Blue Rain (27) アスラン・ザラがそのプライベート・コールを受け取ったのは、執務を終え、自分の居住区に帰った直後だった。 自室へ入り、着替えようとした時、突然コールが鳴った。 「……イザーク……?」 アスランは驚きを隠せぬまま、慌ててそのコールを取った。 コンピュータ画面が点滅し、突然スクリーンが明るくなった。 ザフトの隊長服をぴったりと身に着けた怜悧な姿に、思わず目が吸い寄せられる。 イザーク・ジュールの姿を見るのは久方ぶりだった。 『何だ、そのだらしない格好は。貴様、ちゃんと仕事をしているのだろうな?』 言われて、衣服を脱ぎかけていたところだったことに気付き、慌てて着衣を直した。 「……帰って着替えかけたところだったんだよ。――それより、おまえからコンタクト取ってくるなんて、珍しいな。一体、どうしたんだよ?」 『……ああ……ちょっと、な……』 言葉を濁す相手の様子に、アスランは眉を顰めた。 「――何か、悪い知らせか?」 『……いや……』 「――そういえば、この間地球に来ていたんだろう?軍事演習の視察中に何か事故があったせいで、中止になったとか……。こっちでも話題になっていたよ。大変だったな」 『――事故、か……』 イザークの表情の微細な変化に気付き、アスランは訝しんだ。 ザフト軍を招聘しての軍事演習が行われるということについては予め聞き及んでいた。 そのこと自体に特に政治的な重要性があるわけではなく、ただ地球連邦とプラントの動向を把握するための情報の一部であり、しかもやって来るのがイザークの隊であったということも、事故のニュースの後で知った。 死者もなく、プラントも連邦の謝罪を受け容れ、そのまま何事もなく終わったものと思われていた。 「……まさかその件で、何か……?」 『――わからん』 短い答えは、アスランを困惑させた。 「……わからない、って……」 『――アスラン。これは、プライベートな問題として、おまえに相談したいんだが……その……』 イザークの顔に迷いが見えた。言おうかどうしようか最後まで迷っている様子が窺えたが、結局彼はふんぎりをつけたようだった。 『……ディアッカのこと、なんだが……』 「ディアッカ……?」 アスランは意外な面持ちになった。 「相談、ってディアッカのことなのか?」 『…………………』 暗い面持ちの相手に、ただごとならぬ雰囲気を嗅ぎ取り、アスランの眼差しも自ずと険しくなる。 「……ディアッカが、どうかしたのか?」 『――奴は、今行方不明だ……』 「――なっ、……何っ……?」 アスランは目を瞠った。 「……行方不明、って……どういうことだよ。一体いつから……」 『……さっき、おまえも言ってただろう。きっかけは、あの事故だ』 「――ということは、まさか……」 アスランは愕然と呟いた。 「――おい、冗談だろう?こっち(地球)で行方不明ってことなのか?」 『――あの事故で、あいつは負傷してな。怪我の治療も兼ねて、休暇を取って地球に残ったんだ』 「……何で地球に残るんだよ?プラントに帰れないほど重傷だったのか?怪我人が出たとか、そんなこと、何も聞かなかったぞ」 『……連邦はかなり情報を絞ったようだからな。詳細は流していない筈だ。とにかく、いろいろあってな……俺もまさか、こんなことになるとは思ってもいなかったんだが……――連絡が、取れないんだ。監視もつけた筈なんだが……そいつらからの連絡も途絶えた。やはり、地球人は信用できん。あいつが自分から姿を消したのか、それとも何かあったのか、それさえわからん』 スクリーンの向こうでイザークは頭を抱えた。 『奴が残ると言った時に、許可したのは俺だ。今思えば、俺が甘かった。やはり、あいつを無理にでも連れ帰るべきだったんだ。これは、俺の責任でもある……』 「おいおい、勝手に先走るなよ。こっちには何が何だかさっぱりわからない。最初から、順を追って説明してくれ。そうでないと手を貸すにも何をすればいいか、わからない」 言いながら、動揺を隠そうともしないイザークの、彼らしからぬうろたえぶりを見て、アスランはいよいよこれがただごとではないという強い胸騒ぎを感じた。 「……ディアッカが行方不明になるだけの、理由があるということか?あいつが、この地球に残りたい理由が……」 『……ああ……あまり公にはしたくないが……』 イザークは顔を上げた。 こちらに向ける瞳に言いようのない怒りと悲しみが宿っているのを見て、アスランは戸惑いを感じた。 『――ムウ・ラ・フラガという男を、覚えているか』 「……ムウ・ラ・フラガ……」 その名を繰り返しながら、アスランの脳裏に鮮やかな金髪の元連邦軍将校の姿が浮かび上がった。 何度か言葉を交わしたことはあるが、それほど交流があったわけではない。 しかし、彼についての情報は頭の中にインプットされている。 華々しい戦歴と同時に、謎に包まれたもう一つの履歴。 ――ネオ・ロアノーク……か。 戦時中、瀕死の状態から奇跡的に生き延びたものの、記憶を失い、別人の人格を植え付けられていた期間、彼はその名で呼ばれていた。 仮面を装着した姿は、かつての自分たちの上官であった、あのラウ・ル・クルーゼを想起させた。 そして、彼とそのファントムペインと呼ばれた特殊部隊は連邦軍の最高機密事項の一つである、例の強化人間計画と深く関わっていた。 しかし、今、イザークの口から突然その男の名が出たことがアスランには不思議に思えた。 「……彼とディアッカに、一体どういう関係が……」 『――あるんだよ。それが……大ありだ』 イザークは深い溜め息を吐いた。 『……アスラン。実は、俺にもこの事件の全容はまだよくわかってはいないんだ。だが、ディアッカがいなくなった。それだけは確かだ。今、俺にとってはディアッカを捜し出すことだけが重要なんだ。――おまえの助けが、要る。……頼む。手を貸してくれないか』 悄然と頼むイザークに、アスランは苦笑した。 「何だよ、おい……そんな風にストレートに頼みごとをしてくるなんて……何だかいつものおまえじゃないみたいだな」 『……何とでも、言え』 アスランの揶揄に、イザークはむっとした様子を見せた。 『……俺は真剣に話しているんだ。――手を、貸してくれるのか、くれないのか!』 「……あっ、ああ、悪い。茶化してるわけじゃないから……」 アスランは、慌てて念を押すと、真剣な顔に戻った。 「……そうか、ディアッカが……。おまえがわざわざこの俺にプライベートで連絡を取ってくるぐらいだ。余程深刻な事態になっているということだな。それに、あのムウ・ラ・フラガが関わっている、となると、単にディアッカの個人的事情というわけでもなさそうだ。……そうなんだろ?」 『……ああ、まあ、いろいろあってな……。おまえの立場も考えると、このことを話していいのか、少し迷ったんだが……。すまん。おまえの思っている通り、事態は深刻だ。今から話すことを聞けば、おまえにもわかるだろう。――かなり厄介なことになるかもしれん。だが、今はおまえしか、頼れる者がいない……。ディアッカの命に関わることだ……悪いが――』 「水臭いこと言うなよ。――おまえらしくない」 イザークの言葉を遮ると、アスランは怒ったように相手を見た。 「……俺がおまえの頼みを断ると思うのか。ディアッカのことなんかどうでもいい、なんて言うと思うか……?」 イザークは俯き加減の顔を不意に上げた。 二人の瞳が合う。 これまで何度も火花を散らしてきた、瞳。 改めて瞳を重ねた今、別の感慨が互いの胸を満たす。 アスランの目が緩やかに微笑んだ。 「……イザーク……俺にとっては、おまえたちは大切な仲間なんだ。ザフト――いや、アカデミーで競い合っていたあの頃から、ずっと……。今もこれからもそれは変わらない。少なくとも俺は、そう思っている……。だから、今さら遠慮なんかするな」 『……遠慮、か。そんな風に、聞こえたか』 イザークは苦笑した。 『――わかった。一応言っておくが、それは無論俺も同じだ。でなければ、そもそもこんなことをおまえに相談したりしないだろう』 「――そうか。なら、いい。俺にできることは何でもする。俺は友人として、おまえに協力するよ」 アスランは、屈託ない笑みを浮かべた。しかしすぐに、彼の微笑は真剣な表情に変わった。 「……とにかく、聞こう。最初から、全部話してくれ」 ……はっ、と我に返ると、再びベッドの上に横になっていることに気付いた。 ピッ、ピッ、と規則正しく響く電子音が、聞こえる。 「――大丈夫かい」 降って来た声の方へ素早く顔を向けると、ベッドの横の装置を弄っていたウォルマーの眇めるような視線と目が合った。 「……あ……」 思わず起き上がろうとする肩に、ウォルマーが軽く手を当てた。 「――ゆっくりと、起きて。……慌てると、また呼吸が乱れて心臓に負担がかかる」 そう言われると、心もち息苦しい気がして、ディアッカは言われるままに、動作を緩めた。 腕につけられていた電極を外すと、ウォルマーはディアッカを正面から見た。 「……普通に呼吸してみて。異常はないね」 医師然とした語調に、ディアッカはこの野郎、と内心毒づきながらも軽く頷いた。 「――ああ、普通だよ」 「……なら、良かった。――きみの意識が戻らなければ、今度こそ、本当に大佐に殺されるところだった」 冗談にしても、笑えない冗談だ、とディアッカは相手を軽く睨みつけた。 「――あんたがやったことだ。当然の報いだろうが」 ディアッカは吐き捨てるように言った。 「――全く、酷い医者だな、あんた」 「そうかな。――一時的にとはいえ、きみの主治医だったんだ。きみのその足も治したし、メディカルチェックも毎日行っていた。短い期間ではあったが、一応きみの体のことについては全て把握している。把握したうえで、それを埋め込ませてもらった……」 悪びれた様子もなく、そう言いながら、ウォルマーはディアッカの心臓部分をおもむろに見た。 「――医者としての倫理に背いているのは承知の上だが、我々にもいろいろと事情があるものでね」 「……事情、ね……」 ディアッカは鼻白んだ。 いつの間に、妙なものを体内に埋め込まれていたのか、彼には全く記憶がない。 ここに来てから施されたのか、それとも或いは、ここへ来る前――地球軍付属の病院にいた頃に既に……? 嫌な考えではあるが、ウォルマーが専属で自分の治療に当たっていたことを考えると、十分にあり得ることだった。 (……全部最初から仕組まれていた、ってことかよ……) 考えれば考えるほど、恐ろしいくらい周到に仕組まれた罠だった。 そしてその罠にまんまと嵌まり込んだ自分の愚かさを改めて思い知る。 フラガを生かすためだ、などと言いながら、本当に自分の命が枷になることが彼のためになるのか、正直自信がなかった。 どう言い訳をしようが、自分の存在がフラガを窮地に陥れていることに変わりはない。 ディアッカは、自己嫌悪に苛まれながら、相手を睨みつけた。 「やることが、汚ねえんだよ。てめえらは……!」 「……きみは、大切な人質だからね。簡単に手放すわけにはいかない。そのためには、何でもするさ」 「俺は逃げねえって言ってるだろ」 「ああ、そう言ってたね。信じるよ」 ウォルマーは白い歯を見せると、左手首のリストウォッチを軽く撫でた。 それを見たディアッカの顔に一瞬緊張が走るのを見て、ウォルマーは安心させるように彼の目の前にそれをかざし、スイッチがオフになっていることを示した。 「……本当に、これを使うつもりはなかったんだ。大佐に対する見せしめのためとはいえ、きみに苦しい思いをさせたことは、謝る。悪かったよ」 「――人を何度も失神させるほど、痛めつけといて、よく言うぜ」 ディアッカは軽く言い返したが、内心ぞくりと震えが走るのを抑えることができなかった。 痛み、という以上の衝撃が、全身を襲った。 悲鳴を上げる瞬間に、意識が完全に断ち切れたかのようだった。 一瞬で戻った意識は、呼吸の苦しさに苛まれ、フラガの体に縋るのがやっとだった。 フラガと数言交わした後、本当に呼吸ができなくなり、再び目の前が暗くなった。 何となく、自分は死んだのではないかと思っていた。まだ息をしていることがかえって不思議なくらい、現実味がない。 「……で、あの人は?」 「ああ、大佐なら――」 ウォルマーの目が意味深な瞬きを見せた。 彼の目線が自分の真後ろへ向かっていることに気付いたディアッカは、相手の目を追いながら、肩越しに振り向いた。 ベッドの斜め後ろ――窓際の壁に背をもたせ、こちらを静かに見つめている男の姿が目に入った。 「……フラガ……――あんた、いつからそこに……」 「――きみが気を失ってから、かれこれ4、5時間になるが、その間ずっと大佐はそこだ」 ウォルマーが、フラガを代弁するように説明を加える。 ディアッカは、少し驚いた。 (……5時間……そんなに……?) 自分が意識を失っていた時間がそれほど長かったのかという驚きと同時に、その間フラガがずっと自分の傍に付いていてくれたのかと思うと、少し胸が熱くなった。 「……な、何だよ。いるんなら、何で声かけねーんだよ……いきなりそんなとこにいるの見たら、びっくりするだろうが……!」 口を突いて出たのは相手への苦言めいた言葉でしかなかったが、ディアッカの表情は自然に和らいだものとなっていた。 それを見て、フラガは微笑んだ。 「――ああ、悪い。少し、言葉をかけるタイミングを逃しちまってな……」 微笑みながらも、その鷹の目のように鋭い瞳は片時もウォルマーから離れない。 ウォルマーもそれをずっと感じ取っているのだろう。彼は軽く肩を竦めると、苦笑した。 「――わかったかい。今は見張られているのは、私の方さ。結構ストレスを感じるよ。……きみは、本当に愛されているんだな。大佐がきみを見る目で、わかる。今まで私が見てきた人間で、あんな目で誰かを見る者はいない。私はどちらかといえば、愛情というものに疎い人間だからね。愛するということも、愛されるということも……正直あまりよくわからない。だが、きみたちを見ていると、少し羨ましい気持ちになるな……」 「……おい、気色悪いこと言うなって。あんた、いつから詩人になった?」 ディアッカは忌々しげに吐いた。 愛、などと語るような者が、残酷な人体実験に手を染めるいわれがない。 気恥ずかしいことを、しゃあしゃあとよく言いやがるな、と内心呆れたが、ウォルマーの顔つきを見ると、案外相手は真剣であるようにも思えた。 (……この野郎……) わからない奴だ、と彼は不思議な気持ちで相手を見た。 ウォルマーは、僅かに唇を緩めた。 「――ああ、これは失礼。言い方を誤った。つまり、それだけきみの存在は、やはり我々にとっては貴重だということさ。――ねえ、大佐。こうして彼が目の届く場所にいれば、あなたも心安らかでいられるというわけだ」 「……全くよく喋る男だな。そんなにぺらぺらと無駄話をしていていいのか」 フラガの声は冷やかだった。 「……そう手厳しく言わないで下さいよ。これからまだしばらくのお付き合いになるわけですから、お互い気持ち良く過ごせるようにしませんか」 「――なら、まず二人きりにしてほしいもんだな。あんたがいると、どうも落ち着かない」 フラガの要求に、ウォルマーは肩を竦めて頷いた。 「――わかりました。それでは、どうぞご自由に。お邪魔はしませんよ」 機械を片付けると、彼はさっさと部屋を出た。 「………………」 ウォルマーが出て行った後も、フラガは壁を背にしたまま、動かない。 ディアッカもベッドに座ったまま、気づまりな沈黙が続いた。 「……フラガ……」 相手の顔を見ぬまま、呼びかける。 「――何だ」 素っ気ない答えに、ディアッカは思わず噴き出した。 「……『何だ』、って……あんたさ……今、この状況で、もうちっとマシな受け答えできないわけ?」 「……馬鹿を相手にまともな受け答えができるか」 「――ちょ……何だよ、その、『馬鹿』って……!」 「馬鹿だから、馬鹿だと言っている。――俺が怒っているのがわからないのか」 フラガが淡々と答えると、ディアッカは言葉に詰まった。 相手がなぜ怒っているのかわからぬほど自分は『馬鹿』ではない。 「……ま、馬鹿はお互い様だがな」 不意に語調が緩んだ。 近付いてくる気配を感じる。 ディアッカは唇を噛んだ。 すぐ傍で止まった足音に、顔を上げた。 睨み上げるように相手の顔を真っ直ぐ凝視する。 フラガの表情が僅かに変わるのがわかった。 「――俺は、後悔してねえよ」 声が、力強く喉から迸る。 すぐ目の前にいる相手に届くには十分すぎるくらいの声量だった。 それでも、自然と声が大きくなるのを抑えられなかった。 「……どうせ、俺は馬鹿だからな!」 手を伸ばすと、相手の胸に触れた。 確かな人肌の温もりと、心臓の鼓動が伝わる。 手を伸ばせば触れる距離に、彼がいる。 フラガの目に、柔らかな光が瞬いた。 彼の手が、ディアッカの手をそっと掴んだ。 「……じゃあ、馬鹿同士、一緒にいるか」 力強い手だった。 自分を見る目の光の強さに目が眩みそうになる。 なぜ、この男と出会ったのだろう。 どこから、自分の運命の糸は、この男の中に組み込まれてしまっていたのか。 なぜ、この男の傍にいたいと思うのか。 なぜ、この男でないと、駄目なのか。 わからない。 わからないが、そんな理由などどうでもよい。 今のこの気持ちだけが、全てだ。 自分には、この男が必要なのだ。 いつか、自分が死ぬその瞬間にさえ、この男が傍にいれば、それでいい。そんな風にすら思えるくらいに―― (……あんたがいれば、それでいい――) 心の底から、思いが迸る。 ディアッカは、笑みを見せた。 「――ああ。最後まで、一緒だ」 ――どちらかが、最後の息を吐き出す、その瞬間まで。 決してこの手を放すものか、と彼は心の中で呟いた。 to be continued... (2013/01/02) |