 しかし、その頃には既に彼は、寂しさも哀しさも・・・恨みや憎しみさえ、全く感じなくなっていた。
 ――彼の感情は、とうに乾ききっていたのだ。
 
 
 何も面白いことのない毎日。
 全てが『ウザイ』・・・もう、何でもいい・・・そんな気分に陥り気味だった彼が、唯一興味を持ったのが、コンピューターオペレーション。
 やがて航空士官養成学校に入ったが、彼の専攻は最初は情報処理関係となるはずだった。

 しかし、なぜか実際には、彼は実戦シュミレーションの方で、高い才能を発揮した。
 ・・・チームプレイは最悪だったが、彼自身のパイロットとしての素質・技能は遥かに他の者より抜きん出ていた。

 そんな彼にある日、声をかけてきたのが、昔の男・・・あの母親のヒモだった例の男だった。
「よお・・・なんか、ますますキレイになったなあ、おまえ・・・」
 久し振りに街ですれ違ったとき、男は彼を上から下まで舐めるように見ると、そう言った。
 しかし、彼が鋭い視線を投げると、男は慌てて手を振った。
「いや、誤解するなよ・・・もう、あんなことするつもりはねえって・・・!おまえ、今、何やってるんだ?・・・あの女――おまえの母親は、どっかでイカレ死んじまったって聞いたけどな」
 男は肩をすくめた。
「だから、そう睨むなって・・・。俺はある意味、おまえの恩人でもあるんだぜ。あの時俺がいなかったら、おまえはあいつに縊り殺されてただろうからな。俺があいつを抑えて、瀕死のおまえを病院にまで連れて行ったんだからな。感謝してもらいたいぐらいだぜ!全く・・・」
 身勝手な男の言い草に、本来なら怒りをぶちまけてもいいくらいだが、彼は既にそのような感情からはすっかり遠くなっていた。
 だから、彼は何も答えなかった。
 
 ・・・そうして二回目に接触をとってきた男が、彼に紹介したのが、ブルーコスモスの盟主、ムルタ・アズラエルだったのだ。
 彼を新たなる異世界に引きずり込んだ男・・・。
 シャニ・アンドラスを、愛玩物とした男・・・。
 それでも、シャニには、特に不満はなかった。
 互いの利益の一致・・・ただそれだけだ。

 ムルタから、安全と快楽の世界を得る一方で、あの新型MS・・・フォビドゥンに乗って敵を撃ち落とせるだけ撃ち落とせばそれでいい。
 どれだけ面白い気晴らしになるだろうな。
 ぞくぞくする。

 こうしたことの、どこがいけない?
 何が間違っているというんだ?
 ――しかし・・・シャニは、次第に苛立ちを隠せなくなっていた。
 なぜか心がざわめく。
 落ち着かない。

 原因はただひとつ・・・
 あの男だ。
 オルガ・サブナック。
 あいつが、自分の心をかき乱す。
 なぜなのか・・・。
 あいつと話していると、乾ききったはずの感情が、なぜか再び波立ってくるような・・・妙な気分になってしまう。
 シャニは、深く息を吐き出した。
 ――オレ・・・ひょっとして、あいつが好きなのかな・・・?
 唇を近づけたときの、妙な胸のときめきを思い出して、彼はふとそんな風に思った。
 ビジネスライクではなく、何かもっと違う感情が自分の胸を揺さぶったような、そんな不思議な気持ちだった。

 ――馬鹿だな、オレ・・・何考えてんだ?!
 彼は、そんな自分の考えに、思わず声を出して笑った。
 ――こんな風に笑ったのは久し振りだな・・・
 彼の胸に複雑な思いが広がった。

                                    
 (To be continued…)

<<index        >>next