きみと見た空 (4) サイが大学へ出かけてしまうと、ディアッカはしばらくリビングでごろごろ寝転がっていたが、そうしていることにもすぐに飽きた。 「……あーあ。結局休みったって、何もすることねーんだよな」 ぼやきながら起き上がると、ローテーブルの上の紙片にちらと目を向ける。 先程、出かける前にサイが書き出した買い物リストだった。 「……まだ早いが……ちっと、買い出しに出かけてくるか」 溜め息を吐くと、紙片を掴んで勢いよく立ち上がった。 よく考えれば、こんな風に一人でぶらつくのも久し振りだな、と街の雑踏の中を歩きながら、ディアッカはふと思った。 ――ずっと、休みなしだったしなあ。 まとまった休みをとるのは、本当に久し振りのことだ。とはいっても……。 (あんまり有意義な過ごし方でもねーけどな) そう思って苦笑する。 サイも遊びに来ているわけではないので、日中ずっと一緒に過ごせるわけではない。 せっかく招いたものの、何となくつまらなかった。 (ま、いいか。夕方には帰ってくるって言ってたしな) 食事も作るなどと言っていたが、最初は本気とは思わなかった。しかし、この買い物リストを見て、驚いた。 (……何かえらく物々しい食材ばっかだぞ。マジかよ。あいつ……) 高級品、というわけではないが、材料を見る限り、ちょっとした一品というには程遠いようなものばかりに見える。 (ええっと……○○△○???……何だ、こりゃ。こんな食い物、あったっけ?) 名前を見てもディアッカにはすぐに思い浮かんでこないような不可解な名のものばかりで、野菜なのか果物なのか、或いはソースのブランド名ででもあるのか……それが何の種類なのかすらわからない。マーケットへ行っても、どこから探せばよいのか途方に暮れた。 こんなことなら、家のコンピュータの通販システムでも使えばよかったかな、とふと後悔する。 買い物するのも暇潰しになるかなと思ってわざわざ街まで出てきたのだが、どうも思っていたより時間がかかることがわかった。 (メシなんか、凝ったもんでなくていいってのに!) 「……ったく、どうせ腹の中に入りゃ、おんなじなんだから」 だんだん面倒臭くなってきて、しまいにディアッカはそんな風に独り言を声に出してぼやくようになっていた。 しばらく歩いているうちに、いつの間にか市街地の外れまできていることに気付いた。人の姿もまばらになる。うろん臭い建物が立ち並ぶ、昼間でもどことなく怪しげな雰囲気の漂う区域だ。 しかし彼にとっては珍しい場所でもなかった。これまでも何度か足を運んだことはある。もっとも、戦争に入ってからはすっかりご無沙汰だったが。 (そーだ。この辺りに確か古本屋、あったよな) 思い出すと、にやりと口元が綻んだ。 販売規制のかかった今では滅多に入手できないようなレア本や、地球から密輸入した古い時代のビニール本など怪しげなエログロ本ばかり扱っている中古本屋。……ミゲルに教えられて以来、すっかりハマって、一時は常連のようにこそこそと通っていたものだ。 久し振りにちょっと漁ってみるか。 忘れていた好奇心が沸々と湧き上がり、気晴らしにと記憶を頼りに歩き始めた。 裏通りの薄汚れた細い路地を歩いていくうちに、ふと彼は遠くをよぎった人影に目を留めてぎょっと足を止めた。 (ん……?) 気のせいだろうか。 だいぶ先の方だが、角から不意に姿を現した人影が目の端をよぎる。それはすぐに次の角を曲がって姿を消したが、その一瞬の姿が自分のよく見知った人間に見えたのは気のせいだろうか。 彼は自分の行く先のことも忘れて、慌ててそちらの方向へと足を速めた。 (……見間違い、かな) 恐らくそうだろう。 確か今頃の時間は、丁度彼が出席しなければいけないと言っていた学会の開催時間の真っ只中である筈だ。どう考えても彼がこの時間にこんな場所をうろついている筈がない。 人違いだ。そうに決まってる。 そう思いはしてもなぜか気になり、自然と足が駆け足になる。 馬鹿馬鹿しいことをしていると思いながらも、動き始めた足は止まらない。 (……ったく。俺、何やってんだ) 自分の行動の不合理さに呆れながら、それでも彼は人影の消えた角までやって来た。 ――人影は既に消えていた。誰もいない。 目を擦った。 (やっぱ、気のせいだったのかな) 一瞬のことだったが、その体躯や髪の色、服装など、目に止まった特徴が、今朝別れた友によく似ているような気がしたのだ。 (まさか、な) あいつは今頃、大学にいる筈だ。こんなところにいるわけがない。 しかも、よりにもよってこんないかがわしげな場所に。 こちらの人間だって健全な者なら滅多に寄りつかないような区域だ。そんな怪しげなところに、オーブから来たあいつが一体何の用があるというのか。 考えれば考えるほど、あり得ないことのように思えた。 (俺も、馬鹿だな) それでも何となく、消えた人影を追って歩き始めた。 そこは袋小路になっており、しばらく行くと大きな壁に突き当たり、行き止まりになった。 あれ……と彼は少し首を傾げた。 ――おかしいな。確かにここに入ったと思ったのに。 考えられるとすれば、このすぐ周辺の建物の中に入ったということだ。そう思い、改めて周囲を見渡してみた。 夜になると営業するのか、裏寂びた風俗営業らしき店や、使われている気配の全く感じられないような汚れたビルの壁が続いていた。しん、と静まり返った辺りの建物はどこもぴったりと固く扉を閉ざしている。ほんの少しの隙間さえ開かれたような形跡も感じ取れない。そんな暗く閉鎖的な建物に囲まれたこの場所に立っていると、ますますこのような場所にサイ・アーガイルがいたという可能性が薄くなっていった。 「おい、貴様!」 そのとき、急に背後から荒々しく声をかけられ、ディアッカは驚いて振り返った。 聞き覚えのなる声だった。 (え、まさか……) しかしそこにはまさしく予想通りの人物が立っていた。 後方の塀に背をもたせかけた一人の青年。銀色の髪に青い瞳の美しい上品な面立ちは、このような場所には不似合いすぎて、そこにいること自体がひどく不自然に思われた。 さすがに軍服は着てはいないが、その代わりにこれまたえらく派手なクリーム色のシルク地のスーツを身に纏い、どう見てもその辺りを歩いている一般市民には見えない。 ディアッカが戸惑う間も、相手は腕組みをしながらじっとこちらを睥睨している。 「……イザーク……」 心底驚いた様子で、彼はその名を呟いた。 まさかこんなところで会うとは思いもしなかった。 「……何でおまえ、こんなとこに、いるんだよ」 「それは、こっちの言う台詞だ!」 イザークは即座に怒鳴り返した。 「ディアッカ。よりにもよって何で貴様が今、こんなところをうろついてるのか、とな!」 苛々した様子でそう言われると、何だかだんだん腹が立ってきた。休暇中にどこにいようが、人の勝手だ。いくら上司でもそんなことにまで口を挟む権利はないだろう。そしてここで出会ったのもたまたま偶然というだけのことで、何もそんなに怒鳴られるようなことではない。 むしろこっちの方が聞きたいくらいだ。こんないかがわしいところに、そんな不似合いな格好で、のこのこと……。 (攫われちまっても知らねーからな!) 無防備すぎる相手に対して皮肉のひとつも言いたくなった。 しかし存外真剣な顔の相手を見て、文句を言いかけたディアッカはふと口を閉ざした。 「……何だよ、どうしたの?」 そういえば、このお上品で潔癖症の友がこのような場所にわざわざ私用で出かけてくるとも思えない。 「……え、まさか、何かあったのかよ?お仕事?」 「大きな声を出すな、バカもの!」 そういうイザークの声の方が余程大きいのだが、と思いながらもディアッカはおとなしく口を閉じた。 「――来い!」 神経質そうにひとしきり周囲を見回した後、イザークは一言そう命じると、手招きした。彼に誘導されるまま、仕方なくディアッカはその後につき従った。路地を抜け、元来た道を帰り始める。そうして、程なくメインストリートまで戻った。 近くにあった小さなカフェに入り、むすっとした顔のイザークと向かい合わせに座った。 「……で、どういうことなんだよ?」 なかなか話し出そうとしない相手に痺れを切らして、ディアッカが口を切った。 「まさかあんな場所に用があってわざわざ出かけてきたわけじゃねーだろ?」 そう言って皮肉っぽく笑ってやると、イザークは苛々した目で睨みつけてきた。 「当たり前だっ!」 「じゃあ、何だったんだよ」 だんだん腹立たしくなってきた。 大体こっちはまだあの場所に用があったのだ。 そう……。お陰で確かめられなかった。 ディアッカは最後に見たサイらしき人物の後姿を思い出して、軽く溜め息を吐いた。 そんなディアッカをイザークは怒ったように眺めていたが、やがてはっと何か思いついたように僅かに目を見開いた。 イザークの顔色が微妙に変化したことに気付いて、ディアッカは怪訝そうな表情を浮かべた。 「何……?」 恐いくらいに興奮した様子でいきなり身を乗り出してきたイザークに、ディアッカはたじろいだ。 「――そういえば、貴様、確か足つきのクルーと親しかったな」 「……えっ、ええっ?」 急にイザークにそのような話題を振ってこられて、ディアッカは困惑した。 「なっ、何だよ、何でそんな話になるんだよ」 「――サイ・アーガイル」 ずばり当人の名前を出されて、ディアッカは驚きに一瞬目を瞠った。その様子を見て、イザークはやはりといった風に目を細めた。 「やっぱり、奴のことも知ってるんだな」 「……あっ、ああ……まあ……」 何が何だかよくわからない。頭の中が混沌としている。 (何でイザークの奴が、あいつの名前を今ここで……) 「……貴様、奴とはどういう関係なんだ」 「どういう、って……」 話の方向が見えてこない。 どう答えればよいものか、見当がつかなかった。 この場合……。 まさか……と、ディアッカは胸の内で息を吐いた。 イザークが俺とサイの仲に嫉妬して、とか。そういうシチュっていうわけじゃ……ないよな。 目の前のイザークの顔を見ると、そんな妄想は一挙にどこかへ吹っ飛んだ。 どう見ても、プライベートの顔じゃない。 イザークはそういうところは、驚くくらいはっきりとわかるのだ。これは、いわゆる公の顔だ。仕事の場で彼がいつも見せる……厳しく、いかにもザフトの軍人然とした、あのジュール隊長の顔になっている。 とすると、何だ。 ひょっとして、サイの奴……何か、ヤバいことに巻き込まれてるってことなのか? 軍の上層部が首を突っ込むような、何か……。 そう見当をつけると、ディアッカは少し慎重に言葉を選んだ。 「えっと、その……あいつは……ただの友達っつーか……」 当の本人を今自分の家に泊めている、などということがわかればどうも具合の悪いことになりそうだ、と何となく予感して彼は口をそこで口を噤んだ。 そんなディアッカの胸の内を察したのかどうか……。 「今でも、連絡を取ってるのか。奴とは」 鋭い視線を浴びせながら、イザークはなおも質問を続けた。 「どうなんだ?」 「あ……ん……と、そうだな。最近は、あんまし……メールもこねーしさ……」 嘘を吐いた。 イザークの視線が痛かったが、さりげなく目を逸らした。 彼はははっと気軽そうに笑った。 「あ、心配してくれなくても、俺たち、そんな関係じゃねーから。俺、イザーク以外の奴なんて、眼中にねーし」 「バッ、バカもの!誰がそんなことを聞いた!」 思ったように、イザークは少し頬を赤らめて怒鳴りつけた。 イザークの鋭い視線が少し緩み、ディアッカは小さく安堵の息を吐いた。 ひそかに内心の冷や汗を拭う。 ……イザークの面前で嘘を吐くことにはあまり慣れていない。あまり真剣に会話を交わし続けていると、どこかで襤褸が出そうで不安になった。なので、敢えて茶々を入れて怒らせた。 お陰で会話の雰囲気はだいぶ変わった。 「そうか……」 イザークはあっさりとそう返すとそれ以上何も突っ込もうとはしなかった。ディアッカはほっとしながらも、どうしても気になって問い返さずにはいられなかった。 「けど、何だよ。何でおまえ、サイのこと……。あいつ、どうかしたのか?」 「……今、こっちに来てるらしい」 そう言うと、イザークは再び反応を窺うようにディアッカをじろりと見た。 「――あまり、驚かんな」 「あっ、いや……ちょっと意外すぎて、さ。声も出なかった」 ディアッカはそう言うと白々しく笑った。 「そっかあ。こっちに来てるんなら、久し振りに会ってみてーな、なんて」 少し言いすぎかなとも思ったが、いったん吐いた嘘は最後まで吐き続けるよりほか仕方がない。 「残念ながら、奴の足取りはわからん。空港から、撒かれた。宿泊先のホテルにもチェックインした形跡がない」 苦々しげな言葉を聞いて、ディアッカはどきりとした。 イザークがサイの名を出したことから、さっき見かけた人物はやはりサイだったのか、と思ったが、今の言葉ではサイを尾行していたということでもないらしい。 まさかそんなことを聞くわけにもいかず、ディアッカはますます困惑した。 困ったことになったと思う。 言わなくて良かったのか、それとも……。 しかし今さらもう何も言うことはできない。 というより、事情がわからない限り……。自分が言ってしまうことが、サイにとってまずいことになるのならば……。 「……奴とは会わん方がいいだろうな」 ぽつりと呟かれたイザークの言葉に、ディアッカははっと我に返った。 「えっ?……って、な、何で?」 (まさか、今さらサイがナチュラルだから付き合うな、なんて言うんじゃねーだろうな) ディアッカは困惑を隠せなかった。 イザークの凝り固まったコーディ至上主義ももう過去の話となった筈だ。まさかそんなわけもないだろうが。 「なあ、何でだよ。あいつ、まさか何かやばいことでもした?」 「……軍上層部は彼をマークしている。今こんなところで話せるような話じゃないが、とにかく奴はある人物と深く関わっているんだ。かなり危険な人物だ。さっき俺があそこにいたのも実はその一件のことで、な」 「……危険な人物、って……何だよ、それ」 じとりと額に汗が滲んだ。 どうしたんだ。 あいつ、ただ大学の教授の代わりに学会に出席して……といってた筈なのに。 しかし……。 確かに、先ほど見かけたのは……。 自分の持っている奇妙な事実の断片が、怪しげな方向へ符号していく。 「ここではこれ以上話せん。とにかく、奴とは関わるなとだけ言っておく。……それじゃあ、な。休暇の邪魔をしてすまなかったな。俺はまだ用が残っているから、もう行くが――」 イザークは席を立ちながら、ディアッカに再度厳しい視線を投げた。 「それでももし、サイ・アーガイルと接触するようなことがあれば、すぐに俺に知らせろ。わかったな!」 そう言ってじっと見つめる視線の鋭さに、相手が本当はかなり自分のことを疑っているのではないかと思い、ひやりとした。 思いがけず嘘を吐いてしまったが、本当はイザークには何も隠し事をしたくはない。 イザークに、猜疑の目を向けられるような……あいつから、そんな風に思われたくはない。 ただでさえ自分は本国を一度は裏切ったという目で見られている身なのだ。それを全て水に流し、再びザフトに迎え入れられることになったのも、イザークの尽力のお陰だ。 それが……。 去っていく銀髪の頭を見送りながら、ひそかに罪悪感に駆られる。しかしふとそのとき、何かが脳裏をよぎった。 ずきっ、と胸の奥に微かな痛みが走る。 それは、罪悪感や自己嫌悪などではない。 もっと、何か別の……。 ――隠し事、か。 ふと目線が遠くなった。 (俺は、馬鹿だな) ……そうだ。よく考えればまだあいつに話していないことが、いくつか残っていた。 彼は不意にくつくつと皮肉な笑みに肩を揺らしながら、テーブルに肘をつき、その上にがくりと頭を落とした。 頭の中がぐるぐる回っていた。 話せないこと。 まだ消えない記憶の残骸。 あのとき……。 あの男と出会い……。 焼けつくような苦い思いが甦る。 忘れていた筈なのに。 なぜ、急に。今頃になって……。 彼は苛々と頭を掻き毟った。 いろいろなことが、あった。 今も、これからも、やっぱり話すことはできないだろうが。 俺の中の、秘め事。 (……くそっ!) ディアッカは、どん、と肘でテーブルを激しく叩いた。 テーブルの上に残っていた飲みかけのカップの中の液体が漣を立てるのが目の隅に映る。 コーヒーの雫がテーブルを汚すのを眺めながら、彼は舌打ちした。 (何でこんなこと考えてんだ、俺は!) 激しく動揺している自分に、苛立った。 彼は頭を振って立ち上がった。 ――サイの奴……。 問題を元に戻す。 こうなったら、とにかく家に帰って本人に確かめるよりほかない。 もやもやする心を抱えながら、ディアッカは憂鬱な足取りでカフェを出た。 To be continued ... |