ONE STEP TO HEAVEN - Phase 2 -
2 The Capture
(・・・名前は・・・?)
(・・・クロ・・・ト・・・)
(・・・姓は・・・?)
(・・・ブエル・・・クロト・・・ブエル・・・)
(・・・住所は・・・?)
(・・・・・・・・・)
(・・・君のご両親の名は・・・?)
(・・・・・・・・・)
(・・・家族構成は・・・?)
(・・・・・・・・・)
どこか遠いところで、淡々と質問に答えている自分自身の声を聞いた。
自分でないものの口が言葉を紡ぎ出している。
それを第三者のようにぼんやりと聞いている自分がいる・・・。
そんな状況が、不思議だった。
(・・・何なんだよ、一体、何がどうなっちまってんだ・・・)
俺は今、どこにいる・・・?
こいつは何を聞いている・・・?
にやりと笑う金髪に碧眼のスーツ姿・・・。
こいつは、何者なんだ・・・?
ただ、漠然とした嫌悪感が胸に広がる。
嫌だ・・・。
俺から離れろよ。
おまえは、何なんだ・・・?!
何で、そんな風に俺を見る・・・?
舐めるような執拗な視線に、嫌悪を感じるよりも、むしろ本能的な恐怖心が先に立った。
俺は・・・
どうして・・・こんな・・・?
頭の中がどうしようもないくらい、混乱していた。
ああ・・・
頭が、痛い・・・。
誰か・・・
誰でもいい・・・
俺を、ここから・・・
助けて・・・くれ・・・
不意に意識が戻った。
室内灯の光が目の中に飛び込んできて、あまりの眩しさに再び目を閉じた。
彼はそっと体を動かした。
・・・手足は支障なく動く。
彼はホッと息を吐いた。
どうやら、元に戻ったようだ。
そして・・・俺は普通に今、呼吸している。
まだ生きてる・・・。
両手をかざしながら、ゆっくりと目を開けると、周囲を見回す。
薄汚れた部屋の片隅に置かれた寝台の上に自分が横たわっていることがわかる。
(ここは・・・どこだろう・・・?)
・・・どこかの安ホテルの中にでもいるのだろうか?
あれから、何がどうなったのか、さっぱり見当もつかない。
クロトは取り敢えず、起き上がった。
途端に、頭の奥にじんと痛みが走った。
思わず彼は頭を押さえてベッドの上に蹲った。
カチャッと扉の開く音とともに、人の入ってくる気配を感じた。
クロトは顔を上げた。
その姿を見るやいなや、忽ち強い警戒心が湧き上がり、彼は身を強張らせた。
「・・・おや、気が付いたか?」
いかにも親しげな笑みを浮かべながら、金髪の男は近づいてくる。
ベッドのすぐ傍まで来ると、おもむろにクロトを見下ろした。
クロトはそんな相手をじろりと睨みつけた。
「・・・おまえ・・・!!」
今度はちゃんと声が出た。
「・・・何のつもりだよ、これは・・・!・・・おまえ、一体誰なんだ?!」
「ああ、君の名前だけ聞いておいて、私はまだ名乗ってなかったね。それは失礼・・・」
男はわざとらしく襟を正してみせた。
その仕草がいかにも芝居がかっている。
クロトは露骨に眉をひそめた。
・・・ますます気に入らない。
何だ、こいつ・・・。
ますます不審が募る。
そんなクロトを見て、男はやや目を細めた。
しかし表情は変えずに、言葉をつなぐ。
「・・・私の名はムルタ・アズラエル――」
――と、その名を聞いた瞬間、クロトはハッと目を見開いた。
どこかで聞いたことのある名だ・・・。
近頃テレビやラジオのニュースで頻繁に耳にし、周囲の人々の口の端にもよく上る・・・。
あれは・・・確か・・・?
クロトの反応を見て、男は満足げな笑みを浮かべた。
「・・・どうやら、私の名前に聞き覚えがあるようだね。そう・・・ブルーコスモスの盟主・・・といえば、わかってもらえるかな?」
「・・・ブルー・・・コスモス・・・!」
そうだった。
その瞬間、クロトは思い出した。
ブルーコスモス・・・最も過激な反コーディネイターの活動組織として、知られている。
その若き総裁の名が・・・ムルタ・アズラエル。
この四半世紀の間に急成長を遂げた、軍需産業を一気に束ねるアズラエル財閥の若き当主であり、同時に軍事産業連合理事の座にも就いている。
それがブルーコスモスの総裁として、政治的にも連合のトップに大きな圧力をかけているということは周知の事実であった。
その当人が・・・この目の前にいる男だというのか。
テレビのスクリーンで見る姿とは違って見える。
あの、いつもの派手な色合いではなく、ダークグレーの地味なスーツを着ているせいだろうか。
端整な顔にかかる金髪は乱れていて、目にかかる前髪を時折かき上げる仕草が彼を実年齢よりもずっと若々しく見せていた。
「・・・あんた・・・本当に・・・アズラエル理事・・・?」
クロトは思わずそう問いかけた。
ぽかんとしたその顔を、ムルタは揶揄するように見返した。
「・・・ああ、今日はちょっとコスチュームが違うから・・・かな?」
一瞬こぼれた笑顔には、全く邪気はなかった。
あれ・・・?
何だ、今の・・・?
アズラエルの一瞬の豹変ぶりに、クロトは意表をつかれた。
彼は言葉を失った。
何と返してよいものか、彼は迷った。
が・・・
彼は頭を振った。
本題からそれそうになっている。
彼の知りたかったことは、そんなことじゃない。
相手のことなんかどうだっていいんだ。
問題は、自分のことだ。
「・・・俺の知りたいことは、あんたが俺をどうして、こんな・・・」
彼は再び言葉に詰まった。
ここは・・・どこなんだ?
くそっ・・・わからないことだらけじゃねーか!
「・・・こんな・・・とこに連れ込んで・・・」
いや、その前に、俺に何であんなモンを・・・
彼は、首筋に当たったあのちくりとする注射針の感覚を思い出し、眉をしかめた。
「・・・どうやら、まだ混乱しているようだ。――無理もない、か」
そのときムルタ・アズラエルが、突然口を挟んだ。
彼の顔にはまた元の冷たく狡猾な表情が戻っていた。
「・・・君に打ったのは、ただの自白剤だった。だが、前の試験薬とどうも合わなかったらしい。・・・突然拒絶反応を起こしてしまったようだ。・・・すまなかった。君がいきなり倒れたから、私も驚いたよ。・・・だから取り敢えずすぐ傍にあったこのホテルの中へ連れ込んだんだ」
「・・・前の・・・試験薬・・・?」
クロトは呆然と呟いた。
まさか、それは・・・。
鋭く問いかけるクロトの視線を受けて、ムルタはにっこりと頷いた。
「・・・そう、君がバイヤーから買った、例の薬のことだよ」
「・・・・・・!」
クロトは小さく息を呑んだ。
だんだん話の筋が見えてきたような気がする。
すると、あの仲買人が売りつけた新薬が・・・。
「・・・あんたが・・・まさか・・・最初からすべて・・・仕組んだのか・・・?」
自分があのような行為に走る原因となった、薬・・・。
あれをわざと自分に売りつけるように仕向けた・・・?こいつが・・・?
ムルタは軽く肩をすくめた。
「・・・仕組んだ、などと・・・人聞きが悪いな。私はただ探していただけだよ。『適合者』を、ね・・・」
クロトは顔色を変えた。
あの新薬のせいで・・・
自分は、あんな・・・
あんな恐ろしいことを・・・?!
「あれは・・・何の・・・薬・・・だったんだ・・・」
俺は・・・何を・・・
あの薬のために・・・何をさせられた・・・?
全身の血がさあーっと引いていくようだった。
「・・・何を恐れている?君は立派に『適合』した。これは喜ばしいことなのだよ。私は今すぐ、君と契約を結びたい。・・・君は我がブルーコスモスの一員となり、より良い世界をつくるために、貢献してもらう。どうだ、素晴らしいだろう?・・・君は『選ばれた』のだよ」
――青き清浄なる世界のために・・・!
そのフレーズがクロトの耳の奥で冷たく鳴り響いた。
「・・・じょ、冗談じゃない!!・・・どうして、そんなこと・・・!・・・何で俺がブルーコスモスなんかに入らなきゃならないんだっ・・・!!」
クロトはシーツを蹴散らすように、ベッドから跳び下りた。
ふらつく足を床にぐっと踏みしめ、すぐ目の前のムルタ・アズラエルを激しい眼差しで睨みつける。
「・・・勝手に決めんな!俺は関係ねーからな!!」
ムルタを押しのけるようにして、戸口へ歩いていこうとする、そのクロトの肩を後ろからムルタが引き掴んだ。
「・・・何だよ、放しやがれ!!」
振り返りざま、さらに毒づこうとするクロトの前に、再びムルタの顔が迫った。
その酷薄な、冷えるような青い瞳に見据えられて、クロトの体は一瞬硬直した。
言葉すら、既に喉元で凍りついてしまったかのようだ。
(何だろう、これは・・・?)
目に見えない恐怖が彼の全身を捉えた。
何か・・・変だ。
変だ・・・狂ってる・・・。
目の前の男の瞳に宿るこの狂気の光は、何だ・・・?!
「・・・無駄だよ。君はこうして既に私に捕まった」
微笑みながらムルタは穏やかに言ったが、クロトを掴む手に込められた力は次第に強くなっていた。
「・・・悪いが、君を放すつもりはない。あの薬に『適合』する者を見つけるのは大変なんだ。なに、悪い話じゃないよ。恐がることはない。・・・君をコーディネイターに負けない体にしてやろうというのだから」
クロトは息を呑んだ。
「・・・コーディネイターに負けない・・・って・・・どういう・・・?」
身内に嫌な予感が渦巻いた。
こいつ・・・俺の体を、どうにかするつもりか・・・?
遺伝子操作で人工的に作り出された超人たちに対抗できるような体に・・・普通の・・・ナチュラルの体を、どうやればそんなことが可能だというのか・・・?
薬・・・?
それだけで・・・そんなことが・・・?
馬鹿な・・・普通じゃない・・・!!
――未知の恐怖に、自ずと体が震える。
「――そんなこと、できるわけがない・・・そう思うだろう。ところが、それが可能なんだよ。いや、私がそれを可能にしてみせる・・・!その為に、君に協力してもらいたいんだ。君のその体を私に預けてもらいたい。君の体を今よりずっと強くしてやる。・・・君は、生まれ変わったその体で、奴らを殺し尽くし・・・奴ら・・・あのコーディネイターという怪物どもを、一人残らずこの世から抹殺するんだ。・・・来るべき美しい世界のためにね・・・そして君は英雄になる。・・・新しい世で、君は救世主と称えられるだろうね。凄いことじゃないか。そうは思わないか?」
ムルタの声はいつしか興奮で上ずっているようだった。
クロトは寒気を感じた。
(・・・やっぱ、狂ってやがるぜ、このオッサン・・・!!)
「・・・思うかよ・・・そんな・・・そんな、馬鹿げたこと・・・!!」
これは所詮ただの戦争じゃねーか。
どっかで誰かがおっぱじめやがった、この馬鹿馬鹿しい争いに・・・何で、この俺が巻き込まれなきゃならない・・・?
よりにもよって、この俺が・・・?!
「・・・わからない?頭が悪いなあ、君は・・・。まあ、いいさ。そのうち、すぐわかるようになる・・・わからせてやるさ・・・」
ムルタはクロトの肩を掴んだ手に力を込めると、そのまま相手を自分の方へと引き寄せた。
抵抗する暇も与えず、その顎に手をかけ、強く引き上げる。
振り払おうとする相手の手を、空いている手ですかさず捕らえて後ろへ捻り上げる。
常人とは思えぬほど、迅速で強靭な動きだった。
クロトは圧倒されて、それ以上抗う力を失った。
「・・・くそっ・・・な、何しやがる・・・っ・・・!!」
彼はただ呻くように微かに抵抗の声を上げた。
「・・・もっと、素直になるもんだよ。そうすれば、楽になる・・・」
体が密着して、相手の鼓動がそのまま伝わってくるかのようだった。
ムルタとクロトは息のかかるほどすぐ傍まで顔を近づけた状態で睨み合った。
「・・・どのみち、君はどこへも帰れないよ。・・・あれだけの人間を殺したんだ。捕まれば、禁固100年どころか、200年は軽いんじゃないのか。一生監獄暮らしだ。いや、悪くすれば極刑か・・・」
「・・・捕まれば・・・だろ!」
クロトは倣岸に言い放った。
ムルタは笑った。その嘲笑の響きが、クロトの耳を不快に貫いた。
「・・・捕まるよ、確実に。・・・今、ここを出た瞬間、君は捕まる」
彼は確信に満ちた声で断言した。
「・・・な・・・んで、そんな・・・ことが・・・?」
クロトの瞳に不安の色が浮かんだ。
何となく、答えは聞かずともわかるような気がした。
「・・・扉の向こうにいる警察官はブルーコスモスの一員だからだよ」
ムルタがしゃあしゃあと言ってのけたとき、クロトただ何も言えず、一気に全身の力が抜け落ちていくような脱力感に襲われた。
その瞬間、自分がもはや抜け出せない罠にとらわれてしまったのだということを、彼は理解した。
「・・・わかっただろう。君に選択の余地はない。私と共に来るしかないんだ。いいね、クロト・・・」
こんなに近くにいるのに・・・
なぜだろう。
ムルタの言葉は、どこか遠くから聞こえてくるかのようだ。
まだ・・・薬の影響が残っているのだろうか・・・。
頭がどんどん鈍くなってくるようだ。
くそっ・・・力が出ない・・・。
ムルタの腕の中に引き込まれるように、全身を捉えられる。
抗う気力すら、湧いてこない。
「・・・よしよし、いい子だ・・・」
ムルタはクロトの体を抱きかかえながら、その頭をそっと撫でた。
まるで、幼子を抱くかのように・・・。
(おまえには、これからたくさん働いてもらわなければならないからな・・・)
――せいぜい壊れぬよう、大切に扱わねば・・・
ムルタ・アズラエルの顔に、満足げな微笑が広がった。
(To be continued…)
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