Blue Rain (22)











 こつ。
 無機質な音が、室内の静寂を破る。
 こつ、こつ、こつ。
 ディアッカは、手の中の金属片をさらに何度も爪で弾いた。
「――くそっ!」
 苛立たしげにそれを投げ捨てると、床が悲鳴を上げるかのように派手な金属のぶつかる音がした。
 それが床にぶつかると同時に扉が開き、見慣れた若いドクターの姿が現れた。
「……うわ、タイミング悪ぃ……」
 ディアッカは罰が悪そうに呟くと、相手の視線から逃げるように、さりげなく顔を背けた。
「……何か物が落ちるような音がしたけど、どうかした?」
「……あ、いや。別に、何でも……」
「――ないこと、ないだろう。これは、何だい」
 そう言うと、彼は扉の手前に転がっている物体に鋭い視線を向けた。
(ちっ、全く……)
 ベッドの淵に手を置いたまま、ディアッカはがっくりと頭を落とした。
 面倒臭いな、と思わず吐息が出た。
 一月もの間、彼を治療してくれた青年、エドワード・ウォルマーは、ディアッカより5歳年長であるが、若いながらも既に軍医として先の戦争では常に前線で修羅場を潜ってきた経験を持つ強者だった。
 柔らかなくせのあるダークブロンドに赤褐色の瞳が映える。男にしては細面で、綺麗な顔立ちをしている。白衣を洒落たスーツに替えれば、どこかのホストクラブでお目にかかりそうな優男にも見えるが、しかしこのソフトな外見からは想像もつかぬほど、患者に対しては実に手厳しく、容赦がないということを、このひと月でディアッカは嫌というほど思い知らされていた。
(まあ、お陰で傷も順調に治ってはいるけどな)
 確かに、腕はいい。しかしもう一度と言われれば、絶対にこの男の治療は受けないぞと、彼は内心固く誓っていた。
「八つ当たりはいけないな。床に傷がつく」
 青年は床に転がったコントローラーの残骸を拾い上げると、目の前にかざして検分した。
「――何。これは?」
「……ん?ああ、それは……ちょっと……」
 ディアッカの答えは歯切れが悪かった。
「――壊れたリモコン、みたいだね」
「……まあ、そんなとこ、だな」
 ディアッカはそう言うと、ベッドに座ったまま、手を出した。
「悪いけど、こっちに持ってきてよ」
「いったん投げ捨てたものを、また拾い上げるわけか。ふうん、なるほど……」
 ウォルマーは意地の悪い笑みを見せた。
「だから、悪いって言ってるだろ。ちょっといらついて投げちまっただけなんだって……」
 ディアッカは溜め息を吐いた。
 本当にタイミングが悪かったな、と憂鬱な気分になった。
 ウォルマーはベッドの傍まで近付いてくると、勿体ぶった様子でそれを差し出した。
「――例の場所で、拾ってきたんだろう?動けるようになって初めて、きみが歩いた、あの場所で」
 渡しながらウォルマーがさらりと言うと、ディアッカは僅かに顔色を変えた。
「……あんた、何でそれを――」
「やっぱりね。――ビンゴ、ってわけだ」
 相手がにやりと笑うと、鎌をかけられたことに気付き、ディアッカはちっと舌を打った。
 イザークがプラントへ帰る前に、無理を言って現場まで連れて行かせた。その時に、焼けた地面の窪みに転がっていたこの壊れたコントローラーの残骸を見つけたのだ。
 拾い上げたそれを、彼は黙って持ち帰った。
 こんなものを持っていても、仕方がない。そんなことはわかっていた。
 しかし、拾い上げた瞬間、既にそれを手放せなくなっていることに気付いた。
 これを、恐らく最後に操作した人間。それこそが、彼が追い求める唯一の人物だったのだ。
 彼は、どんな気持ちで最後の瞬間を迎えたのだろうか。
 そして、今どこに――。
 本当に、生きているのか。
 それとも……。
「生存者ゼロ。焼け跡から死体も見つかってはいない。しかし、あそこには、爆発の直前まであなたと一緒にいた人間が少なくとも二人はいた。じゃあ、その二人――または二つの死体はどこへ行ったのか。――実にミステリーじゃないか……」
 相手のどこか楽しんでいるかのような大袈裟な物言いに、ディアッカは顔を顰めた。
「……おい、よせよ……冗談で言えるようなことじゃねえ……」
「――冗談で言ってないよ。私は真剣だ」
 ウォルマーはベッドの淵に腰を下ろした。
「私は医師だから、論理的に考える。――生きているにしろ、死んでいるにしろ、何者かが彼らを運び去ったとしか考えられない。人間が煙のように消え失せるわけがないからね」
 ウォルマーはディアッカの肩に手を置いた。
 顔が、近付く。
「……何だよ――」
「――知りたいんじゃないのか」
 意味深な問いかけに、ディアッカは眉を顰めた。
「……まるで、あんたが答えを知ってるような口ぶりだな」
「――仮説なら、立てられるよ。論理的な仮説なら、ね」
 ウォルマーがにっこり笑って答えると、ディアッカは相手の手を軽く振り払い、むすっと顔を背けた。
「あんたの論理パズルに付き合ってる暇はねーんだよ。……いいからもう、この話はやめようぜ」
 ディアッカは肩を竦めた。
「――俺の診察にきたんじゃなかったのかい?さっさと済ませちまえよ」
 そう言うと、彼は着衣のボタンを外し始めた。
「……それよりさ、早く退院許可出してくれよ。もう歩けるんだしさ。休暇がどんどん消えちまう」
「――ああ。そうだった」
 上半身を軽く触診した後、彼はディアッカの左足を診た。
「回復が早いのは、さすがだなあ。やはり私たちナチュラルとはそもそも細胞組織のレベルが格段に違うようだ」
「……痛っ!――だからって、乱暴に触んなよっ!いてえのは同じなんだからなっ!」
 ディアッカは傷口を平気で弄る若い医者を、恨めしげに睨みつけた。
「――全く、あんた、本当に医者?患者に対する労わりの心ってのが欠落してるって。――あーあ、本当に早くここから出て行きたいぜ」
「……そういうことを言ってるなら、もう少しリハビリを続けた方がいいと思うけど――」
「いや、頼むよ、本当に……!」
 ディアッカはベッドから足を下ろすと、立ち上がった。
 裸足のまま、室内をぐるりと回る。多少覚束ないところもあるものの、普通の歩行だった。
「な!――杖なくても歩けるんだって!見てわかるだろ?」
 室内を一周した後、ベッドに腰掛けて眺めていた白衣の青年のすぐ前まで戻って来ると、ディアッカは改めて訴えた。
「――あんたの許可が出ないと、自由に動けねーんだよ。頼むって……!」
 必死で頼み込むディアッカを、エドワード・ウォルマーは、どこか楽しげに眺めていた。
(この野郎……!)
 ディアッカはむっとしながらも、何とか腹立ちを堪えた。
 元はと言えば、イザークがあれこれと余計な手を回したお陰だ。


(――無理をするなよ、ディアッカ)
 イザークは本国に帰る直前、病室を訪ねた際、しかめつらしくそう言った。
(――貴様の行動は逐一、報告するよう手配してある。まず、正式な退院許可が下りるまでは、絶対にこの建物外へ出ることはできんからな)
(……ちょ……待てよ。それって、四六時中監視されてるってこと?……何だよ、それ。そんなの、聞いてねーぞ!――休暇くれる、って言ったじゃねーか!)
 ディアッカの抗議をイザークは冷たい瞳で一蹴した。
(休暇は休暇だ。だが、おまえは今、普通の体じゃない。怪我人で療養中の身なんだ。心配をして、当然だろう)
(心配って――おい!)
 冗談じゃない、と思ったが、イザークの意志は揺るがなかった。


(……何が休暇だ。これじゃあ、プラントで療養してた方がマシだったぜ。くそっ!)
 とにかく、一刻も早く退院許可を得なければ、ここに残った意味がなくなる。
 ディアッカは焦っていた。
「……まあ、いいだろう。そんなに言うなら、退院許可は出してあげるよ」
 あっさりとウォルマーが答えると、ディアッカは目を瞠った。
「……え、ほ、本当に……?」
「ああ。その代わり、きみの行くところは、私たちに分かるようにしておいてくれよ。それが、ジュール隊長との約束だからな」
「わ、わかった。サンキュー、ドクター!」
 ディアッカは飛び上がりたい気分だった。
 とにかく、まずここから出られるというだけで、心が弾む。そこから先は、また別の話だった。


(……きみは、何も知らない……)
 部屋から出ると、エドワード・ウォルマーは瞼にかかるダークブロンドの髪を軽く掻き上げた。
 瞳が僅かな翳りを帯びる。
(……知らない方が、いいのにな……)
 苦い笑みを浮かべながら、彼はゆっくりと長い廊下を歩いて行った。

                                     to be continued...
                                        (2012/05/06)

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