Le Noir (1) 太陽が、不意に雲間に隠れた。 まだ秋になったばかりだというのに、やけに冷たい風が吹き過ぎ、思わずコートの襟を立てた。 ぽつりと小さな雨粒が頬に当たり、まさかと思う間もなく空から糸のように細い驟雨が降り始めた。 天候が急に変わるなど、予報では聞いていない。プラントでは珍しい不測の事態に、イザークは舌打ちしながらも、止むなく近くの木の下に避難した。 雨はしばらく降り続け、しばらくは止みそうにもなかった。 (まずいな。早く戻らないと……) 自室の机の上に積み上げられたままの決裁書類の山を思い出し、思わず溜め息が零れる。 それほど大きな木ではないせいか、葉の間から零れるように落ちてくる水の飛沫が時折り頬に降りかかった。 不意に頭上から差しかけられた傘に驚いて振り返ると、いつからそこにいたのか、見知らぬ青年が背後に佇んでいた。 「――良かったら、どうぞ」 明るい金髪に飴色の瞳の端整な面。まだ若く幼さを残した顔立ちであるが、イザークよりずっと背が高く、体躯も大きい。少し前屈み気味に傘を差しかける自分自身は半身をぐっしょりと濡らしながら、それでもそんなことを気にかける様子は微塵もなく、人当たりの良い笑顔を振り向けている。 その微笑む顔に、初めて見たような気がしない、不思議な既視感を覚えた。 ――どこかで、会ったことがあるだろうか。 しかし、覚えはなかった。 明らかに初めて見る顔だ。 全く気配を感じられなかったのは、それだけ自分が平和ぼけしているせいなのだろうか。 僅かな苦笑いを浮かべながら、背後の青年に改めて目を向けた。 「……雨、当分止みそうにないですね……」 青年は困ったように空を見上げた。 「……お帰りになるなら、そこまで一緒に行きませんか」 にこりと邪気のない笑顔を向けられると、邪険にするのも可哀想な気がして、イザークは軽く頷いた。 「……申し訳ない」 「どういたしまして――」 思わぬ相合傘となり、何となく居心地の悪い思いをしながら、イザークは青年と並んで墓地の入り口まで歩いた。 墓地の入り口には、休憩所が設けられてあり、そこでしばらく雨宿りをすることにした。 ところが、青年も一緒に入って来る。 「……きみ――……?」 訝し気な視線を向けると、青年は少しはにかんだ笑みを見せた。 「……あ、その……もう少し一緒にいて、話がしたくて……。……ご迷惑ですか?」 「……いや、そういうわけでもないが……」 「――あの……失礼ですが――」 青年は躊躇いがちに、切り出した。 「……イザーク・ジュール隊長……ですよ、ね?」 「――え……?」 いきなり青年の口から自分の名が出たことは、イザークにとっては全く予想外のことだった。 (……しかも、こいつ、今、確か俺のことを『隊長』と……) 彼はしばし呆然と目の前の若者を凝視した。 「……驚かせてしまって、すみません。俺――いや、私はつい先日、ジュール隊への配属命令を受けたばかりでありまして……」 青年は照れ臭げに軽く頭を掻いた。 「……正式に隊長の前でご挨拶する前に、こんなところでお目にかかれるとは、思ってもみませんでした」 「……ああ……なるほど、それで俺のことを……」 合点はしたものの、イザークは目の前の若者にやや険しい視線を向けた。 (それにしても、やけに馴れ馴れしい奴だな) 場所が場所だけに、何だか気まずかった。 この若者も、誰か近親者を先の戦争で亡くした類だろうか。 そんな彼の疑念を察したのか、 「……戦死した兄の墓参りに来たんです」 青年は何でもないように、さらりと言った。 「――前の戦争で……モビルスーツごと爆破されたと聞きますので、骨も残っていないんですが」 「……そう、か……」 顔色も変えずに語る青年の姿に、何と返してよいかわからず、イザークは軽く目を伏せた。 あまり楽しい話題ではない。 しかし、墓地にいるのだから、そのような話になってしまうのも仕方がない。 (だから、さっさと行ってしまえばよいものを……) イザークは内心舌を打った。 このような場所で楽しく会話を交わそうというものの気が知れない。 鬱陶しい、と思ったが、相手が強引に会話を進めるもので、成り行き上、しばらく付き合うよりほかなかった。 「……隊長は、兄をご存じの筈ですが」 「――何?」 聞き捨てならぬ言葉に、イザークははっと目を上げた。 「……きみの兄上を、俺が……?」 「……はい。……元クルーゼ隊所属、ミゲル・アイマンの名をご存知ではありませんか」 「あ――……」 その名が青年の口から飛び出た瞬間、イザークは驚きに打たれたように茫然と相手の顔を見返した。 ――ミゲル・アイマン……だ、と……? 金髪に青い瞳の背の高い姿が脳裏を掠め、目の前にいる青年の顔に重なった。 どこかで見たことがある……。そう思ったのは、単なる気のせいではなかった。 生き写しとまではいわないまでも、どことなく面影がある。 髪と目の色が同じだというだけではない。 雰囲気、とでもいうのだろうか。 青年は少しはにかんだ笑みを浮かべると、照れ臭そうに頭を掻いた。 「――参ったな。……不意打ちを食わせる気はなかったんだけど……あの――本当にすみません」 言葉の割に悪びれた様子もなくそう言うと、青年は軽く頭を下げた。 「……改めまして、ルカ・アイマンです。今後とも宜しくご指導の程お願いいたします。ジュール隊長」 「……ああ、確かにいるな。今回配属の新人五人の中の一人。ルカ・アイマン。――アカデミー今期卒業生の中でも、トップクラスの赤だとよ。すげー優秀じゃん」 書類を見ながら、ディアッカが興味深げに感想を述べた。 「――しっかし、墓場で会うなんて、何だか因縁めいた出会い方だよなあ。ひょっとして、待ち伏せされてたんじゃねーのか?」 「くだらんことを言うな。そんなわけないだろう」 ディアッカの軽口をたしなめるように言いながらも、実際そういう可能性もあり得なくもないな、とイザークは少し考え込んだ。 待ち伏せとまでいわなくとも、絶妙のタイミングで声をかけてきた。偶然、というよりは、相手は既に少し前から自分に気付いていて、意図的に声をかける頃合いを見計らっていたのではないだろうか。 「……しっかし、ミゲルの弟かあ……。――そういや一度写真見せてもらったことあったな。こんっなちっこい子供だったのに、今やあの時の俺らと同じ年だぜ。こっちも年くったよなあ」 掌を床に押しつけるようにして強調するディアッカを見ながら、イザークも同じ思いに耽っていた。 (――俺が父親代わり、っつーかさ……) ミゲル・アイマンの声が耳元に不意に甦った。 昨日墓場で会った背の高い青年の姿を思い出して、それだけ月日が過ぎたことを実感する。 ミゲルやラスティ、ニコルが死んでから、十年が過ぎた。 彼自身、もう今年で二十七だ。 (……早いものだな……) あの頃から比べると、自分も自分を取り巻く状況も大きく変わった。 戦争の真っただ中、クルーゼ隊の自分たちは常に前線で戦っていた。敵の陣中に潜入する任務を負ったり、激しいモビルスーツ戦で生死に直面する場面も何度も経験した。 亡くなった戦友たちのことを考えると、自分たちがこうして生き残ったことは、やはり何万分の一かの幸運であったのだというしかない。 「……何だよ、イザーク。おまえまで感慨に耽るなよな」 ディアッカがくすりと笑うと、イザークは不意に我に返った。 「――ミゲルのこと好きだったからって、今さら弟に手出すなよ」 「……ディアッカ!貴様、いきなり何――」 ディアッカは慌てるイザークの顔を下から覗き込むように椅子ごとにじり寄った。 「――知ってるんだぜ。あの頃、よく一緒にいたじゃんか。いろいろ悪いこと教えてもらってたんだろ?二人して、何やってたんだか……」 「ふざけるな、馬鹿っ!」 イザークは机を拳で叩いた。 真剣な怒りの表情に、ディアッカは口を閉ざした。 「……あいつは、もういないんだ。どこにも、いない……」 イザークは、ふと視線を落とした。 「――いくら冗談でも、死んだ人間のことをそんな風に茶化すのはやめろ……」 「わ、わかったよ。頼むから、そんなにマジになんなって。悪かった。もう言わねえよ――」 ディアッカは困ったように頭を掻くと、書類に目を戻した。 しかししばらく見ているうちに、彼の目が驚きに見開かれた。 「……おいおい、イザーク。大変だぜ。――ここんとこ、見ろよ。こいつ……」 履歴書類の一部を指さしながら、ディアッカはひゅうと口笛を吹いた。 「――アカデミーでの問題行動に二重のチェックマーク入りだ。指導歴赤丸印だぜ。しかも半年も休学してやがる。よくもまあ、復学できたもんだな。何やらかしたのかしんねーけど、こいつ、ただのエリートってだけじゃねえな。――また厄介なの押しつけられちゃったねえ、隊長。これって上層部の嫌がらせじゃねえの」 「……どんな奴であろうが、関係ない。ジュール隊に入ったからには、隊の規範に従ってもらう。――取り敢えず、貴様がちゃんと教育しろ」 イザークは相手をじろりと睨めつけると、机上の書類を整理し始めた。 「……ええっ?……って、それ、俺の役目なわけ?」 「当然だろう。それだけ問題のある奴なら、尚更貴様が適任だ」 「――何でそうなるのか、よくわかんねーんだけど……まあ、仕方ねえな。わかったよ」 ディアッカは肩を竦めると、それでも諦めたように立ち上がった。 「……それじゃあ早速、受付の方覗いてくるわ。そろそろ新人君たちが到着する頃だからな」 「――エリック・ギブソン」 「はい!」 「ジェフリー・ハドウィック」 「はっ!」 「ルカ・アイマン」 五人目の名を読んだ後、不自然な間が空いた。 「――ん?」 しん、と静まり返った部屋の中に、一瞬気づまりな空気が流れた。 ディアッカは怪訝そうに書類から顔を上げると、右端から佇む新入隊員を順番に眺め、素早く書類のリストと突き合わせる。 本日配属予定の新人は、五名の筈だった。 しかし、その場に並んでいるのは四名しかいない。 最後に名前を呼ばれて返事がなかった者。 「……ルカ・アイマンは、どうした?」 誰へともなく問いかけると、新人隊員たちは気まずげにお互いの顔を見合わせたが、誰も口を開こうとする者はいない。 「――ゲートから入った時は五人いた筈だろう」 ゲートを通過するには、予め発行されたIDカードが必要で、彼らがIDを入れると同時に受付にあるエントリーサインに表示され、入退の有無がチェックできる仕組みになっている。 受付のエントリー機は確かに五名の新入隊員が基地のゲートを通過したことを表示していた。 つまり、五人全員がゲートを潜りながら、ルカだけが真っ直ぐ受付に来なかったのだ。 五人到着は一緒の筈であるのに、なぜルカだけが途中で行方不明になるのか、ディアッカには訳がわからなかった。 (さっそく、これかよ) ディアッカはちっ、と舌を打ちながら、改めて四人をじろりと見回した。 「――ルカ・アイマンはどこへ行ったかと聞いている!」 声を強めると、全員の体に緊張が走るのが感じられた。 「……はっ……もう、しわけありませんっ!」 ディアッカに一番近い所にいた、真ん中の一人が堪らず声を上げた。 「……こ、これは、止められなかった、わ、我々全員の、責任で――」 「いいから、どこにいるか、言ってみろ」 ディアッカは軽い苛立ちを覚えながらも、できるだけ声を和らげて青ざめた表情の青年を促した。 「――はっ、はい……実は――……」 その時、けたたましい警報が基地全体に鳴り響いた。 「――なっ、何だ?」 ディアッカも隊員たちも、驚いて辺りを見回した。 「エルスマン!――大変です!」 扉が開き、険しい顔つきのシホ・ハーネンフースが飛び込んでくる。 「どうした?」 「――何者かが格納庫に侵入し、モビルスーツを勝手に発進させました!」 「はあっ?――何だよ、それ……」 その瞬間、機体の過ぎる轟音が間近に聞こえたかと思うと、強い振動が窓ガラスをびりびりと震わせた。 フロアーが衝撃で揺れ、全員が足元をふらつかせる。 「――おいおい、まさか、今のが……」 危ういところでバランスを保った後、ディアッカは窓に駆け寄ると外を見た。 確かに一機、空を物凄い速度で上昇していくモビルスーツの機影が見えた。確かつい数日前、本部から届いたばかりの新型のジンだ。テスト飛行もまだ行われていないというのに、一体誰が……。 そう思った時、傍らで同じように窓の外を眺めていた新入隊員の一人と目が合った。 その何とも言えない困惑の表情を見て、新型機に乗った人物が誰なのかすぐにわかった。 「ひよっこに易々とセキュリティを躱されるとは、随分舐められたもんだな」 忌々しげに吐き捨てると、上昇していくジンに再び視線を投げた。 「……しかも、あの野郎、これ見よがしに建物すれすれの所をわざと飛行していきやがったんじゃねーのか……」 暴走しているようで、ぎりぎりの線はきっちりと守っている。かなり高い技術がないと、できない芸当であることはわかっていた。 しかし―― このようなことをして何の利があるのか、それがディアッカにはわからなかった。 (自己PRにしちゃあ、ちょっとやりすぎだろうが……) やはり、トラブルメーカーであることは確かなようだった。 「――着任早々、何考えてやがる……!」 「――ここは、私が出ます」 唇を引き締めたシホがそう言うと、ディアッカは窓の外を見ながら即座に首を振った。 「……いや、その必要はねえ」 「――は?」 「見ろよ」 怪訝そうな顔をしたシホに、ディアッカは軽く顎で自分の見ている方向を示した。 新型機を追って、さらに速度を上げて上昇していくもう一つの機体が見えた。その輝く白銀の機体が誰の専用機かは、明らかだった。 「……あ……!」 シホが目を見開いて機体の姿を追う。 「――な」 ディアッカは、にやりと笑った。 「――早々に、隊長のお出ましってわけだ。……イザークの奴、コクピットの中でどんな顔してるか、見ものだぜ」 to be continued... (2013/03/13) |