ONE STEP TO HEAVEN 8 Dreaming Embrace 「・・・シャニ!なにやってんだよ、おまえ。最近シュミレーションにこねえじゃんかよ」 シャニはその声に、顔を上げると目の前に立っている姿を見て、僅かに眉をひそめた。 ・・・ウザい奴がきた。 クロト・ブエルだ。もう一人のMSパイロット。 彼はこいつが、あまり好きではない。 うるさくて乱暴で、自分勝手な口のきき方をする。 こちらを見る目がいつも挑戦的で、どこか人を小馬鹿にしたようで・・・ 一言で言うと、『ウザい奴』。 だから、まともに口を聞いたことはない。 いつも適当に喋らせておく。 相手も承知の上で、好きなだけ話しては適当に切り上げて向こうへ行く。 必要なこと以外は、こちらから話しかけることはまずない。 もっとも、これは別にクロトに限ってのことではないが。 シャニ・アンドラスの他人への接し方は、誰に対してもそんな風であった。 ムルタ・アズラエルでさえ、例外ではない。 あくまでビジネスライクの関係だ。 いうならば、需要と供給。 互いの利益がたまたま一致して、現在の関係が成り立っている。 不満はない。 今のままで、彼は結構それなりに満足しているつもりだ。 しかし、クロト・ブエル・・・こいつについては、それ以上に閉口することが多い。 シュミレーションでのあの無茶苦茶ぶりがその最たるものだ。 標的に狙いを定めるが早いが、周囲の状況などまるで構っちゃいない。 平気で味方の機体を巻き込んで、がんがん撃ちまくる。 シャニも決して協調性があるわけではないが、こいつほど無茶なことはしていないつもりだ。 こいつの暴走ぶりは、傍にいると、時に本当に身の危険を感じてしまうことがあるほどだ。 ・・・はっきり言って敵にも味方にもしたくないタイプだった。 (けど、こいつとチームを組まなきゃならないんだ・・・) そう思うと、やはりうんざりする。 口を聞くのもうっとうしいが、共に味方同士として戦わねばならないかと思うとさらに憂鬱になる。 まあ、所詮『チームワーク』などという言葉が、アズラエルの口から出てくるとも思えないわけで・・・そんなことは別にどうでもよいのかもしれないが。 戦場に出れば、とにかく一機でも多く敵機を撃ち落とせば、それでいいのだろうから。 シャニはそんな思いを飲み込んで、黙ってクロトから離れていこうとした。 そんなシャニに、クロトがすかさずきつい視線を投げた。 「おい、シカトすんじゃねーよ。・・・わかってんだぜ。おまえ、あのオルガ・サブナックって奴に付きっきりなんだろ。 ムルタが言ってたぜ。おまえに任せりゃ早いうちにあいつの気も変わるだろうってな。 ・・・相変わらず淫売みてえな真似してんだな、おまえ。ムルタとだけじゃ足りねえのか。そんなにオルガって奴とやんのが気持ちいいのかよ!」 そのいかにも下品で、侮蔑的な言い方に、シャニは珍しくカッとなった。 いつもなら、何を言われようが黙って通り過ぎてしまうところが、今はなぜかそれができなかった。 何か・・・体の奥から熱いものが突然突き上げてくるような感覚。 彼はじろっと、クロトを睨んだ。 「・・・おまえ・・・うぜーんだよ。――消えろって!」 淡々とした口調に僅かながら怒気が込もっているのがわかる。 こんな風に、怒りを露わにしたのは、久し振りのような気がした。 言いながら、シャニは自分でも少し驚いていた。 一方、それを聞いた瞬間、クロトは呆気にとられたように目を丸くしたが、やがてぶっと吹き出した。 それがまた、妙に癇に障る笑い方だった。 「・・・あれ、そんな風に俺にまともに口きいてくれたの、初めてじゃない?へーえ・・・おまえでもそんな風に怒ること、あんだなあ。ハハッ、こりゃ、驚きだ。 いつもお人形さんみてえに顔色ひとつ変えねえ妙な奴だと思ってたけどな。新しい面、発見!だ。すげえな。それも奴の影響?・・・奴ってよっぽど――」 しかし、クロトはその台詞を最後まで続けることはできなかった。 その前に、シャニの手が彼の襟首を掴んでいたのだ。 あっという間もなく、クロトは乱暴に壁に押しつけられた。 「・・・なっ、何すんだよ!おまえ――」 シャニを睨みつけたクロトは、しかし相手の目を見て、その後の言葉を飲み込んだ。 シャニの色違いの瞳が異様なまでに激しい光を閃かせている。 いつものあの、何に対しても反応の少ない、乾いた瞳の色とは違う。 (・・・なんだ、こいつ・・・!) クロトは驚くとともに、体の底が思わずぞくりと震えるのを感じた。 (・・・なんか、マジにいつもと――違う・・・) 「・・・殺して、やろうか?」 一息に――? シャニの瞳が危険なまでに妖しくクロトを射すくめた。 吸い込まれそうな瞳の色が・・・その瞬間、彼を心臓ごと掴んだかのようだった。 彼は一瞬息ができなくなるような、不思議な錯覚に捉われた。 彼は喘ぎ、そして、必死でその呪縛から逃れようともがいた。 ――じょ・・・ (――冗談じゃない・・・!) クロトはハッと我に返ると、忽ちシャニの手から体をもぎ離した。 (こいつ・・・マジに、イカレてやがる・・・!) 彼の額にはじんわりと汗が滲んでいた。 「・・・てめえ・・・っ!――何考えてんだよ!」 クロトは、改めて目の前の少年を睨みつけた。 それでも彼は心なしか、相手からやや体を引きぎみだった。 シャニの唇に、ほんの一瞬、笑みが浮かんだように見えた。 明らかな嘲りを含んだその一瞬の狡猾な表情。 「・・・別に、何も」 しかし、そう答える相手の顔は、いつもの淡々とした気だるさを湛えた、あのシャニ・アンドラスの顔に戻っていた。 ――目を開けると、またあいつがいた。 少し距離を置いたところで、小さな子供のように、膝を抱えて座り込んで・・・黙ってじっとこちらを見つめている。 紫と黄金の色が薄闇にほのかに煌く。 (また、こいつか。くそっ・・・!) オルガは内心忌々しげに吐く。 ――何なんだ、こいつは・・・。 オルガの中で、どんどん彼の存在が大きくなっていく。 この、妖しくも魅かれずにはおれない魔性の存在が・・・。 彼を過去の記憶の海に引きずり込み、思い出したくない幻影の波間の中に沈めていく。 こいつの瞳・・・この瞳を見ているだけで、気の狂いそうなくらいに心をかき乱されるのだ。 ――忌々しい奴め・・・! その一方で、彼がいないとなぜか落ち着かなくなってしまう自分がいる。 心の奥底で、こんなにも強く、切実に彼を求めている自分がいる。 それは・・・彼を見るたびに思い出す・・・あの過去へのノスタルジーなのか。 いや、そうではないな。そんなわけがない。 俺にとって、過去は・・・忘れたいだけのものでしかないんだから。 永久に・・・葬り去ってしまわねばならない悪夢の記憶。 そうでなければ、俺は・・・本当に狂ってしまう。 彼にはわかっていなかった。 同じ思考が、やはり相手の中を、狂わせんばかりに駆け巡っていたことを。 無意識のうちに、互いが互いの過去の傷に触れ、記憶を刺激しあっていたことを。 しまいこんだはずの全ての感情を・・・再び呼び起こすような・・・ そんな変化が互いの中に生じ始めていたということを。 (・・・俺は、母さんに殺されたんだ・・・) あの言葉が不意に甦ってきた。 彼が気になって仕方のなかったあの叫び。 奴にとっては、禁句なのかもしれない。 でも、なぜかオルガは知りたい欲求に駆られた。 そう思った途端に―― 「・・・あれ、ほんとなのか。・・・母親に殺されたっていうの・・・」 不意に言葉が口から飛び出していた。 彼はゆっくりと視線を少年の方へ彷徨わせる。 相手の反応が気になる。 ――聞いて、よかったか・・・? 彼の思いをよそに、シャニは、顔色を変えもせず、ただ瞬いただけだった。 彼がごく自然に口を開くのが見えた。 「・・・母さんは、本気だった。オレが、母さんの彼をとったと思ったんだ。オレが・・・あいつと、寝たから・・・。あいつと、ああいうことしてたところを、母さんが見ちゃったから・・・」 その恐ろしい告白を、淡々と話すシャニに、オルガは軽い戦慄を覚えた。 聞かずともわかる。 幼い彼が、『そいつ』――その『ケダモノ』から、執拗に行為を強要されていたということが。 そして、それをある日、目撃した母親・・・。 全ての責任を幼い子供ひとりになすりつけ、ただ、我が子を繰り返し打ち据えた・・・その陰惨な光景が・・・オルガの前に、生々しく再現される。 「・・・だから、本気でオレを殺そうとした・・・」 他人事のように、口調も変えずに答えるシャニが、ひどく頼りなげに、そして哀れに見える。 (・・・母さんは・・・オレを、憎んでいた・・・) シャニは、突然肩を震わせた。 ――母が自分の首に手をかけたときの、あの、強く食い込んでくる爪の鋭い感触が、急速に甦ってきた。 もう、何年もこんな気持ちになったことはなかったのに。 なぜか、突然、漠然とした恐怖が彼の全身を支配した。 震えが激しくなり、彼はそれを抑えるために、強く自分の体をかき抱いた。 「・・・おまえ・・・大丈夫か?」 オルガは驚いて、身を起こした。 (・・・俺が・・・変なことを、言ったから・・・) 彼は不安になった。 やはり、言うべきではなかった・・・と、彼は後悔した。 ――想像以上に、彼にとって、この過去は重荷すぎるのだ。 ふらつく体を抑えて、シャニの方へ這い寄る。 がたがたと震える少年の体に、手を置いた。 「・・・なに震えてんだよ。しっかりしろ」 そう声をかけるオルガの胸に、いきなりシャニは全身を投げ出した。 「おっ、おい・・・?!」 オルガは一瞬たじろいだが、震えながら必死ですがりつく少年をむげに突き放すこともできずに、そのまま彼を抱き止める。 「・・・悪いが、俺、そういう趣味は・・・」 居心地悪そうにそう言いかけたオルガは、シャニの訴えかけるような眼差しを見て、不意に口を噤んだ。 (・・・お願い、少しだけ・・・このままでいさせて・・・) シャニの目が、子供のように純粋に、そう哀願していた。 それは・・・本当に、見捨てられた子犬のような、頼りなく哀れみに満ちた眼差しだった。 オルガは、ふっと溜め息を吐いた。 (・・・わかったよ。少しだけ――だぞ・・・) オルガの手に力がこもり、彼はすがりつくシャニをしっかりと抱き締めた。 その腕の中で、シャニの体の震えが徐々におさまっていくのが、感じられる。 (・・・母さん・・・) シャニはそのとき、ふと思った。 憎しみは、なかった。 ただ、そこにあるのは、深い哀れみに似た思いだけ・・・。 (・・・母さんも、オレも・・・哀しい・・・) シャニは、涙が頬を伝い落ちていくのを感じながら、そう思った。 そして、ひととき胸を貸してくれたオルガに、不思議な思いが疼くのを感じていた。 (To be continued…) |