Blue Rain (9) コンソールパネルに灯がついた。 モビルスーツに乗るのは久し振りだ。 コクピットを揺らす機械の振動に、肌が粟立つような震えが走る。 ディアッカは、ごくりと唾を飲み込んだ。 (俺……馬鹿か。何緊張してんだ?) 頭を軽く振って自分自身を叱咤する。 戦争が終わると、軍人とは用なしになってしまうものだな、とひそかに苦笑した。 平和な公官生活で、すっかり頭も体もなまってしまっている。 ――かつて前線で戦っていた、あの頃。 降り注ぐ弾丸やビームの雨をかいくぐり、必死で戦った。 殺らなければ、こちらが殺られる。 他者の命を奪うことが、当たり前になっていた。 友が目の前で命を散らせていくのを見ながら、救うことすらできず、己の無力さを思い知らされ……。 戦場で、生と死が隣り合わせであった頃の、あの緊迫感を思い出せ。 閃光が、頭の奥で弾けた。 フラッシュバックに、どきりと心臓の鼓動を高ぶらせる。 大切な人を一瞬で奪い去る、無慈悲な光。 「……くそっ、何で今さら……」 ディアッカは微かな苛立ちを感じて、拳をコンソールに軽く叩きつけた。 (――戻ってきたじゃんか) あの人は……。 あの瞬間の絶望と痛み。 胸を抉られるような、あの―― あんな感覚は、たぶん、あれが最初で最後だ。 そんな気すらさせるような……。 「――エルスマン?レディ(Ready)?」 回線から畳みかけるように聞こえてくる事務的な声が、彼を一瞬の追想から我に返らせた。 「……ああ、いつでもOKだ」 彼は瞳を前面に据えた。 集中しなければ、ならない。 余計なことを考えている場合では、ない。 たとえ、模擬戦闘であったとしても……地球の奴らに無様な姿を晒すわけにはいかない。 常にザフトは優秀な軍隊であることを世界に知らしめる必要があるのだ。 (……ま、少なくとも、隊長の前では、な……) 美しい面をしかつめらしく構えて、観覧席で自分の隊の動きを眺めているであろう白服の士官の姿を思い浮かべて、彼はくすりと笑った。 みっともない動きをすれば、後でひどい叱責を食らうことだろう。 それだけは勘弁願いたいな、と肩を竦めると、彼は操縦桿を握る手に力を込めた。 スクリーン越しに見ても、空は先程よりさらに暗さを増してきたようだ。 微かではあるが、低い雷鳴の音が聞こえたような気がする。 ディアッカは眉を顰めた。 いよいよこれは、荒れ模様になりそうだ。 天候が崩れる前に、終わらせてしまいたいと思ったとき、ちょうど目の前に、地球軍のマークの入った白い機体が旋回するのが見えた。 「あれか……」 懐かしいフォルムだった。 戦時中、オーブのモルゲンレーテ社が密かに開発していたGタイプだ。 それを見ると、自ずと別の機体が脳裏に浮かんだ。 (バスターか……懐かしいな) 地球軍から奪った機体を始めて動かした時の高揚した気分と、抜群の機動性が腕にしっくりと馴染んだ瞬間のあの何ともいえない爽快感が胸に甦る。 あの戦争の期間、生死を共にした機体だった。 強奪したものとはいえ、十分愛着があった。 もう一度乗ってみたいな、などと思った途端、そんな自分に我ながら呆れた。 (――おいおい、なに感傷に浸ってんだよ、おれ) もう戦争は御免だぜ。 無駄に人が死ぬのを見るのは、こりごりだ。 (こっちは今いち冴えないが、まあ、いいさ) たとえ形式的なものであろうと、平和維持のためのデモンストレーションには、これくらい平凡な機体でちょうどいい。 機体は平凡でも、パイロットの技量としては決して引けをとるつもりはない。 まあ適当に遊んでみるか。 緊張を解き、軽い気持ちで操縦桿を握った彼の前に、白い機体が迫った。 機体の眼が、不穏な光を放ったように見えた。 (――何……!) その瞬間、凄まじい振動が、彼の体を芯から揺すった。 「ちょ……待てよ……」 速い。 何が起こったのか、わからなかった。 突き上げてくるような衝撃に、思わず前のめりになる。素早く操縦桿を引いた。 (どこだ……!) 出遅れた、と悟った。 くだらない考え事に時間を取られた隙に。 ディアッカは瞬時に後悔し、同時に自らの神経を研ぎ澄ませた。もうこれ以上相手に付け入られる訳にはいかない。 機体を回転させる前に、背後につけられた。 振り切ろうと高度を上げる。 しかし相手もぴったりと高度を保って、離れない。 上空で再び交戦する。 至近距離から降りかかってくるビームサーベルが焼けるような熱線を放つ。 同じくサーベルで迎撃しながらも、違和感を感じずにはいられなかった。 (何だ、こいつ……) エネルギー出力のゲージレベルを上げ過ぎていないか。 もはや、模擬戦闘などといえるものではない。 サーベルが交叉する瞬間の手応えは実戦並みだ。 確かに機体の性能もあるだろうが、パイロットの技量についても並々らぬものを感じる。 それにしても、交戦する際に受ける衝撃の度合いを見ても、ただの模擬戦にしては、いささか激しすぎるような気がした。 この機体は、近接戦闘には、向いていない。それがわかっていて、仕掛けてくる。相手の意図が読み取れない。 しかし、どうやら遊びなどと言っている余裕はなさそうだ。 交わしそこなった熱線が、装甲を僅かに焼いた。 危ういところで機体を反転させる。 (おい、冗談じゃねーぞ) コクピットの中で、ディアッカは冷や汗を拭った。 この、感じ。 覚えがある。 前線にいた頃に感じたものと、同じだ。 ディアッカは戦慄を覚えた。 演習、ではない。 彼は、突如悟った。 今や相手から感じるのは、敵を排除しようとする、明確な殺意でしかなかった。 (何のつもりだ……) ――奴は何か仕掛けるぞ…… イザークの言葉を思い出し、ディアッカは思わず操縦桿を握り直した。 例のパイロットの顔が浮かび上がった。 不遜に笑っていた、男の挑むような眼。 嘲笑の奥に、殺意と憎悪を抑え込んだ、冷やかな光。 しかも、奴は、『彼』を知っている。 (奴は……) ――誰なんだ。 そう思ったとき、相手の動きが急に変わった。 旋回し、急降下していくその先には―― それに気付くと、彼ははっと顔色を変えた。 「――……野郎……ッ……!」 ディアッカは一心に白い機体を追った。 観覧席に直撃するかと思うほどの勢いで下降していったMSは、しかしそれ以上何かするでもなく、直前で再び機首を変えた。 それを見てほっとする間もなく、次にディアッカの中に湧き上がった感情は、純粋な怒りだった。 (……馬鹿にしやがって……っ……!) ふざけるにも程がある、と思った。そんな相手に振り回されている自分にも、腹が立った。 いや、しかし―― と、彼は疑問を抱いた。 ふざけている、のではなかったとしたら。 この意図的な悪意は……。 『――よう、驚いたかい?』 通信回線が、不意に開いた。 突然聞こえてきた声に、ディアッカは息を飲んだ。 「……て、めえ……っ……」 やはりあの時声をかけてきた男だ、と確信した。 「――ふざけた真似しやがって……。どういうつもりだよっ!」 『……ふざけているわけじゃない』 揶揄しながらも、その声に笑いは潜んでいなかった。 ディアッカは緊張感が走るのを感じた。 「……何……?」 『――次は、本気だ』 モビルスーツの腕がゆっくりと動き、サーベルの矛先が観覧席に向けられる。 「……おい、何を――」 『……ぶっ潰すぜ。あの綺麗な顔したあんたの上官ごと、な』 「…………っ!」 あまりにも淡々と宣言する相手に、ディアッカは絶句した。 相手から感じるプレッシャーから、その言葉が冗談ではないことはよくわかった。 そして今の相手の機体の性能を考えれば、相手の言っている通りのことが起こる可能性は高い。情けないが、それを止め切れるだけの自信がなかった。 しかし、それでも―― 「――そんな、こと……っ……!」 ――イザークを、むざむざ目の前で……。 頭の中がかっと熱く燃え立った。 「……させるかよ……っ……!」 『――なら、その前に俺を止めてみな!』 挑発めいた台詞を残して、通信は唐突に途切れた。 しかしもはや会話を交わす必要はなかった。 相手の意図ははっきりと伝わった。 (……やらせねえぞ!) ディアッカの眼は、新たな闘争の火花を散らしながら、速度を上げて離れていく白い機体を追った。 白い機体が、暗い空を舞う。 二機のモビルスーツが激突し、双方から繰り出されたビームサーベルが激しい火花を散らすと、思わず模擬戦闘であることを忘れてしまうかのような迫力を感じ、イザーク・ジュールは思わず観覧席から身を乗り出した。 「……レベルは、抑えてあるんだろうな」 傍らの青年に、念を押すように尋ねる。 「模擬戦でのエネルギー出力は規制されている筈ですが」 突然の上官からの問いかけに戸惑いを見せながらも、若い士官は判を押したような答えを返す。 当然だろう。 これは、実戦ではない。 所詮ただのデモンストレーションに過ぎないのだ。 (にしては……) イザークは眉を顰めた。 目の前で展開する両機の動きは、模擬戦の域を越えているように見えた。 (……何だ……) 胸の底が微かにざわめくような、感覚。 高度を上げていく機体の姿を追っていると、急に頭上が暗くなった。 「……隊長っ!伏せて下さいっ!」 すぐ傍にいた士官が叫ぶ声は、あっという間に機体の轟音の中に呑み込まれていた。 吹き荒ぶ風をまともに受けて、息が詰まりそうになる。 地面に伏せる前に、機体は速度を落とさぬまま、観覧席すれすれの低空飛行で彼らの眼の前を過ぎ去っていった。 再び上昇していくその後を、ザフト機が追っていくのが見えると、イザークは手摺りを掴んで前方へ身を乗り出した。 「――ディアッカーーっ!」 聞こえる筈もないのに、彼は怒鳴りつけるように、パイロットの名を叫んでいた。 「……くそっ!――おいっ、すぐに演習を中止するように言えっ!」 舌打ちすると、イザークは部下に向かって怒鳴った。 「はっ、はいっ!ただちに――……」 慌てながらも、命じられるままに動き出す士官を前に、イザークは苛立ちを隠せなかった。 「――何か、おかしい。あの機体は、一体……」 反対側で地球軍がざわめき立つ様子が見えた。 向こうも予想外の出来事に、混乱しているのだろう。 (とすると、やはりこれは――) イザークは確信を強めた。 (……あの、パイロットが……!) しかし、相手の真の狙いが何なのか、彼にはまだわからなかった。 ――テロか?まさか…… もしそうなら、一体どうやって潜り込んだものか。 地球軍の機密維持セキュリティもたかが知れているということなのか、とイザークは苦い思いを巡らせた。 頭上で爆音が響いた。 いったん離れて見えなくなった2つの機体が再び戻ってきた。もつれ合うように、ぶつかっては離れながら、2機は激しく交戦している。 『演習は中断する。直ちに戦闘を中止せよ。繰り返す。演習は中断する。モビルスーツは直ちに戦闘を止め、速やかに――』 開かれた回線を通して、演習場一帯にも、その緊迫した指示が響き渡った。 ちょうどそのとき、空を切り裂くような光が走った。 同時に、大地を揺るがすような雷鳴が轟く。 自然の雷(いかずち)に加勢されたかのように、悪鬼のごとく、明瞭な殺意をもって、白い機体が上空から攻撃を仕掛けてくる。 地球軍の陣地にぱあっと光が弾けたかと思うと、忽ち激しい爆音が響いた。衝撃はこちらまで伝わり、立っていられないほど地面が激しく揺れた。 「たっ、隊長!ここは危険です。――一時、避難を……!」 「……ディアッカに、連絡は?」 「――それが、先程から試みてはいるのですが、回線が一向に通じず……」 「……何だとっ!」 イザークは眦を吊り上げた。 若い士官に向き直り、真正面から睨みつけた。 「――何で通じないんだっ!」 「……わっ、わかりませんっ」 上官の凄んだ声に圧されて、青年はすっかり縮み上がっている。 イザークは呆然と、空を見上げた。 顔にぽつり、と水滴が当たった。 途端に、続けてぽつ、ぽつ、と大きな粒が落ちてくる。 降り出した雨は、みるみるうちに激しい豪雨となり、周囲の景色を白い靄に包んだ。 ようやく事態を収拾しようと出撃した地球軍の戦闘機が白いモビルスーツの周囲に旋回している。 しかし当然ながら、機動性といい、その攻撃力といい、圧倒的に新型機が勝っていた。 向かってくる戦闘機を難なく撃墜すると、嘲笑うように上空をアクロバット飛行さながら旋回する。 次第に距離をとり、徐々に周辺地域から離脱しようとする機体を、執拗に追うザフト機が見えた。 「あんの、野郎っ……簡単に相手の誘いに乗りやがって……!」 イザークは舌打ちすると、拳を握りしめた。 なぜか直感的に、相手の意図がディアッカの乗る機体であることがわかった。 機体……というより、もしかすると、むしろディアッカそのものにあるのかもしれない。 理由は、わからない。 しかし、先日あのパイロットと会話を交わした際の光景が目の奥に浮かんだ瞬間、彼にはそんな気がしたのだ。 あのときの、男の執拗な視線が終始向けられていた先。それは―― 改めて思い返したとき、彼ははっ、と息を飲んだ。 ――なぜ、気付かなかった? 挑戦的な言動は、まるでディアッカを新型機に乗せるように煽動するかのようだった。 もしかすると、パイロットが消えたのも、偶然ではなく……。 いつから……? 全て、あのときから、仕組まれていたのか。 相手の思う通りに……。 (……くそ、ディアッカっ……!) ――罠だ。 まんまと嵌められた。 覚束ない視界の中で、かろうじて2機の機体を認めたイザークは聞こえるべくもないとわかりながらも、声を上げた。 「――戻ってこいっ、ディアッカ――っ!」 to be continued... (2010/10/10) |