Blue Rain (8) 「……イザーク」 「――何だ」 演習場の観覧席に腰を下ろしたイザークは、正面を向いたまま、傍らにいる彼を一顧だにしようとはしない。 ディアッカは困ったように頭を掻いた。 「――あの、さ……昨日のことだけど……」 「――公務中だ。私的な会話は慎め」 ぴしゃりと遮られると、それ以上何も言えなくなった。 (まあ、いっか……) 諦めて、ディアッカは口を噤んだ。 ――昨日宿舎に帰ってから今まで、結局イザークとは私的な言葉は一言も交わしていない。 言い訳も一切聞く耳は持たないといった姿勢なのか、昨日のことは全てなかったものと割り切っているのか、その辺の相手の心の内が、今ひとつディアッカには掴みきれなかった。 ただ、こちらはそれほどきっぱりと割り切れるものではない。 正直、大変気まずいのである。 元はこちらが悪いのであるから、自業自得と言われればそれまでだが……。 ――謝りたい、と思っていた。 顔を見たら一番にそうしようと思ってはいたのだが……。 朝、顔を合わせた瞬間、口を開こうとしたまさにそのとき、他の隊員に邪魔をされた。 切り出すタイミングを見事に失い、頭の中で必死に考えていた言い訳めいた言葉や謝罪の台詞も全て綺麗に消え失せた。 ……そうして、現在に至るというわけだ。 (けど、やっぱ、まずいよなあ……) 恐ろしいほど静かなイザークの姿を目の当たりにして、ディアッカは余計に落ち着かなかった。 空を見上げると、実際に空の雲行きも怪しい。 (ほんと、気象コントロールできねえのって不便だよなあ) ディアッカはひそかに嘆いた。 演習のときくらい、すきっと晴れて欲しいものだ。 雨が降れば視界も悪くなるし、見ている方も鬱陶しい気分になる。 いつもならこういう際に、すぐに何だかんだと文句を言うであろうイザークが沈黙を保っているのも、不気味だった。 (こりゃ相当怒ってるなあ……) ディアッカは、横目で隊長の無表情な面を見ながら、小さく溜め息を吐いた。 「――エルスマン、ちょっと」 そのとき、背後から遠慮がちな声がかかった。 「……ん?どうした」 振り返ると、困った顔の若い兵士がそこに佇んでいた。 「……実はその……こちらの出す新型機のテストパイロットなんですが……」 歯切れの悪い語調に、ディアッカは苛立った。 「早く言えよ。どうしたんだ?」 「はあ、それが……」 彼は一層困惑を露わにした。 「――見つからない、のです……」 「は?」 ディアッカは唖然と相手を見返した。 「見つからない、って……」 「ですから、どこにも、その……」 「――何……おまえ、まさか寝ぼけてんの?」 「……いっ、いえ、そんなことは……っ!」 かわいそうなくらい首を縮めた士官は、そのままの姿勢でぶんぶんと激しく首を振った。 「……ちょっ……嘘だろ、だって、もう演習始まるじゃねーか?何でもっと早く言わねえんだよっ!」 自ずと声が荒立つ。 「はっ、はいっ!申し訳あ、ありませんっ!……不測の事態でありまして、その……っ――こちらもつい先程まで全くそんなことになっているとは、本当に……っ……」 「おいおいおいおい……っ!」 どういうことか、わからない。 パイロットが行方不明、だと。 誘拐?逃亡? まさか―― (雇われってわけでもない。まがりなりにも正規の軍人だぞ。そんなことあり得ないだろう?) 軽く混乱する頭を抱えるディアッカの横で、身じろぎする音が聞こえた。 「――止むを得ん。ディアッカ、貴様が乗れ」 こちらを見つめるイザークが有無を言わさぬ口調で、そう命じた。 「……え、けど、俺は……」 モビルスーツに乗ること自体はたいしたことでもない。 そもそも、戦後の協定により、一定の規準を超える、いわゆる『著しい殺傷能力を持つ兵器類』の開発は厳しく制限されている。そのために、こうして定期的に合同軍事演習の名を借りては、双方に違反行為がないか、その動向を探り、牽制しあっているわけだ。 従って、新型とはいっても当然旧型に性能上の改良を若干加えた程度だし、データは全て頭に入っている。他の者はともかく、自分の技量で乗りこなせないほどの難しい機体でもない。 ただ、彼は今この場を離れることに軽い抵抗を感じた。 自分がここにいるのは、イザークの身辺を警護するということも兼ねているわけで……。 先程まで気まずいと思っていたことなどすっかり忘れて、ディアッカはイザークをまじまじと見返した。 「他の奴の急場凌ぎでは頼りにならん。演習とはいえ、ザフト軍が地球の連中の前で無様な姿を晒すわけにもいかんだろう」 上官口調でそう言われると、反論もできなかった。 「それに……」 イザークはそこで少し声を低めた。ディアッカにだけ聞こえるように、顔を僅かに傾げる。 「――覚えているか。昨日話しかけてきた、あいつ――」 そう言われて、すぐに思い当たった。 ――そうだ。 あのとき……。 (……あの野郎。確か最後に、『鷹』に宜しく、とか何とか言いやがった……) 「……俺の勘だがな。奴は何か仕掛けるぞ」 冗談とも思えぬ言葉に、ディアッカは思わず顔を強張らせた。 「――何か、って何だよ」 イザークは眉根を上げた。 「それがわからんから、問題なんだ!」 「……おいおい、だから俺に押しつけるってか?それって酷くねえ?」 とはいうものの、例の男の言動に関しては、彼も気になってはいたことだ。 何も起こらないに越したことはないが、仕方がない。 (ここはひとまず防波堤になるか) ――そういや、あの野郎…… ふと引っかかった。 (新型に俺が乗るのか、と聞いていたな) ディアッカは眉を顰めて、反対側に待機している旧地球連合軍のモビルスーツへと視線を向けた。向こうも勿論、機体自体は目新しいものではない。戦時中に使用されたタイプに改良を加えたものだ。装甲を見ていると、かつて自分が乗っていたXナンバーを思い出し、複雑な気分になる。が、すぐに彼は軽く頭を振った。 (いや、今は戦争をしていたあの頃とは違うんだ……) 「――了解。隊長の仰せの通りに従いますよ」 口調を改め、そう答えると同時にディアッカは立ち上がった。 「おい!」 動きかけたディアッカを、イザークが不意に呼び止める。 振り返った彼の目に、イザークの厳しい視線が突き刺さった。 「――手を抜くなよ」 イザークの真剣な一言に、ディアッカは一瞬目を瞠ったが、やがて緩い笑みとともに頷いた。 「抜かねえって」 軽く手を振ると、ディアッカは観覧席を後にした。 サブスクリーンに開かれたままの個人データファイル。 金髪に、褐色の肌。濃い紫の瞳が英明な輝きを放つ。 混血種、か。地球で見るなら、さしずめ中東の王族系の容貌(かお)だな、と思い、彼はくすりと鼻先で笑った。 どんな遺伝子配合を施したのかは知る由もないが、旧時代の白人至上主義を掲げるプラントの保守派層が見れば、コーディネイター種に、『劣性遺伝子』を混ぜたと、さぞかしいきり立っただろう。しかもプラント最高評議会議員の息子だというなら、尚更だ。 しかし、データを見る限りでは、父親のタッド・エルスマン自身は白人系の出自であり、そうすると彼は母親方の血を色濃く受け継いだということなのか。 ――ま、俺は、嫌いじゃないけどね。 彼はにやりと口角を上げた。 ――ディアッカ・エルスマン、か。 軽く会話を交わした時の様子を思い出して、彼はくく、と忍び笑いを漏らした。 面白いほど、誘いに引っかかってきた。 戦時中はあっさりと敵に投降して、ザフトを寝返り、連合の艦で戦っていたというから、たいした曲者野郎だと思っていたが、実際に目の前で相対してみると、雰囲気は想像とは少し違っていた。 思ったよりも感情がストレートで、わかりやすい奴だな、という印象だった。 特にあの、最後の自分の言葉に対する奴の反応。 (予想以上だ) 『鷹』という言葉が飛び出したときの彼の呆気に取られた顔を思い浮かべて、彼は満足気に目を細めた。 しかしもう一人に意識を移すと、彼の目はやや険を帯びた。 (あの隊長……) イザーク・ジュール。 少し試してみたいと思って声をかけてみたが、意味深長ともとれる自分の言葉をさらりと受け流し、付け入る隙も見せなかった。 奴こそ、案外曲者かもしれないな、と思う。 いったん軍を裏切った男を復官させ、しかも再び自分の腹心に置くというのは、どういう心境なのだろうか、と彼は銀髪に囲われた美麗な顔を脳裏に再現し、皮肉げに唇を歪めた。 綺麗な顔だった。 初めて見た瞬間、まるで女ではないか、と感嘆するより、まず呆れた。 どれだけの優性遺伝子を配合すれば、あれほど美しい貌を造り出すことができるものなのか。それとも、あれはただ偶然の産物だとでもいうのだろうか。いずれにしろ、造形の点では、まさしくコーディネイターとしては、最高のモデルになりそうだ。 (ああいうのを軍人にする、っていうのは間違ってるだろう?) 冷やかに考えながらも、その造形美が単にお飾りというだけで軍に所属しているわけではないことは、無論彼も十分認識していた。 ただ、忌々しいだけだ。 世の中にああいう奴らがいるということに。 同じように、人工的に造り出された存在でありながら、奴らには生まれながらにして与えられた特権がある。 自分の意志で自由に行動し、その生を享受することがきるという、自分たちには決して許されぬ、その羨むべき自然の権利を……。 彼は灯の入っていないコンソールパネルに映る自分自身の姿を見た。 モスグリーンの髪に、同系色の瞳。白い肌。 醜い傷痕さえなければ、この顔も決して悪い造作ではない筈だ。 自分はまだ、若い。せいぜい二十代半ばくらいだろう。自分自身の年齢はわからない。年を数えることは、とうにやめていた。あるときから、それまでの記憶が全て抜け落ちてしまったからだ。 それが肉体の改造時に、脳内を弄られたせいだということはわかっている。 それでも、特にそれを苦にしたことはない。どうせ、たいした生き方をしてきたわけではないだろう。 そんな過去に意味はないし、どうでもいいことだと思っていたので、特に気にもならなかった。大事なのは、それからの記憶だ。あの組織に所属してからの記憶。それが自分の生きてきた全てなのだから。 彼は、唇を舐めた。 壊れた記憶の破片を、繋ぎ合わせる。 時を巻き戻そうとしているわけでは、ない。 そんなことは、不可能だ。 ただ、自分が求めているのは―― 何らかの、代償、だ。 自分がこれまで戦ってきた中で、支払わされてきたもの全てに相当するだけの代価となるもの。 それを手に入れなければ、どうしても、収まらない。 自分が今ここに生きている意味すら、なくなる。 (ネオ・ロアノーク……) ――あの男が、まだここに、いる。 彼はぎり、と歯を軋ませた。 それを知ったとき、目標が変わった。 (しかも、ザフトの坊やと仲良くお付き合いしてる、なんてな) まあ彼らの私的な秘め事などにはさらさら興味はないが、利用価値はある。 あの男にとって、自分は既に死んだものでしかないだろうが。 (それでも、俺はあんたを忘れちゃいないぜ) 自分と同じように、死の扉を開けそこなった存在である彼を、果たして相手はどう見るだろうか。 お互いにそう時間はないだろう。 (同病相憐れむというやつか。それとも、同士討ち、ってのになるかね、最悪――) 自分が何をしようとしているのか、何を望んでいるのか、時々わからなくなる。 しかしどうでもいいさ、と思う。 「――俺はただ、面白い花火を打ち上げたいのさ」 彼は呟いた。 (幽霊となっても、俺は最後まであんたに付き纏ってやるからな) 彼は胸の中でそう付け足すと、けらけらと笑った。 「……さって……そろそろ時間だな」 パネルの中央の時計表示を見て、彼は目を細めた。 サブスクリーンを切り替える。 今度はそこに観覧席の光景が映った。ズームアップすると、後ろの方にザフトの軍服を着た一団が見える。 レンズがその中の一角を捉え、さらに拡大する。 銀髪の隊長。その傍に、先程までいた筈の男の姿は、いつの間にか見えなくなっている。 彼はそれを確かめると、満足気ににやりと口元を引き歪める。 (どうやら、うまく運んだらしいな) 彼の計画は、既に始動していた。 「さあ……早く出てこいよ」 自動通信回線が開く。 〈演習開始5分前。スタンバイ、レディ〉 「ラジャー」 口笛混じりに呟くと、彼は操縦桿を握った。 発進直前のこの瞬間が、一番好きだ。 ついでにいうなら、これが実戦なら申し分ないのだが、そればかりは仕方がない。 (だが、それも時間の問題だけどな) 彼はひそかにほくそ笑んだ。 まだ終わってはいない。 まだ、何も終わってはいないのだ。 彼には、それが見えていた。 この世界に渦巻く悪意。 火種を見つけるのは、造作ないことだ。 そしてそれを少しだけ突いてやれば、いい。 誰がそれをするかは、神のみぞ知る、だ。 そしてその後世界がどうなるのか……。 (そんなことは、知ったことじゃねえけどな) そう思ったとき、コンソールパネルに一斉に灯がついた。 駆動音が高まる中、彼の瞳は真っ直ぐに、遠くにいるその獲物に向けて、狙いを定めていた。 to be continued... |