HUMILIATION  (1)





 ディアッカは、暗い独房の寝台の上で、まんじりともせず横になっていた。
『トールが・・・トールがいないのに、何でこんな奴がここにいるのよお――っ!・・・』
 さっき起こった医務室での一幕が、悪夢のように彼の頭の中で何度も何度も繰り返し再現される。
 少女の怒りに満ちた眼。
 悲しみに震えるその緑の色が・・・彼にはどうしようもなく、切なくて・・・。
 殺されるという恐怖や怒りよりも・・・
 ・・・ただ胸が痛くて仕方なかった。
(くそっ!・・・こういうのって・・・なんか、らしくねーよな・・・)
 ディアッカは舌打ちした。
 それでも、まださっきのシーンが目の前をちらついて、離れない。
 そんな自分に苛々しながらも、沈む気持ちはどうしようもなく、彼は何となく瞳を伏せた。
 長い間・・・つまらない日常を、ただ何となく過ごしてきた。
 軍に入ったのも、大した動機があってのことではない。
 ただ、それ以外にやることもなかったし、刺激になりそうなこともなかったから。
 何となく戦争に参加し、こんなものかと斜に構えながら、心の内では他人事のように、しごく淡々と戦況を眺めてきた。
 イザークが打倒ナチュラルについて、時に興奮しながら弁舌をふるうときも、内心では恐ろしいほど冷やかにそれを眺める自分がいた。
 ――所詮、人間なんか、みんな愚かしい生き物なんだよ、イザーク。
 ディアッカは冷めた気分で、ひそかにそう思ったものだ。
 ナチュラルであろうと、コーディネイターであろうと、おんなじだ。
 戦争なんざ、ただの殺し合いだ。
 原始的な闘争本能を満足させているだけさ。
 意味のある戦争なんか、あるものかよ。
 ナチュラルが低脳だっていうだけじゃない。
 ・・・それをいうなら、俺たち、みんな馬鹿なんだぜ・・・きっと。
 馬鹿が馬鹿を相手に戦争ゴッコしてるってわけさ。
 ・・・けど、それでも俺は構わない。
 結構、面白おかしくやらせてもらってるからね。
 これ以上、刺激のある場所なんてないからな。
 当分はこの戦争ゴッコで、思い切り遊んでおくさ。
 ・・・そんな、シニカルな思考が彼の頭をずっと支配してきたのだ。
 だからこそ、諦めも早かった。
(・・・冗談じゃねえ!こんなとこで、無駄死にできっかよ・・・)
 そう素早く判断を下した彼は、あっさりとバスターごと、自分を足つきに引き渡した。
 彼には軍人のプライドも何もなかった。
 そんな風に飄々と渡り歩いてきた彼が・・・
 今、この艦の中で、一人の少女に突然目の覚めるような、一撃を食らった。
 ・・・肉体にではなく、その冷めた心の奥に眠る激しく熱い感情の芯を見事に衝かれてしまったのだ。
 あんなに激しく人が感情を剥き出しにする姿を、久し振りに見た。
 それも、何て悲惨なまでの感情の露出・・・。
 彼女の嵐のようなあの激しい感情が全て、彼めがけて真っ直ぐにぶつけられたのだ。
 胸が――苦しい。
『・・・それとも――』
 嘲るような自分の声が耳元でまだこだましている。
『――それとも、馬鹿で役立たずなナチュラルの彼氏でも死んだか?』
 ディアッカは、耳を塞いだ。
 自分の声が凶器のように、彼の胸の中を切り裂いていくかのようだった。
(・・・ちっ、参ったな・・・。ビンゴだったとは・・・)
 自分がひどいことを言ってしまったのだ、と彼は自覚していた。
 たとえ、それが軽口のつもりで言ってしまったこととはいえ・・・
 ・・・少女の心を思うと、彼は後悔の念に苛まれた。
 
 
 食事が運ばれてきたとき、彼の意識は虚ろだった。
 時間間隔が既になくなっている。
「よう、生きてるか?」
 そう声をかけられて、ディアッカはその声のやけに親しげな調子に驚いてふと目を開けた。
(・・・俺、今・・・?)
 一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなった。
 その陽気な声は・・・ザフトで仲間に囲まれている自分を思い出させた。
『よう、ディアッカ!』
 あれは・・・誰だ。
 金髪の陽気な口調・・・
 ――あれは・・・
 ・・・ミゲル・アイマンか?
 いや、違う・・・。
 ミゲルはあんなに背が高くないし、第一あんなに体躯も大きくない。
 誰・・・だ?
 自分の前に立ちはだかる影法師に怯えたように、彼は少し身を竦ませた。
「・・・何だよ、大丈夫か、おまえ」
 苦笑しながら、ディアッカの前に手を差し出す彼・・・
 だんだん記憶が鮮明に戻ってきた。
 そうだ。
 俺、あのとき、足つきに投降して・・・捕虜になってるんだった・・・。
 差し出された手を反射的に掴み、重い体を寝台から起こす。
 動いた瞬間、頭がずきっと痛んだ。
 手を当てると、額に包帯が巻かれている。
(そうか・・・俺、怪我してるんだった・・・)
 戦闘での傷か・・・
 ――いや、違う。
 これは、あの・・・
 少女に襲われたときの傷、か・・・。
 大した傷でもないが・・・
 それ以上に心の方が重かった。
「何だ、威勢のいい捕虜だと思ってたが、えらくおとなしくなっちゃったんだな。・・・そんなに、あの騒ぎがこたえた?」
 にっこりと笑いかける男を改めて見て、ディアッカは首を傾げた。
「あんたこそ、何だよ。・・・何でこんなとこまで入ってきてんの?」
 険のある目つきでじろりと見やる少年に、ムウ・ラ・フラガは軽く肩をすくめてみせた。
「まあ、そうとんがるなよ。――食事!・・・持ってきてやったんだからさ」
 そう言って、床のトレイを指さす。
「食事って・・・」
 ディアッカは怪訝そうにトレイを見た。
 食事なら、独房の外から差し入れることができる。
 わざわざ中まで入ってくる必要はない。
「・・・おまえさん、いくら呼んでもぴくりとも動かないからな。ほんとに生きてんのかなーって思ってさ。・・・心配して見にきてやったわけ」
 ムウはそう言うと、馴れ馴れしく寝台の淵に腰かけた。
 ディアッカの額に手を当てる。
「ん?・・・別に傷が急に悪化したってわけでもなさそうだが?」
「・・・触わんなよ!」
 ディアッカは、相手の手を振り払うと、真っ直ぐ睨みつけた。
 ――何なんだ、こいつ。
 やけに馴れ馴れしい。
 彼は目の前の男の意図が掴めず、困惑を隠せなかった。
 そして、微かに腹立たしさをも感じ始めていた。
 大体、何でこいつ――俺をこんなに子供扱いしやがるんだ・・・?
 彼は今まで、自分が他の誰かを子供扱いすることはあっても、自分自身がこんな風に扱われることは、あまり経験がなかった。
 ザフトの赤着てたこの俺が、だ・・・!
 これまでザフトの軍人であるということをさほど意識することもなかった彼の中に、急に妙なプライド心が湧き上がってきた。
 ディアッカは昂然と頭を上げて、さらに相手に強い視線を投げかけた。
「・・・何なんだよ、この艦は。おかしいぜ。・・・女はナイフや銃振り回すし、男はこれだ。・・・オッサン、あんた、もしかして・・・あっちの趣味でもあるんじゃないの?」
「オ、オッサン?!・・・」
 ムウの目が大きく見開かれた。
 ――しかも、『あっち』の趣味・・・?
「誰がオッサンだ!俺はまだ28だぞ」
 剥きになって抗議するムウを見て、ディアッカはようやく本来の自分を取り戻したといわんばかりに、悠然とした笑みを浮かべた。
「28って・・・立派なオッサンでしょ」
 ムウは呆然とした表情でディアッカを見返したが、やがてその口元を緩めた。
「・・・はん、どうやら元気を取り戻したみたいだな。何か、ひどく落ち込んでるようだったが」
「・・・そりゃ、落ち込みもするでしょうが。・・・俺、今敵艦に捕まってるんだぜ。これってむちゃくちゃカッコ悪いじゃん。俺、これでも一応、ザフトのエリート軍人さんなんだよね。『ザフトの赤』って、わかる?・・・ザフトで赤い軍服着てるっていえば、超エリートなわけよ。俺、その一人だったんだよ。それが今じゃこんなザマだし・・・」
 そう言うと、ディアッカは肩をすくめ、シャツ一枚の自分の姿を顎で示した。
 ムウは不思議な目で、このコーディネイターの少年を見た。
 コーディネイター・・・
 ・・・前線に出て奪取したバスターガンダムに乗り、戦闘を繰り返してきたザフト兵。
 ザフトの中でもさぞや選り抜きの優秀な兵士なのだろうと容易に想像ができた。
 相当プライドの高いエリート軍人というイメージがあったが、あっさりと投降してきたときには、その割り切り方に呆れると共に、生き延びるという現実的な選択をする勇気にどことなく共感をも覚えた。
 やたらと主義主張を誇大宣言し、何かといえば戦争を美化しようとする軍上層部の心理操作には簡単にはのっからない奴なんだ、このパイロットは・・・。
 そういうところは、何となく自分に似ているな、と彼はふと思い、心の中で苦笑した。
「まあ、投降したのは賢い選択だったな。俺はおまえに敬意を表してやるよ。あの場合、俺でもああしてたろうからな。気にすることはない。無駄死にしても何にもならない。・・・まあ、あそこでザフトのために、とか、プラントのために・・・とかいって死んじまうのは一番くだらん死に方だったろうな。
 良かったじゃないか。恥も名誉もあるかよ。こんな修羅場の中で。名誉の戦死といやあ、聞こえはいいが、そんなのはじきに忘れられちまう。結局死に損ってわけさ。おまえは正しかったんだ。・・・お陰で今、こうして生きてるんだろ。生きてさえいりゃ、人生何とでもなるもんさ。この戦争だって、そういつまでも続きゃしないだろう」
 そう言うムウに、ディアッカは驚いたように目を上げた。
「・・・あんた、ヘンな人だなー。ほんとに軍人?それにやたらお喋りだ。俺、敵軍捕虜だぜ。そんなにのんきにくっちゃべってて、いいの?隙見て、あんた襲ってここから逃げちゃうかもしれないよ」
「・・・へえー、俺をのしちゃうことができるなんて、まさか本気で思ってるわけ?・・・ハハッ、やっぱ、こっどもだねえー!」
 ムウはにやにや笑った。
 その馬鹿にしたような笑いが、ディアッカの燗にさわった。
 忽ち顔色が変わり、彼はムウを睨めつけた。
「・・・うるせーな!黙れよ、オッサン!」
 それでもムウは相変わらず笑みを浮かべたまま、ディアッカに挑発的な視線を投げかける。
「何なら、テストしてみる?俺もちょうど、腕がなまってたとこだしね・・・」
(・・・馬鹿か、このオッサン・・・!)
 ディアッカは呆れて返す言葉を思いつかなかった。
「ハンデなしだ。捕虜だからって、遠慮しなくていいぜ。思いっきりこいよ。ザフトのエリート軍人さんって奴がどれくらいのもんか、試してやる」
 ムウの言葉は、ディアッカの不燃焼気味の心にいいようのない火をつけた。
「・・・マジかよ、オッサン」
 ディアッカは挑戦的な瞳を、ムウに向けて不敵に閃かせた。
「・・・そんなこと言っていいのかなあ。・・・俺、ほんとに遠慮しないぜ。あとで文句言われたって、知らないよ」

                                     (...To be continued)

<<index       >>next