きみと見た空 (1)





 かちり、とレトロなドアノブを回すといつものように鬱陶しい重量感が手首にかかってくる。
 
小さい頃からずっと慣れ親しんだ家の中の、当たり前のような光景。
 
今さら驚くようなことではないとはいえ、久しぶりにそれと相対してみるとやはりチッと舌打ちせずにはいられない。
 
いつもの感触を思い出しながら、ぐいっと思いきりノブを捻って引っ張ると、たてつけの悪い扉はみしみしと不快な音を立てて、ゆっくりと開いた。
「……ったく、何だってここだけいつまでも『旧世界』なんだよ」
 ディアッカ・エルスマンはぼそりと声に出してぼやいた。
 本当に……と、一歩部屋の中に入って室内を見回してみる。
 そこには、彼が覚えていたままの、あの以前と全く変わらぬ空間が広がっていた。
 大きな針のついた振り子時計に、煉瓦で囲われた煙突付きの暖炉。グランドピアノ(最後にこれを弾いた者は誰だったろうか、とディアッカは首を傾げた)の上には大きな帽子を被ったやたらに睫毛の長い女の子の抱き人形(このやたらに媚びた視線がディアッカは小さい頃から大嫌いだった。というか、怖かった)がエプロンドレスを着て、ちょこんと座っている。前には、撮ってから悠に十年は経過しているであろう、家族の集合写真や、父と亡き母のウエディング写真(これも今さら飾っておくようなものか、とディアッカは常に疑問に思っていた)などが、所狭しと置かれていた。
 真ん中にどかんと据えられたソファーセットは唯一新しい品だったが、デザイン的にも色的にも(かなり派手なオレンジ色で、完全に部屋から浮いている)お世辞にもセンスのあるとはいえない代物だった。
 そういったものを憂愁の目で一瞥すると、ディアッカは改めてはあーっと、深い溜め息を吐いた。
(何だよ、これ……)
 ――これが、俺の実家です、ってか。
 今さらこんなことを嘆くのもなんだが……と思うものの、見ているとだんだんと腹立たしくなってきた。
 
いまどき、ここまでアナログな家も珍しいだろう。
 それも『地球』であればまだわかる。
(ここ、ほんとにプラントなのかよ……)
 いつの時代だ、こりゃ。
 歴史の本の中に出てくる旧時代の生活様式を実地に再現しているといっても過言ではない。
 しかも、センスが良ければそれはそれで、まだ許せる。
 しかし、これは……。
 そういえば、いつかイザークをこの家に招いたことがあったが、一歩入るなり、奴がいかにも侮蔑と嘲笑に満ちた顔をしてこちらを見たことに無性に腹立たしくなったことを思い出す。自分でも時代錯誤的で趣味が悪い家だとはわかってはいたが、仮にも自分が生まれ育ってきた家だ。やはりそれを他人から、しかも級友から面と向かって指摘されると、とても不愉快な気分になったものだ。
 それまでは、さほど気にもしていなかったことが、あのイザーク・ジュールに馬鹿にされた瞬間、ひどく気に障るようになり、あの頃から自分はこの家に対して……というより、ひいては父親に対しての反発を露骨に態度や言葉に表すようになった。
 次第に父親と反りが合わなくなり、対立を繰り返した結果、しまいには強引に家を出てしばらく叔父の家に住まわしてもらったこともあった。
(……思えば俺の反抗期って、突然で長かったよなあ……)
 それまでは、結構絵に描いたようなお坊ちゃんで、少なくとも親の前では従順なおとなしい男のコだった筈なんだけどな、などと苦笑する。
 それがこんな問題児になっちまったのは、いつからだったろうか。
(お袋が亡くなった頃からかな)
 ふと、視線が宙を彷徨う。
 そういえば……と、ふと思う。
(親父があんなに偏屈になったのも、お袋がいなくなってからかもしれないな……)
 母が亡くなった頃から、家の中は急に静かになった。
 家族、というものが何なのか……わからなくなった。
 父親が、遠くなった。
 ぶつかる、という以前に、急速に大きな見えない壁に阻まれたような感覚だった。
(兄貴も一体何を考えてるんだろうなあ)
 ――叔父の家に転がり込んだとき、子供が家出したというのに、何の関心も示さぬ父親のその淡白な対応に、慌てて連絡を取った叔父は怪訝な顔をした。
(いえ、叔父さんちに行くって書き置きしてきましたから。家出だって思ってないんでしょう)
 十五歳の少年はそんな風にさらりと言って、しばらくお世話になります、とおとなぶった素振りで軽く頭を下げた。
 息子も息子なら父親も父親だと、よほど呆れ果てたのか、叔父はもうそれ以上は何も言わず、それでも快く甥を家に置いてくれた。叔父も父の性癖は元よりよく承知していたのだろう。
 その後、姉たちからは時々「元気にしてる?迷惑はかけてない?」という旨の簡単なメールが届いたが、父は一切無視しとおした。
 たぶんそうするだろうな、とは思いながらも、無関心な父親の態度に余計、むかっ腹がたち、意地でも家になんて帰ってやるものか、とますます依怙地になった。
 そんな生活を半年ほど続けて、周囲に呆れられながらも、父と息子は冷たい関係を押し通した。たぶん、自分も父もある意味で意地を張る似た者同士だったのかもしれない。
 アカデミーに入ることを決めたとき、ようやく叔父の家から戻った。
 父のことを受け容れられるようになったということではなく、単に手続き上の問題で家に戻る必要に駆られたというだけの話だった。
 家に戻ったときも、タッド・エルスマンは息子をちらりと横目で見ただけで何も言わなかった。ディアッカ自身も自分から言葉を交わそうとはせず、ただ書類だけを父の鼻先に突きつけた。
 父はそれを受け取り軽く一読すると、黙ってサインをした。
 それで、終わりだった。
 ……一事が万事そんな風だったから、自分がアカデミーでどんな成績を取っても、そして卒業後クルーゼ隊に配属になり、赤い軍服を着るエリートとなって戦地に赴くことになっても、特に父は何の感慨もなかったに違いない、と彼はひそかに鼻白んでいた。
 だから、自分がザフトを裏切って足つきに乗って戦ったからと言って、不名誉だとか家の名に泥を塗ったとかいって今さら叱責を蒙る筋合いなど毛頭ない筈なのだ。
 なのに……。
 ディアッカはくそっ、と荒々しい息を吐くと、荷物を床に投げ出し、オレンジ色のソファーにどかっと腰を下ろした。
「……ったく、何なんだよ、あのクソ親父は――」
 停戦後、再会したときの苦々しい記憶が甦る。
 
あのとき。タッド・エルスマンはいきなりずかずかと息子の前まで歩を進めると、顔を突き合わせるなり息子の顔を平手で思いきり打ちつけたのだった。
(……なっ、なっ、何すんだよっ!)
 力任せに殴られた痛みと、父の思いがけない行動に半ば茫然としながらも、忽ちむらむらと怒りが込み上がり、ディアッカは顔を上げるなり父親を激しい勢いで睨みつけた。
 父親から(しかも公衆の面前で)思いきり殴られたのは、実際にはそれが初めてだったかもしれない。自分の立場や置かれている状況を考えると、父の示した怒りもわからないでもない。普通の親なら、一般的にはこのような場合、それなりに叱責の言葉を投げかけるだろう。ニコニコ笑ってお帰り、とはならないだろうということも、わかっているつもりだった。――ただし、それが普通の家の場合ならば。
(あんたがそんなに怒ることないだろうが!今まで俺のことなんか、何の興味も示さなかったくせに……!)
 今さら普通の親ヅラするな、と言いたいところだった。
 しかし、たとえ普通の親であってもこのタイミングで、一言の弁解を聞くこともなく、自分からも何の言葉もなしに、いきなり手を上げる……というのは、いくら何でも横暴でアンフェアだと思った。
(――自己責任)
 さらに文句を言おうとした矢先に、父の口から出たその言葉に、眉をしかめた。
 ――ジコセキニン……?
(……ザフトの軍人としての義務と自己責任)
 父の目が冷やかに自分を見返していた。……そんな風にまともに顔を合わせたのは久し振りのような気がした。
(――おまえには、それが欠けている)
 恐ろしく厳しい一言だった。
 暗にザフトを無断で離脱したことを、責めているどころか、自分自身の人間性さえ否定されたようで、ディアッカは忽ちかっと頭に血が上った。
(――って、な、何が、だよっ!)
 怒鳴り返す言葉の端が、僅かに震えているのが自分でもわかった。
 自分だって、いい加減な気持ちで戦場にいたわけじゃない。
 AAに残って戦ったのも、いろんな光景に出くわし、独房の中で長い時間自分なりに迷い、考えた結果……。つまり、一言では語れないそれなりの過程があって……。
 
そんな自分の大切に築き上げた気持ちを一蹴されたような気がして、怒りと興奮で真剣に親を殴り返してやろうかと思ったほどだった。
 
怒りながら、父親に向かっていきそうになる彼を驚いた周囲がすんでのところで止めた。制止が遅かったら、完全にぶっちぎれた状態で父と殴り合いの喧嘩を始めていたところだった。
(……あのとき、一発殴り返してやりゃあ、よかった……)
 忌々しげに胸の内で吐き捨てる。
 あんなに長い間、無関心だったくせに。
 何でああいうときだけ、父親面をするのか。
 ディアッカには理解できなかった。また、しようという気にもなれなかった。
 たぶん自分はまだ、思考回路が子供……なのかもしれない。
 でも、ムリだ。
(あんな親父と今さら仲良く大人同士みたいな会話ができるか、っての!)
 ――カチ、カチ、カチ……。
 ふと気付くと、時計の音がやけに耳についていた。
 くそっ。
 うるせー時計だ。全く……。
 親父はいつ帰ってくるのかな、と思った。
 プラントへ帰ることを許されて、信じられないことにザフトに復帰することになった。
 緑色の軍服を着て、イザークの副官としてジュール隊に配属されるということを知ったときは正直複雑な気分だったが、冷静に考えているうちに、まあイザークの下ならいいかな、と思えるようになった。
 オーブに残ることについても、実際にはまだだいぶ躊躇いがあった。これまで全く知らなかった世界の中で、半永久的ともいえる時間を、果たして本当に暮していけるものなのか、と思うとどうしても不安を感じずにはいられなかった。それだけに、プラントに戻るという考えは、さまざまな波乱を含みながらも、やはり彼にはありがたかった。
 ザフトに戻った当初はいろいろと周囲から雑音も流れ込んできたが、それも全く気にはならなくなっている自分に気付き、苦笑した。
 ――俺もちょっとは成長したのかな。
 何の考えもなく、アカデミーに入り、卒業すれば言われるがまま、何となく軍人としてザフトに入ったが……本当は自分が何をしたいのか、よくわからなかった。望んで軍人になった、と言えば嘘になる。かといって、その代わりに何をしたかったのかといえば、それも覚束ない。そんな風に考えていると、嫌になった。
 今は停戦後の処理で多忙を極めている時期だ。小さな雑務から重要な任務まで、やることはたくさんある。しかし、それも永遠に続くというわけではないだろう。
 
平和であればそれに越したことはないが、いざ平和になると、軍人として自分はどうするのか。いつまでザフトでこんな風に軍人として、一官吏としての日々を送っているつもりなのか……それで自分は本当に満足なのか。……先のことを考えると正直少し不安になる。
 
――自分のしたいこと、って何だろうな。
 
そんな風に自分に問いかけてみると、あまりにもその先に何もないことに、どきっとした。
 
――俺、今まで何してたんだろうな。
 
何だか急に寂しくなった。
 
イザークでも傍にいれば、良かったのかな。
 イザーク……。
 
隊長。
 
銀色の髪に碧い瞳の……。
 
思い描くと、少し胸の鼓動が速くなる。唇の端から自然と吐息が洩れる。
 
――俺、マジにあいつのこと、好きだったんだけど。
 
自分をホモだとは認定したくなかったが、イザーク・ジュールと出会ってから、自分はほんの少しおかしくなってしまったのかな、とも思う。
 
――野郎にときめくなんて、普通じゃねーぞ。大丈夫か、自分。
 
一時は気の迷いだと、暴走する自分を必死で諌めようとした。
 
でもそんな抑制が効かないほど、思いが高まり、爆発寸前になったとき、ようやく自分でそれを認めた。
 
俺は、あいつに恋をした。
 
真剣に、恋をした。
 
と、過去形にはしたくないが、今の状況を考えると悔しいが、自分にはあまり部がないことはわかっている。
 
奴の心は、他にある。
 悔しいが、それが現実だ。
 彼は苦笑した。
 
女ばかりか、野郎にまで振られっぱなしの自分は、最悪にカッコ悪い。
 
人生、もう少し華があってもよさそうなものだが、こうして気付けば自分は一人ぼっちでここにいる。
 
自分はほとほと外れくじを引くようにできているらしい。
 
足つきの捕虜になったときだって、別に好きで投降したわけではない。あのときは、あれ以外、自分には選択の余地はなかった。
(どうしたら良かったっていうんだよ)
 生きるか死ぬか、二者択一の瞬間。
 誰だって、生きる方を選ぶだろう。
 好きで死ぬ奴なんか、いるものか。
(俺は、死んだ後の栄光や名誉なんか要らなかった。ただ、俺は……生きることに、執着した)
 それのどこが、悪い。
 それは、誰でもない。自分自身の選択だ。
 後で他人にあれこれ言われたくは、ない。
 前線に出たことのない奴なんかには、尚更……。
 
……足つき、か。
 ふと、あの艦に乗っていたときの光景が脳裏に甦った。
 
――何やかや言って、結構あいつらとは性が合っていたかもな。
 
もっとも最初は最悪の目にばっかり、会っていたような気がするが。
 
あいつ。
 
……栗色のカールした髪に、大きな目をした少女の顔が浮かぶ。
 
ミリアリア。
 
最初に医務室で出会ったときは、泣いてばっかりの、鬱陶しい女だと思っていたが……。
 
彼女と言葉を交わすようになり、少しずつまともな会話ができるようになった頃には、当初の印象は綺麗に消え去っていた。
 
自分がひどい過ちを犯していたことに、気付いた。
 
――こいつら……。
(自分もこいつらも同じだ……)
 そう悟ったとき、独房の中で自分は少し変わった。
 変わった……と、思う。
 口は悪いが、気さくで一番話しやすかった整備士のオヤジとか。
 
それに、あの男――
 
そこまで考えて、ふとディアッカは唇を固く引き結んだ。
 駄目だった。……彼のことを考えると、やっぱりキツいな、と思う。

 何だか胸の中がぽっかりと空洞になったような気がして……。
 
こんなに、きりきりと心が痛む。
(畜生……っ!)
 彼は胸の中で毒づいた。
 何で、どうして、あんなこと……。
 閃光が閃く。
 一瞬で、それは終わった。
 人間は、随分呆気なく死んでいくものだな、と……ただぼんやりとそんな風に思った。
 『エンデュミオンの鷹』と言われた男も、やはり不死身ではなかったのだ……。
 
ディアッカは目を閉じた。
 やめよう。
 
過ぎたことを思い返すのは。
 
どうも感傷的になりすぎている。
 
自分の押し殺すような泣き声が、今も耳に響く。
 
なぜ、何のために、誰を思って、泣けたのか……。
 
戦闘が終わったとき、彼は更衣室で一人、壁に向かって泣いた。
 
ふと、背後に人の気配を感じて振り返ったとき。
 
そこに、奴がいた。
 
眼鏡をかけ、温厚な面差しのいかにも秀才然とした、あのナチュラルのお坊ちゃんが。
 
彼の姿を見た途端、かっと頬が熱くなった。
(なっ、何見てんだよっ!)
 思わず、語調も荒く怒鳴りつけた。
 顔を上げたディアッカを真正面から見たサイは、やや驚いた顔をしていた。
 ――くそっ、見られた。
 きまり悪げに眼を伏せた彼の肩を、相手の手が躊躇いがちに撫でた。
 振り払いたかったが、できなかった。
 彼は震えた。
 誰でもいい。縋りたい、と思うほどの恐怖と不安が彼を支配していたのだ。
(……見るなよ)
 彼はただ一言、小さく呟いた。
(ああ……何も見てないよ)
 奴は、小憎らしいほど穏やかな口調でさらりと答えた。
(……戦争、終わったんだよな)
 サイの言葉が、強く胸を打った。
 肩に置かれた手が僅かに震えているのがわかった。
 見上げると、奴もちょっと泣いていたようだった。
 それを見た瞬間、体を覆っていた緊張感が緩み、ディアッカは気付くと相手の胸に顔を押し当てて、嗚咽を堪えていた。
(……終わったんだ……)
 帰ってこないものを思って、彼はただ声もなく、泣き続けた。
 何だかつい昨日の出来事だったかのような気がして、ディアッカは息を吐いた。
 AA……か。
 あんな風に、自分を受け止めてくれた奴らが、いた。
 そう思うと、今無性に彼らの誰かに会いたい気がした。
 誰でもいい。顔が見たい。
 あんな僅かの期間であったのに、なぜだろう。とても懐かしい。
 プラントへ戻ってから……何だか寂しくてたまらない。
(こんな風に、休暇を取ったって……)
 何だか、面白くない。
 今回のこの突然降って湧いたような休暇に、余程どこかリゾート地にでも行ってさんざん遊んでこようかとも思ったが、イザークはそういう遊びには付き合いが悪いし、自分の所持金を考えると少し心もとなくなって結局、他に行く当てもないのでやむなく家に帰ることを選んだ。
 最近では父親が滅多に家に帰らないとひそかに姉たちから聞いていたので、それなら顔を合わせることもないだろうし、と思ったのだ。
 しかし、何だろう。
 こうして自分の生まれ育った家に戻ってきて、なじみのある空間の中にいる今、この静寂がなぜかこんなにも自分を孤独にする……。
 ディアッカは落ち着かなくなって、立ち上がった。
 ピアノの方に向いた瞬間、その上の例の人形と目が合った。
 人形の瞬きしないがこちらをじっと見ているかのような視線が、彼をどきりとさせた。
 小さい頃は、ただそれが怖かった。
 だから姉たちがそれで遊んでいるときもおっかなびっくりで近寄りもしなかった。なぜあんなものを抱けるのかと、不思議だった。人形を怖がる彼に、わざと人形を押しつけて面白がる姉たちを涙目で心底恨んだものだった。
 何でだろうな。ただ……あれの心の中まで射抜くような、生きたものであって生きたものでない、その淡々とした表情や、強い瞳の色が無性に怖かった。夜たまに見ると闇の中でその両目が爛々と妖しく輝いているようにさえ見えて、さらに恐怖が増した。
 だがそれも子供の頃の話だ。
 最近では……この家に戻ってくることもなくなり、そんなこともすっかり忘れ去っていた。……と、思っていた筈だった。
(何だよ、俺は……。もう、ガキじゃねーんだぞ)
 それなのに人形ごときにびくついた自分が情けなくなり、そんな風に自分を鼓舞してみても、どうも気持ちの悪さはなかなか収まらない。
 ――ああっ、くそっ!
 いっそ、あの人形をどこかにやってしまおうか。
 真剣にそう思ったとき、電話が鳴った。
 びくんと心臓が跳ね上がるかと思うほど、驚いた。
 居間直通の電話機の信号がちかちかと着信の赤い色を発している。
 うるさいほどの音量の電子音が響く。
 一瞬、親父だったらどうしよう、と思い、放っておけばそのまま留守電に切り替わるだろうから、と無視することに決めた。
 案の定、数回鳴った後、電話は留守電に替わった。
 ピーッという発信音の後、遠慮がちな声が自分の名を告げたとき、 その聞き覚えのある声に気付いた途端、はっと彼はソファーから腰を上げていた。
 自分でも転倒するのではと思うほど大慌てで電話の傍へ駆け寄り、受話器を上げる。
 まだ、用件を言っている途中の声を遮るような大声で叫んでいた。
「……おい、おまえ……どこからかけてんだよっ!」
 電話の向こうの声が驚いたように一瞬、息を飲むのがわかった。
 間を置いた後、恐る恐るといった様子で、声が再び続ける。
 突然機械から人間の声に替わったことに、まだ戸惑いを隠せぬように、ゆっくりと恥らうように。
『……ディアッカ……きみ――なのか?』
 その少し高めのトーンに、いかにも人の良さげな優しい口調。
 ――あいつ、だ。
 すぐに、わかった。
 あいつ……。
 胸の鼓動が期待で一気に高まった。
(あいつだ……)
 なぜこんなに嬉しいのか不思議だったが、相手の顔が目の前に鮮やかに浮かんだ。
「ああ。俺だよ。俺。ディアッカ・エルスマンだ!」
 
ディアッカは、そう言いながら我知らず息を弾ませた。
「サイ・アーガイル!おまえ、今どこにいるんだよ!」
 
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