Blue Rain (5)
――もう一度、会おう。 別れ際に、フラガは、そう言った。 彼の言葉が、未だに耳の奥に残って離れない。 (……なんか、ヘンだったな……) 何が、どうヘンなのかはわからない。 ただ、何となく……半分以上は直感的なものだ。 フラガと一緒にいる時間は、さほど多くはない。 しかしそれでも、AAにいた頃より、『親密度』はかなり増した。 ――こんなつもりじゃなかったのに、な……。 親密度、という言葉の中に含まれる深い意味を噛み締めながら、ディアッカは軽く嘆息した。 不意に目の前にカップが突き出された。 驚いて目を上げると、カップを持つ手の先にむっつりとした上官の顔が見えた。 「あ……悪ぃ」 コーヒーの入ったカップを取ると、相手はそのままディアッカの向かいに腰を下ろした。 コーヒーをすする端整な面を真正面から眺めながら、機嫌が悪そうだな、とひそかに肩を竦めた。 それもそうだろう。 今日は朝からぼんやりとしていた。我ながら集中力に欠けていたと思う。 先週、フラガと会って帰った直後、イザークと交わした会話は意外に尾を引いた。 あれ以来、イザークはその件については一言も触れようとはしなかったが、却ってそれがディアッカには気になり、二人の間にはやや気まずい空気が流れていた。少なくとも、ディアッカにはそう思えた。 そして、もう一つ、彼には気になっていることがあった。 それが、あの『もう一度会おう』という言葉だった。 時間が空くと、つい考えてしまう。 連絡する、と言いながら、あれ以来携帯は沈黙したままだ。 いっそこちらから連絡してやろうか、とも思いながら、それでもやはり自分から積極的に切り出すのは具合が悪いような気がした。 そうしているうちに、三日が過ぎた。 そして、やはり今朝の合同軍事演習の打ち合わせにおいても、ディアッカはぼんやりとした頭を二回は小突かれた。 二人きりになったときにはさぞや爆弾が炸裂するだろうと恐れていたのだが、意外にもイザークは何も言わなかった。 最も、ここが地球連合の施設内であるということと、その中でザフトの制服を着た者の一挙手一動作が常に多大な好奇と関心の下に晒されているという状況にあって、たとえ部下にとはいえ、白服を着たザフトの隊長クラスの人間が大きな声を出して怒鳴り散らすのはさすがに体裁が悪いと思ったのかもしれない。 「目は覚めたか」 背後で談笑が飛び交う中で、イザークの声ははっきりと頭の芯にまで響いた。 「――まあ、な。さすがに……」 ディアッカはきまり悪げに笑った。 「……けど珍しいな。隊長がこういうことしてくれるのってさ」 カップを軽く持ち上げて、熱いコーヒーを啜ると、カップ越しに相手がじろりとこちらを睨むのが見えた。 「部下が気を利かさんからだ!」 吐き捨てると、イザークは拗ねたようにそっぽを向いた。 「……失礼ですが、ザフトのジュール隊隊長は、こちらで……?」 突然声をかけられて、イザークは不審気に目を上げた。 ディアッカも、声をかけてきた人物の姿を見ようと首を伸ばした。 まだ年若い男だった。年は彼らとほぼ同じか、少し上くらいだろうか。 連合の軍服を着ているが、士官クラスではない。 モスグリーンの短髪に、鋭く切り込むような瞳。その面を見て、ぎくりとする。 生々しい皮膚の縫合跡が、彼の元は決して悪くはなかったであろう容貌を醜く歪めていた。恐らく何度も手術を繰り返したのだろう。未だ赤黒い焼け跡の残る皮膚と、移植されたであろう皮膚の色がくっきりとわかる。まるでつぎはぎだらけの襤褸布のようだった。 どことなく歩き方に違和感があると思ったら、どうも片足は義足らしい。 これは酷いな、とディアッカはさりげなく目を逸らした。 恐らくは前線で、余程酷い傷を負ったのだろう。まさに九死に一生を得た、といったところなのだろうが……。余程強運を背負った男なのか。 ――同じような奴を、俺は知っている。 ふと、目の前を別の人間の面影が過る。 我に返ると、慌ててその幻影を振り払った。 「――イザーク・ジュールは私だが……」 「お目にかかれて光栄です、ジュール隊長」 男は軽く敬礼した。 「――で、貴官は?」 「ブラッド・オークランド少尉です、隊長。……明後日の演習で新型に乗るパイロットです。お見知りおきを」 男の目が軽く眇められた。 ――パイロット? この男が……と、ディアッカは驚きの目を向けた。 この体でモビルスーツを乗りこなせるのだろうか。 思わず不躾な視線を送ってしまう。 イザークは訝しむように顎をしゃくった。 「初めて聞く名だな。……先のリストには載っていなかったぞ」 「申し訳ありません。急な変更がありまして。……ところで、ザフトの新型機に試乗するのは、隊長自らという噂を聞きましたが――」 「いや、私は乗る予定はない」 「では、誰が?」 イザークは無愛想な目で相手をじろりと見返した。 「誰が乗るかということが、そんなに重要なことなのか?」 「重要ですね。パイロットしては気になります。特にザフトのエース級のパイロットの一覧はこの頭に全てインプットされていますからね」 オークランドはそう言うと、軽く笑った。 「その中に私のデータも入っているのか。光栄だな」 「――勿論ですよ。元クルーゼ隊といえば、当然でしょう……」 久し振りに耳にする響きに感じる懐かしさと、今目の前にいる男の口からそれが出てくる違和感が、ディアッカを軽く混乱させる。 「……誰が乗るかは、まだ決めていない」 「冗談でしょう」 「誰が乗るかなど、たいしたことではないからな」 イザークは平然と続けた。 「我々は、特殊技量を要するようなご大層な機体は造っていない。期待に添えなくて、残念だがな」 「――そうですか……。たいしたことでは、ありませんか……」 オークランドはちらりと視線をディアッカに向けた。 「――なら、そこの緑服の副官殿が試乗するということも、あり得るわけですね」 軽んじた口調が、わざと相手を煽るような恣意を感じさせる。 しかしディアッカはそう簡単には煽られはしなかった。 これくらいの言葉なら、許容範囲だ。軽く流してしまうことは容易い。 「――私はそれでもいいですがね。パイロットが元クルーゼ隊の、ディアッカ・エルスマン、というのもね……」 「へえ、俺のデータもインプット済みなんだ?」 ディアッカはにやりと笑った。 「何?そんなに元赤服に興味ある?あんた、その道のマニアか何か?」 「ディアッカ!」 イザークは軽口を叩くディアッカにきつい視線を送ると、佇む青年を挑むように見返した。 「もうたくさんだ。悪いが、これ以上無駄話に付き合っている暇はない。――行くぞ」 コーヒーカップをトラッシュボックスに投げ捨てると、イザークは立ち上がった。 それ以上青年の方には一顧だにせず、彼は談話室の扉へ向かった。 「あ、ちょっと待てよ、イザーク!」 ディアッカも後を追おうとして立ち上がる。その傍に、オークランドはすかさず擦り寄った。 「――『鷹』に会ったら、宜しくな」 素早く耳打ちされた低い囁きに、ディアッカは愕然とその場に縫い止められた。 不意打ちを喰らって、一瞬言葉を失う。感情を抑制する暇もなかった。 「……な……――!」 大きく見開かれた目を、相手の方へ向けようとしたときには、既にオークランドは彼の傍から離れ、反対側の扉から姿を消すところだった。 それを見送りながら、今囁かれた言葉の意味を、彼は必死で探ろうとしていた。 彼の携帯が鳴ったのは、ちょうどそのときだった。 「――また、出るのか」 厳しい声に振り向くと、険しい顔をしたイザークが背後に佇んでいた。 「何?見張ってたわけ?」 軽い苛立ちを抑え、ディアッカは薄く笑った。 ひっそりと部屋から出てきたつもりだが、相手にはお見通しだったようだ。 「――今はプライベートな時間だろ?」 「……この間も言っていたと思うが、おまえ自身の立場を考えろ。これ以上くだらん噂を広めるな」 「わかってるよ。自分の始末くらい、いつでもできるさ」 「おい、ディアッカ!」 イザークは声を荒げると、動き出した肩を後ろから掴んだ。 「まだ話は終わってはいないぞ!」 「――何だよ。うぜーな」 ディアッカは、イザークの手を荒々しく振り払うと、彼にしては珍しく険悪な目で相手を睨みつけた。 「……まだ何かあんの?俺、急いでんだけど」 「わからんのか?俺は行くなと言ってるんだ!」 イザークも剥きになって、再び相手の肩を引き戻した。 「上官命令だ!地球にいる間は外出を禁止する!」 「勤務時間外だぞ。命令すんな!」 突然始まった二人の激しい言い争いに、ロビーにいた他の兵士や軍関係者が忽ち驚いた視線を向ける。 ほら見ろ、逆に目立っちまってるじゃねーか、とディアッカはイザークを本気で殴り飛ばしたい気分になった。 そしてそんな風に思う自分の荒々しい感情に、自分自身驚いてもいた。 こんな風にイザークに対して怒鳴りつけるなど、彼にしては滅多にないことだった。自分でもなぜこんなに興奮しているのかわからない。だが、どうにも気持ちが昂ぶって仕方がなかった。 「ディアッカ、貴様……っ!」 「――放せよ。人が見てる」 イザークの手を掴み、肩から引き離す。 「……ディアッカ……」 「――すぐ、戻るからさ……」 それだけ言うと、ディアッカは相手に背を向けた。 (何で、こんなに俺はイラついているんだ?) 歩きながら、先程の自分自身の言動を思い返して軽い自己嫌悪に陥った。 (……『鷹』によろしくな) あの、男。 あれは、フラガのことを指しているに違いない。 (あいつはなぜ、俺にあんなことを言ったんだ……?) 自分は相手とは面識はない。 間違いなく、初めて見た顔だ。 なのに、向こうはこちらのことを全部知っているのだ。 ――俺が、フラガと会っていることまで……。 (冗談じゃねーぞ!) くそっ、とディアッカは胸の内で毒づいた。 何で、こんなプライベートなことを、見も知らない奴が知っている……? もしかすると、どこかで自分たちの行動を逐一見張っている者がいるのか。 イザークの話を重ね合わせて、ふと思った。 ――何のために? なぜ、俺とフラガのことを探る? ……背筋をひやりと冷たいものが通り過ぎる。 (フラガ……) 何か見えないものに少しずつ取り込まれていく恐怖を、そのときディアッカは漠然と感じていた。 to be continued... |