Blue Rain (28)











 ――衝撃がコクピットを激しく揺さぶった。
 体を固定するベルトのお蔭でコンソールに頭を叩きつけることは免れたが、すぐに体勢を立て直すだけの間も与えられず、顔を上げるとすぐ眼前に黒々とした輝きを放つ巨大な銃口が見えた。
 至近距離から、ぴたりとこちらに照準を合わせている。
 実戦なら、一撃でコクピットを貫かれ、即死だったことだろう。
 冷や汗が顎を伝う。
「――………………っ!」
『――そこまで!……両機、戦闘止め。帰投せよ』
 回線から指示が飛ぶと同時に、相手機は迅速に武器を納め、離脱していく。
 残された自分の姿の惨めさに、ディアッカは唇を噛んだ。
 二体一とはいえ、相手はまだ経験も浅いパイロットたちだ。
 それに、実戦経験も豊富な自分がいいように翻弄され、手も足も出なかった。
 久し振りの敗北感に、茫然とコンソールを見つめる。
 すぐには、動く気にならなかった。
『――おい、聞こえなかったのか?早く戻ってこい』
「……うっせーな!わかってるよっ!」
 ディアッカは腹立たしげに怒鳴りつけると、操縦桿を握り直す。
(ざまあ、ねえな……)
 ――他の連中と比べても、決して自負心が強い方ではない。
 ザフトの赤を着ていた頃も、さほどエリート風を吹かせたこともなかったし、自分が他人からどのように評価されようが、気にもならなかった。
 悪く言えば、そのような『緩い』生き方が自分のこれまでのスタンスだった。
 なのに、なぜ今、こんなにも屈辱感に打ちひしがれねばならないのか。
 実戦ではない。たかだか模擬戦ではないか。しかも、ナチュラルの強化型相手に――。
 機体に乗り込む際の相手の姿をちらと見たが、いずれも若いパイロットだった。せいぜい十代半ばくらいか。数年前の自分たちと変わらぬような年若い少年少女が、被験体としてこの恐ろしいプロジェクトに加担させられているのかと思うと、心から戦慄を覚えずにはおれない。
 彼がこの強化型人間相手の訓練に加わることを、フラガは最後まで反対していたが、ディアッカはそれを押し切り、自ら志願してこの軍事施設までついてきた。
 ここまで踏み込んでしまった以上、もはや二度と引き返すことはできない。
 それを承知の上で、彼は敢えてフラガと共に行く道を選んだ。
 しかし、ここ数日、毎日のようにこの強化型の連中を相手の演習に加わり、本気を出しても敵わない化け物相手に戦う無力感と屈辱感にさんざん打ちのめされた。
一体、人間の体にどれだけの改造を加えれば、このような化け物まがいの能力を持つようになるのか。ここに至るまでの過程(プロセス)を想像すると、恐ろしい。ここにいる奴らは、どれだけ多くの犠牲のもとに生まれ出た『完成形』なのか。
 今日初めてモビルスーツで対戦して、改めてその能力値の高さに驚きを禁じ得なかった。
 深い溜め息が漏れる。
(毎回これじゃあ、さすがの俺も、心折れちまうよなあ……)
 悶々とした気持ちのまま、帰還した。
 格納庫でモビルスーツから降り立った彼の前に、にやりと嫌な笑みを見せたスティング・オークレーがおもむろに近付いてくる。
 今一番会いたくない相手に、自然と顔を顰める。
 俯いてそのまま通り過ぎようとしたが、通路を塞ぐように前に立たれ、避けようもない。
「よお」
 声をかけられ、止むなく顔を上げると、相手を軽く睨めつけた。
「そう睨むなよ。おまえを落としたのは、俺じゃねえだろ?俺は無関係だぜ」
 スティングはそう言うと、芝居がかった素振りで肩を竦めた。
「――なら、そこを退けよ。通れねえだろ」
「つれないこと言うなって。せっかくアドバイスしてやろうと思って来たのに」
「余計なお世話だ。てめーと話すことなんか何もねーよ」
「まあ、待てって」
 無理に通り過ぎようとしたディアッカの腕を掴むと、スティングはしつこく食い下がった。
「――手強かったろ?奴ら、俺らの頃とは比較にならねーくらい、レベル上げた改良型だからな」
「……だから、何だよ?」
 掴まれた腕を忌々しげに振り解くと、不機嫌な視線を向ける。
 それでも相手は気を悪くした様子もなく、平然と笑みを浮かべたままだった。
「だから、むきになってやる必要ねえって忠告してやってんだよ。おまえが全力でやればやるほど、相手にデータやってるだけのことなんだからよ」
「……誰がむきになんか――」
「――確かに、その通りだな」
 スティングの後方から、別の声が突然割って入った。
 こちらへ近付いてくる背の高い姿に、ほっとしたような、罰が悪いような、複雑な気持ちになる。
「むきになりすぎている。相手に付け入られる元だ」
「……あんたまで、何だよ」
 フラガの指摘に、ディアッカはますます眉間に皺を寄せた。
 フラガは構わず、スティングを押しのけるように、ディアッカの前へ出た。
「――足を、見せろ」
 いきなり屈み込むと、ディアッカの左ふくらはぎを掴んだ。
「……あ……っ……」
 途端に踏ん張りがきかなくなり、がくりと崩折れかけた体を、フラガはすかさず下から支えた。
「――いきなり、何すんだよっ!」
 抗議するディアッカを無視して、フラガは押えつけた彼の左足に険しい視線を走らせた。
「……昨日の訓練で、痛めたな。――無理をするなと言っただろう」
「……何ともねえよ!あんたが今押さえつけたせいだろう……っ、てて……」
 昨日の訓練時に、相手に左足を引っ掛けられた。それまでも無理を重ねていた、完治しきっていない左足の傷がそれをきっかけに再び疼き始め、昨夜は痛み止めを飲んで寝た。
 朝になると、腫れは少し引いていたが、まだちりちりと痛みは続いていた。まずいな、と思ったが、あのウォルマーに診せるのはどうも気が進まず、そのままモビルスーツに乗った。
 痛み自身は堪えられない程のものでもないので、大丈夫だろうと思っていたが、先程のモビルスーツ戦で知らないうちに左足に相当な負荷がかかっていたのかもしれない。
 フラガに触れられた瞬間、忘れかけていた痛みが再びぶり返してきたようだった。
 まずかったかな、と左足を見ながら舌打ちをする。
 立ち上がりかけて、思いのほか痛みが走ることに驚いた。
「……息も上がっている。自分で気付いてないのか」
「え……」
 フラガの眼は依然として険しかった。
 自分を心配してのことだとはわかっていても、嘘を見抜かれた子供のように、鋭く貫くような視線に落ち着かなくなり、自然と目を逸らした。
「――わかったよ。後で医務室に……」
「今すぐだ」
 そのまま、有無を言わさず抱え上げられて、ディアッカは慌てた。
「ちょっ――何するんだっ!下ろせよ!俺、歩けるって……!」
 にやにやして眺めているスティングの顔が視界に入ると、恥ずかしさにかっと頬が熱くなった。
「――恥ずかしがってる場合か。女じゃあるまいし、誰も見てねえよ」
「いや、でも、おいっ……!」
 お姫様抱っことまではいかなくても、尻を掴まれて肩に担がれていく姿は十分に格好悪い。しかし、下ろせとじたばたもがきながら連れて行かれるのもさらに惨めな光景だった。
 脱力すると、諦めてされるがままになった。
(ああ、くそっ、いいや。もう……っ!)
 フラガの背中に顔を預け、恥ずかしさに顔を伏せながら、それでもこんな風に自分を心配してくれる誰かがいることが、少し心地良い気にもなっていた。
 燃えるように熱い頬が、羞恥のせいだけではないことに、ディアッカは気付いていなかった。





 一度ベッドに横たわると、一気に体が重くなり、再び体を起こす気になれなくなった。
 何だかひどく疲れているな、と実感する。
 ディアッカを医務室まで運び込むと、フラガはウォルマーと二、三言葉を交わした後、そのまま出て行った。
 ちょっと待て、と言いたいのを堪えて、ディアッカはベッドの上に身を横たえたままじっとしていた。
 頭が重く、全身が微かに熱い。
 急に思考の働きが鈍くなったかのようだった。
 ぼんやりとした瞳で、ウォルマーがきびきびと診察している様子を他人事のように見ていた。
 こうしていると、病院にいた頃と大差ないような気になる。元々ウォルマーが彼の担当医だったのだから。
(あの時はまさかこいつがこんな下種な野郎だとは思いもしなかったけどな)
 そう思いながらも、今はもう怒りは湧いてこない。
 むしろ、相手に言いように嵌められた自分の滑稽さを笑うばかりだった。
 しかしここまで来た以上、仕方がない。自分で選んだ道だ。もはや引き返すことのできない――。
 イザークの顔がちらと脳裏を過ぎったが、すまないと思いながらも、後悔や未練はない。
 今はなるようになれ、といった気持ちだった。
「――骨は大丈夫そうだな。固定するほどでもなさそうだ。痛みは少し続くかもしれないが、薬で何とかなるだろう。――それより、少し熱があるようだ。痛み止めと一緒にこの解熱剤も飲むといい」
 そう言うと、ウォルマーはカプセル剤と水の入ったコップをベッド脇のテーブルに置いた。
 気だるげに起き上がる彼の姿を眺めながら、医師は苦笑した。
「――ここへ来てから、ずっと連中の相手をさせられっぱなしだろう。……疲労じゃないのか。どうしてわざわざ進んで自分を痛めつけようとするのか、わからないな。そんなことをしていると、体がもたないよ」
「……だから、思ってもいねえくせに、親切ごかしなこと言うなって」
 錠剤を水で一気に胃へ流し込んだ後、ディアッカは相手の顔も見ないまま、そう吐き捨てた。
「あれれ、心外だね。これでも心からきみのことを心配して言っているのに……。ああ、きみの身に何かあれば大佐に殺されるから言ってるんじゃないよ。きみが私たちにとって大切な人質だから、というわけでもない。純粋に一人の友人として心配しているつもりなんだけどな。と言っても、まあきみには理解してもらえないだろうが……」
 取り澄ました様子でしゃあしゃあと言ってのける男を斜めに見て、ディアッカは軽い吐息を吐いた。
「――今さらだけど、ほんとやな性格だな、あんたって」
「まあ、どう思ってくれてもいいが……性格については、取り敢えず否定はしないよ」
 ウォルマーはにこやかに返した。
「……で、どうだい、彼らは?――きみたちが想定している『ナチュラル』とは違うだろう。そして当然『コーディネイター』でもない。手応えは、どうだった?」
「……今さら聞くかよ。最初っから分かってるくせに……あんな人間離れした奴らに勝てるわけねえだろ」
「人間離れ……か。そうだな。彼らは普通の人間を遥かに超えたレベルに肉体を改造された強化型だ。しかも、普通の人間が感じるような痛みや疲れを全く感じない。感情すら、持つことはないだろう。実に理想的な、戦闘マシンだよ。彼らの前では、優秀な頭脳と肉体を誇るきみたちコーディネイターも、『ごく普通の人間』であるに過ぎない」
「……化け物が嫌いなくせに、自分たちの手でさらにその上をいくような化け物を造り出したってわけかよ。……わかんねーな」
 皮肉を込めて呟いたディアッカを、ウォルマーの刺すような鋭い眼差しが射抜く。
「……目には目を、ということさ。今に、わかる」
「そうかい。――けど、気を付けた方がいいぜ。人間は神にはなれない。俺たちがそれを証明しただろう?」
「……認めるわけか。自分たちの過ちを」
「俺たちだけの過ちじゃねえだろ?――てめえらは、どうなんだよ?」
 ディアッカも負けずに睨み返した。
「優性種を妬み、憎み、一方的に排除しようとした、おまえらは、何だよ……!おまえらのどこに正当性がある?あれだけ多くの人間を無差別に殺しておいて、俺たちだけに責任をなすりつける気か?だとしたら、おまえらナチュラルはやっぱり最低の屑野郎共だ!」
 凍りつくような沈黙が降りた。
 いつの間にか、ウォルマーの皮肉の笑みが冷たい憎悪の眼差しに変わっていた。
「……きみは、自分の立場がわかっていないようだな」
 ウォルマーはゆっくりと口を開いた。
「……きみは、ここでは我々に『生かされている』に過ぎない。もう少し口の聞き方に気を付けた方がいい」
「ようやく本音が出たな。最初からそういう風に言ってればいいんだよ」
 ディアッカは、唇の端を緩めた。挑戦的な眼差しが、相手の冷えた瞳とぶつかる。
「――殺したいなら、やれよ。できるもんならな」
 それができないとわかっていて、わざと煽るように言う。
 忽ち相手のこめかみが引き攣るのが見てとれた。
「貴様――……!」
 一瞬瞳が危険な輝きを放つ。
 しかし、爆発するかと思われた寸前、彼はぴたりとその動きを止めた。
「……………っ…………!」
 強張った顔に、苦悶の表情が走る。
 今にも倒れるのではないかと思うほど蒼白な顔を前にして、ディアッカはぎょっと目を見開いた。
「……おい、どうした……?」
 ディアッカは思わず立ち上がり、相手の肩に手をかけようとした。
「――………………!」
 ディアッカの手が触れようとしたその時、ウォルマーは、はっと我に返った。
 触れかかった手を軽く払いのけると、ウォルマーは一歩退いた。
「……おい……?」
「――何でも、ない……」
 まだ青ざめた顔を見ると、何でもないとはとても思えない。
「……とにかく、もうよそう。今、きみとこんなことを言い合うのは無意味だ」
 平静を装ってはいるものの、どことなく弱々しさを感じさせるような語調だった。
 ――一体どうしたというのか。
 先程までの険悪なやり取りも忘れてしまったかのように、ディアッカは困惑した面持ちで相手を見やった。
「あんた、どこか、悪いんじゃねえのか」
「何でもないと言っているだろう!――人のことを構うより、自分のことを先に心配しろ」
 端整な顔を僅かに皮肉に歪めながら、ウォルマーはふいと顔を背けた。
 彼は白衣を脱ぎ、それを椅子の背にかけると、そのまま扉口へ向かった。
「――あ、おい!どこ行――」
「――すぐに戻る。……この部屋は開けておくから、きみは好きなだけ休んでいればいい――」
 その言葉が終わらないうちに扉が閉まる。
 ディアッカは、釈然としない顔で軽く溜め息を吐いた。
 そのまま再びベッドの上に体を落とし、仰向けに横たわる。
 熱は、とうに引いていた。
 その代わりに、悶々とした思いだけがいつまでも胸の奥に燻っていた。
(……何なんだよ、あの野郎……)
 そう思って、いや、と頭を振った。
(――馬鹿じゃねーか、俺は……)
 確かに奴の言った通りだ。
 自分が気にするようなことではない。
 自分には関係のないことだ。
 自分が気にしなければならないことは、もっと他にあるではないか。
 それはわかっている。
 わかっているつもりなのに、いつまでもさっきのウォルマーの苦しげな顔が、頭から離れようとしなかった。

                                     to be continued...
                                        (2013/04/04)

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