Blue Rain (10)













(――野郎……っ!)
 相手の挑発に乗っていると半分自覚しながらも、昂ぶる心を抑えられなかった。
 久し振りにモビルスーツに乗ったことが、彼の闘争本能に火を点けたかのようだった。
 相手と接触するたびに、激しい衝撃が機体を襲う。
(マジか、こいつ……っ!)
 エネルギー制御はとうに解除していた。
 これはもはや、ただのデモンストレーションではない。
 これは、戦闘、だ。
 激しいせめぎ合いの後、非常事態を告げるサイレンが鳴り響く演習場から一気に逃げ去ろうとする白い機体を逃すまいと、彼は夢中で相手の後を追った。
「逃がすかよっ……!」
 相手を見失うまいと、さらに速度を上げる。
 叩きつけるような雨と黒雲に覆われた空が、視界を鈍らせていた。
 時折空を切り裂くような光が閃く。地を揺るがすような低い轟き。降りしきる豪雨。
 目の前を行く機体の姿が時折視界から消える。
(ひでえな……)
 ディアッカは朧気な視界に目を凝らしながら、舌を打った。
 こんな酷い天候の下で飛ぶのは初めてだ。
 地球の重力がことのほか、プレッシャーとなって圧迫感を強める。
 計器が不安定な数値を弾く。今いる地点がどこなのかも定かではないが、演習空域からとうに逸脱していることだけは間違いない。
 不意に、目の前で光が炸裂した。
 バイザーを通してまで、凄まじい轟音が耳朶を打った。
 やられたのか、と思いながら、目を凝らした。
 敵では、ない。
 文字通り、天の雷が落ちたのだ。
 機体には影響はないが、一瞬目の前が全く見えなくなった。
 再び視界が開けたときには、敵機の姿は消えていた。
(どこだっ……)
 周囲を旋回しながら、必死で敵の姿を探すが、見つからない。焦りが募る。
(くそっ……!)
 舌打ちした途端、背中から強い衝撃が襲った。
 方向転換する前に、敵から放たれるビームの矢が装甲を貫いた。
 あっと思う間もなく、目の前に不気味な光を放つモノアイが迫った。
 背筋に冷たいものが走る。
やられる……と思ったとき、モビルスーツの無機質な眼が人間のように嘲笑ったような気がした。
 コクピットに叩きつけられるような衝撃が走り、コンソールが火を噴いた。
 バイザーが割れ、顔面に鋭い痛みが走る。焼けるような操縦桿を掴んだまま、彼は何とか敵を振り切ろうとした。
 残存するエネルギーを限界まで上げながら、白い装甲を蹴りつける。悲鳴を上げる機体から、掴まれていた片腕が無残に引きちぎられていく。しかしそんなことはどうでもよかった。逃れることだけで精一杯だった。
 緊急事態を告げる警報が鳴り響き、コンソールパネルには機体損傷箇所が明示され、警告のサインが点滅していた。
 これまでか、とディアッカは歯を喰いしばった。
 流れ落ちてくる血が眼の中にはいってくるが、拭う暇もない。頭の奥がくらくらするが、ここで気を失うわけにはいかなかった。急降下していく機体の中で、彼は操縦桿を握りしめ、ひたすらに前を見据えていた。
(こんなところで、死んでたまるかよ……っ!)
 頭の奥にちらつく顔。
 ――こんな時まで、俺は……。
 ディアッカはなぜか、愕然とする自分に気付いた。
 切羽詰まったこの時に、何だって……
(俺は、今、何に縋ろうとしているんだ……?)
 どうしても、頭の中から、消えない。

 ――あの人の、顔が……

 態勢を立て直そうとするが、コントロールがきかない。
 駄目だ。墜ちる……
 もはや脱出できるだけの余裕もなかった。こんな状態から脱出しても、どのみち無事では済まないだろう。
(く……っ……!)
 墜落直前で、がくん、と機体が大きく回転した。
 掬い上げられる感覚に、墜落を逃れたことを悟った。
 何らかの力によって、墜ちていく機体が引き上げられたのだ。
 スクリーンの端に映る白い装甲が、雨煙に滲んで見えた。
 相手の手の中に捉えられたとわかった瞬間、コクピットを直撃されることを覚悟したが、いつまで経っても何も起こらない。
 速度を落としながら、2機は共に地表へ向かっていた。
 制御不能となった機体の中では、どうしようもない。
 しかし……
 ディアッカは混乱していた。
 ――何のつもりだ……。
 相手の意図が読めないことが、不安を高める。
 一撃で撃ち落としてしまえばよいものを。
 この機体が必要だとでもいうのだろうか。いや、まさかな、と彼はうっすら唇を歪めた。新型とはいえ、従来のモデルに僅かに改良を加えただけの代物に、わざわざ強奪するほどの価値があるとも思えない。
 だとすれば、何だ。
 奴の狙いは……。奴は何をしようとしている。
 機体になど用がある筈がない。
 なのに、今、こうして機体は生かされている。幸いにも、致命的な損傷は被っていない。
 コクピットの中も、完全なる破壊は免れた。
 中にいる人間も、お陰で命拾いしている。
 これは、単にラッキーだったと喜んですむことなのか。
 彼は、頭を捻った。
 ――何か……何かが、おかしい。不自然だ。
 違和感が強まるとともに、ある考えが浮かび上がる。
 彼は、軽く息を飲んだ。
 ――まさか。
 あの男の目標は、最初から……。

 ――俺……なのか。

 顔を合わせたとき、奴はモビルスーツに彼が乗るかどうか、やけにこだわっていた。
 挑発的な口調。あからさまな敵意。
(そうか。あの野郎……)
 最初から、そのつもりだったのか……。
 だからあの時、わざわざ挨拶までしに出てきやがったというわけか。
 ――俺を、挑発するために。
 挑発して、モビルスーツに乗せたかったわけか。
 だが、そんな手の込んだことをして、何になる。
(最初から俺を狙っているのなら、他にいくらでも機会や方法はあった筈だ……)
 何もこんな派手でおおっぴらな方法を選ばなくとも良かった筈ではないか。
 納得できるようでいて、その実わからないことだらけだった。
 傷を負った頭がずきりと痛む。
 血の匂いが充満している。気分が悪い。吐きそうだ。
 殺すつもりではないのか。それとも下へ降りてから、じっくり嬲り殺す計画なのか。
(けど、何でなんだ……)
 全く知らない顔だった。
 あんな奴、これまで見た覚えもない。
 それとも自分が単に忘れているだけで、相手にとっては殺すに足るだけの、十分な理由があるというのか。
 ぐるぐると巡る思考をまとめるすべも、時間もなかった。
 こうなったら、直接奴と対峙して全てを明らかにする以外に、方法はなさそうだ。
 彼は間もなく始まるであろう闘いに備えて、呼吸を整えた。
 もうすぐ、だ。
 地表すれすれで、突然拘束が緩んだかと思うと、次の瞬間には、地面にぶつかった凄まじい衝撃がコクピットを襲った。
 一瞬で、意識が弾け飛んだ。

 ――雷鳴が、轟く。
 雨足は一層強くなり、沈黙する装甲を容赦なく叩きつける。
嵐は一向に弱まる気配を見せなかった。





 ――よく、降るな。
 硝子越しに霧のように降る雨の筋を眺めながら、ムウ・ラ・フラガは溜め息を吐いた。
 昼前から降り出した雨は、夕刻近くなった今、小降りになったとはいうものの、なおも降り続いたままだ。
(全く……あいつが来るときは、いつも雨だな)
 肌に纏わりつくじとりとした湿度を意識すると、体の奥で鎮火していた筈の熱が再び呼び覚まされるようだった。
 フラガは小さく舌を打ち、余計な感情を振り払うように、片手で軽く頭を小突いた。
(くそ……)
 どうかしている。
 胸の中からいつまでも、わだかまりが消えない。
 あれから……
 どうも、後味が悪かった。
 自分も少し大人げなかったかもしれない。
 なぜ、あんなことをしてしまったのか、自分でもよくわからなかった。
 彼の目が別の男を追っている。熱をもった瞳で、自分以外の男を見ている。
 そんなことは最初からわかっていた。わかっていて、わざわざお膳立てまでしてやったのは、誰あろう自分自身だ。にも関わらず、それを間近で見せつけられたとき、なぜか平静ではいられなくなった。
 あれは――
 嫉妬、だった。
 自分が心の奥に抑えきれなくなった、感情の澱が一気に息を吹き返し、外へ奔り出したその結果があれだ。
 あのとき。
 あの、瞬間。
 魔のような暗い感情が、暴走した。
 狂おしいほど、彼を欲しくなった。
 乱暴すぎるとわかっていても、コントロールがきかなかった。あんなことは、初めてだった。
(最悪だ……)
 もはや相手のことをどうこう言える立場ではない。
 そもそも相手に説教した直後に、同じことをしかも最悪の形で実行しているとは。
 自分の行動の矛盾を、ただ笑うしかなかった。
 単に性的欲求不満の捌け口にしただけだったのかもしれない。
 ……相手がどう思ったかはわからない。
 しかし、あのとき、お互いに好ましい感情が流れていなかったことは確かだ。
 お互いに、顔を見ようとはしなかった。
 背中を向けたまま、別れた。それが最後になってしまうのではないかと思いながら、それも仕方がないと腹を括った。
 どのみち、そういつまでも続く関係ではないだろう。
 だから、連絡は取らなかった。
 相手も何も言ってはこなかった。
 それで、終わりだと、思った。
(……なのに、な……)
 溜め息が零れる。
 自分は本当に諦めが悪い。
 軽く頭を振ると、彼は居間へ戻った。
 ソファーに座り、退屈凌ぎに何とはなしにテレビをつける。
 テレビ画面に映った光景を見た途端、彼はぼんやりとした頭を振り払わざるを得なくなった。
 それは、覚えのある場所だった。――見紛う筈もない、地球軍の演習場ではないか。一目で何か良からぬことがあったことが窺える程、そこは騒然とした雰囲気に包まれていた。
 ザフトとの合同軍事演習が行われている。つまり、それは奴が出向く筈の場所ではなかったか。
 何か、あったのだろうか。
 嫌な予感に捉われながら、彼は事故か何かか、と身を乗り出して画面に見入った。
 緊張した面持ちのニュースキャスターが伝えた内容は、彼を震撼させるに充分たり得るものだった。
 彼は思わず立ち上がり、拳を握りしめた。
 その驚きに見開かれた目はまだ画面を凝視したままだ。
(何てことだ……)
 ――地球軍のモビルスーツが、乗っ取られた、だと……?
 すぐには理解できなかった。
 正式な軍の合同軍事演習の中で、まさかそんなことが――と、彼は唖然となった。
 あり得ない。……あってはならぬ事態だった。
 報道されていることが全て事実であるなら、第一に地球軍のセキュリティの甘さが糾弾されることは間違いないだろう。これをきっかけにして、プラントとの外交関係がこじれなければよいが、と懸念しながらも、彼にはもう一つ気になることがあった。
(まさか、巻き込まれてないだろうな……)
 携帯電話を手に取ると、自然に発信ボタンを押していた。
(……くそっ、繋がらない……!)
 苛立たしげに何度も発信を繰り返すが、結果は同じだった。
 携帯をわざと切っているのか、それとも出られない理由があるのか、それさえわからない。
 彼はとうとう諦めて、携帯を投げ捨てた。
 ソファに再び体を沈めると、天井を睨みつけた。
 テレビの画面から聞こえてくる情報は同じことの繰り返しでしかなかった。
 苛立つ心を抑えながら、彼はなすすべもなく、目を閉じた。

                                     to be continued...
                                        (2010/11/03)

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