Le Noir (2)











 急上昇していく二つの機体が激しく交差し、せめぎ合う。
 地上からは、もはや飛び散るような火花の乱舞にしか見えないであろう。それくらいの凄まじい、まさに速度と速度の応酬だった。
 猛追してくる機体をどうしても振り切れず、コクピットの中でルカ・アイマンは幾度も舌を打った。
(――しつっけーんだよ、こいつ……っ!)
 先程まで感じていた気持ちの良い昂揚感が、次第に鬱々とした焦燥と苛立ちに変わる。
 スピードでは誰にも負けない自負があった。
 アカデミーでは、教官も舌を巻くほどの高度なテクニックを駆使し、MS戦では常にトップの成績を保っていた。
 しかし、彼はずっと不満を抱いていた。訓練機では、自分のスキルを百パーセント発揮することはできない。早く実戦用の最新型MSに乗ってみたいと思っていた。
 新しい機体が入ったばかりだという噂を聞き、覗いてみるだけだと思っていたのが、目の前でそれを実際に見た瞬間、湧き上がってきた誘惑に抗しきれなくなった。さらにこの間墓所で出会った時の、取り澄ました隊長の姿を思い出すと、好奇心にちょっとした悪戯心が働き、少し驚かしてやりたいという気になった。
 ところが――
 彼の計算は大きく狂った。
 驚き慌てふためく地上の騒然とした様相は、最初こそ愉快であったものの、すぐに現れた白銀の機体に追い抜かれそうになった時、彼の笑みはそのまま唇の上で凍りついた。
「……この、野郎っ……!」
 ――回線は開く気配はない。
 何らかの叱責や、非難の声を浴びた方が、マシだった。
 相手は無言のまま、執拗に、そしてまるでわざとであるかのように、煽っては引き離す、その意地の悪い追撃姿勢は、彼の神経を無性に苛立たせた。
(こうなったら、意地でも引き離してやるぜ……!)
 ぎり、と奥歯を噛みしめ、マキシマムぎりぎりまで速度を上げる。アカデミーでも危険行為として禁じられていた、エネルギー全稼働のフルスロットル飛行。下手をすれば、機体を損傷させることになるかもしれない。
 それでも、気にはならなかった。
 ただのパフォーマンスのつもりが、どうしてこんなことになったのか、自分でもわからない。
(いいさ。やってみろよ。俺を落としてみろ!)
 挑戦的な笑みを見せながら、レバーを引く。
 途端に激しい負荷が、体を襲う。
 機体が速度を上げ、みるみる相手を引き離していくのがわかった。
(……ざまあ、……みろ……っ……――!)
 そう思ったのも、束の間――
 衝撃が連続して機体を襲う。
 体勢を立て直す暇もなく、二度、三度――忽ちコンソールパネルにアラームの表示が点滅する。
 ビームが放たれたのだ。
「……何っ……――!」
 見開かれた瞳の中に映ったのは、ビーム砲を放ちながら加速し、接近してくる白銀の機体。
 ルカ・アイマンは、一瞬呆けた。
 ――信じられない。
 本部から送られてきたばかりの新型機を、何の躊躇いもなく……。
 堪らず、とうとう自分から回線を開いた。
「……マジで殺す気か、てめえっ!」
 しかし、相手からは何の返答もない。
 代わりに、新たなビームが足を貫いた。
 それまでに受けた攻撃で、動力システムが一部損傷し、既に動きが緩慢になっていたところへ、この一撃はまさに致命的だった。
 アラームサインと共に、機体のエネルギーゲージがみるみる下がっていく。
「……くそっ!」
 ルカは腹立ち紛れにコンソールを拳で叩いた。
 しかし、いつまでも感情に身を委ねている余裕はなかった。
 急降下していく機体をコントロールし、何とか地上に無事降り立たなければならない。
 幸い相手はそれ以上攻撃してくる様子はなかった。
 全身のあちこちを被弾した無残な姿で、それでも何とか激突を避けて地上に着地したジンの横に、白く輝く無傷の機体が優美に降り立つ。
 先にコクピットが開いたのは、白いモビルスーツの方だった。
 そこから出てきた人物の姿を見て、ルカ・アイマンは目を瞠った。
「……イザーク・ジュール……隊、長……?」
 確かに隊長を驚かせてやろうという気持ちはあったが、まさか隊長自らMSに乗って出てくるとは思いもしないことであった。
 コクピットから降り立ったルカは、それでも臆することなく、目の前に佇む上官と対峙した。
 口を開こうとするより早く、相手の方がつかつかと近付いてきた。
 一言も発せぬまま、いきなり拳が突き出される。
 一瞬で目の前が暗くなり、痛みと衝撃と共に体が宙を飛んでいた。
 後方まで吹っ飛ばされ、地面に思いきり体を叩きつけられた。
 我に返るまで、数秒を要した。
 肘を突きながら何とか体を起こすと、先程と全く変わらぬ位置に立ったまま、何事もなかったかのようにこちらを冷たく見下ろす上官と目が合った。
「…………………」
 いかなる弁解の言葉も許さぬ厳しい視線に晒され、ルカはぎこちなく俯いた。
「……どうした。何も言わないのか?」
 初めて、相手が口を開いた。
 落ち着いた声音の中に、かろうじて抑えられているであろう激しい憤怒の気配を感じた。
 それでも、ルカは黙って俯いたままだった。
 自分の行為を正当化する言葉も、また、謝罪し赦しを請う言葉すら、頭の中には全く何も浮かんではこない。
 何を言っても無駄であるようにも思えたし、何より先程のMS戦でこれまでの自分の能力を全否定されたような不愉快さと屈辱感が胸にしこりを残していた。
 自分の能力をPRするつもりが、逆に無能ぶりを晒す結果となった。
 悔しくて、仕方がない。
 しかし、この隊長の無茶ぶりはどうだろう。
 たとえ部下の暴走を止めるためとはいえ、実戦さながら、惜しげもなく実弾兵器を使い、新品の機体に穴を開けることに全く躊躇う素振りもみせなかった。
 ビーム砲をくらった衝撃を振り返って、ルカは眉を顰めた。
 自分のことは棚上げで、目の前に悠然と佇む上官の行為を誹謗する。
 その間にも基地から何台もの車両が次々に到着し、辺りはいきなり騒然と化した。
 損傷したMSの回収に忙しくなる者たちの様子を横目で見ながら、イザークは軽く息を吐いた。
「――だんまりか。……いいだろう。話す気になるまで、営倉入りだ。しばらく頭を冷やすがいい」





「――しっかし、やっぱとんでもねえ野郎だなあ。早速やらかしてくれやがって。……どうするよ、この始末書!」
「アイマンのことは、書くな。面倒が増えるだけだ」
 書類から目も上げずにイザークが一言言うと、ディアッカはええっ!とばかりに目を大きく見開いた。
「――いや、けど、それじゃあ済まねえだろう?どうやって言い訳するつもりだ?到着後一週間も経たないうちにMS一機大破……ってよ。しかもあれは量産型とはいえ、新型なんだぜ。修理にかかる費用だって馬鹿にならねーんだぞ。また本部から睨まれちまう」
「……そのことだが」
 イザークはようやく目を上げると、ディアッカを見た。
「今回の修理にかかるコストは全て俺が自費で払う。それなら、本部も文句は言わんだろう」
 ディアッカはますます目を丸くした。
「ええっ、けど、結構かかるぜ。何せ、機体の装甲自体が使い物になんねーくらい穴ぼこだらけになっちまってるからな。……装甲から全て取り換えるとなりゃあ、かなり――」
「穴を開けたのも、全て承知の上で俺がやったことだ。だから、俺が最後まで責任を持つ。それだけのことだ」
「……いや、けどさあ。何もそこまで――」
 ディアッカは言いかけて、諦めたように肩を竦めた。
 こうなった時のイザークには何を言っても無駄だということが長年の付き合いでわかっていたからだ。
 確かに、ビーム砲を使ったのは、多少やりすぎであったようにも思える。
 ルカ・アイマンの暴走ぶりも例にないものではあったが、たかが子供の悪ふざけ程度のレベルに、何も隊長自らが繰り出し、あそこまで徹底的に叩き潰すこともなかったのではないか。
 イザークも、性質(たち)が悪い。
 シホにでも任せておけば、もっと丸く収まったのではないだろうか。
(あれじゃあ、奴もしばらくは立ち直れねえだろうな……)
 同情するわけではないし、自業自得とはいうものの、アカデミートップのエリートが着任早々に鼻っ柱を見事にへし折られたわけだから、たとえ隊長が相手とはいえ、そのショックは相当であるに違いないと想像できる。
(まあ、何つうか……このまま、消えちまう、なんてことにならなきゃいいけどな)
 ディアッカは内心溜め息を吐いた。
「……で、やっぱ、俺があいつを教育しなきゃなんねーわけ?」
「当然だ」
 にべもなく返されて、ディアッカはうーん、と困ったような唸りを上げた。
「――何だ?不都合でもあるのか」
 イザークがじろりとディアッカを睨む。
「いや、そうじゃねえけど……。ああいうややこしそうなの、担当するのって、シホの方がよくねえ?俺、カウンセリング的なことって何も知らねえし……」
「誰がカウンセリングをしろと言った?俺は、奴を指導しろ、と言っている」
「……ん、けどさあ……」
 ディアッカは口ごもった。
 昨日、営倉に入った直後、彼は口を聞くことはおろか、顔を向けようともせず、壁に向かったままだった。
 結局まだ彼はルカとまともに口を聞いてはいない。
 正式な事情聴取となれば別かもしれないが、あの調子で相手がすらすらと素直に話すのか甚だ疑問だった。
「アカデミーでも何かいろいろあったみてーだし、ちょっと普通じゃねーんじゃねえの、あいつ……」
「だからと言って特別扱いはできん。さっさとあいつを営倉から出られるように指導しろ。入隊早々営倉入りの新人など、聞いたこともない。このままいつまでも使い物にならんようでは本当に除隊処分にせざるを得んからな」
「そりゃ、そうだけどさ……」
「――さっきから、けど、けど、けどって……一体何なんだ、貴様はっ!」
 突然、ばんっ、と拳を机に打ちつけると、イザークは立ち上がった。
「――もういいっ!……腑抜けた貴様の戯言は、聞き飽きた。もう貴様などには、頼まん。俺が自分で奴と話してくる!」
「あ、いや、イザーク、何も俺、そういうつもりじゃあ――」
「黙れ!もういいと言っているだろうっ!」
 止めようとするディアッカの腕を振り切って、イザークは激しい勢いで部屋を出て行った。
「……ああ、くそっ!全く、困ったな。イザークの奴、何興奮して……」
 ディアッカは当惑しながらも、止むなくその後を追った。

                                     to be continued...
                                        (2013/04/07)

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