もういちど、きみを・・・ (1)





「・・・これで、買い物だなんて言ったら俺は許さんからな!!」
 背後から聞こえてくるイザークの相変わらずの不機嫌そうな口調がやけに懐かしく響き、アスランはふと唇の端を緩めた。
(相変わらずだ、イザーク・・・)
 変わっていない。
 突っかかるような口調。少しすねて突き出た唇。挑むように睨みつけてくる生き生きとしたアイスブルーの瞳。
 さっき、扉を開けた瞬間飛び込んできた懐かしい顔に、アスランは思わず心臓が止まりそうになった。
(・・・イザーク・・・?!)
(何で・・・おまえがここに・・・?!)
 こんな風に、顔を突き合わせることになるなど、思いも寄らぬことだった。
 それは、あまりに突然で・・・。
 戸惑うと同時に、何ともいえぬ歓喜の波が胸の底から湧き上がってくる。
 イザークはもちろん、ディアッカと会うのも久し振りだ。
 まるで・・・
 かつて、赤服を着てクルーゼ隊にいたあの頃に戻ったかのようで・・・。
 不思議だった。
 故郷に帰ってきたというのに・・・まるで異邦人のような気分だった。
 さっきまでのあの荒涼とした孤独感が、嘘のように消えていく。
「聞いてるのか、アスラン!!」
「ああ、聞いてるよ。そう怒鳴るなって・・・」
 アスランは苦笑しながら答えた。
「・・・ただ、ちょっと・・・ミゲルやニコルたちの墓に・・・」
 そう言うと、彼は少し言葉を途切らせた。
 後ろで二人が小さく息を呑む音が聞こえる。
 一瞬感じた再会(リユニオン)の喜びが、忽ち色を失う。
 そう・・・前と全く同じというわけにはいかないのだ。
 今、ここにいいない者たち――いやでも辛い現実と顔を突き合わさねばならない。
「・・・なかなか、来られないからな。プラントにも・・・」
「・・・アスラン・・・」
 アスランの背を見つめるイザークの瞳が揺れた。
 その手が僅かに動こうとするのを、横から別の手がすっと止めた。
 ディアッカの強い瞳が何を言おうとしているのか、イザークにはよくわかった。
(・・・やめておけ。もう、前とは違うんだ・・・)
(・・・余計な感情を呼び覚ますような真似は・・・)
 イザークは唇を噛んだ。
 そう・・・そんなことは言われなくても、わかっている。
 ――俺たちは・・・もう、2年前の・・・あの頃の俺たちじゃ、ない・・・。
 
彼は出しかけた手を引っ込めると、それ以上何も言おうとはしなかった。
 代わりに、ディアッカが前へ出た。
「・・・そうだな、じゃあ、俺たちも一緒に参っとくか!せっかくこうして会えたんだからな!」
 その陽気な口調に、アスランの瞳も少し和らいだ。
「あ、そうだ。花、買わなきゃな。・・・それくらいの買い物なら、いいんだろ?」
 からかうように言うと、イザークをちらと見る。
 しかしそのとき、イザークの様子が少しおかしいことに気付いて、彼は僅かに首を傾げた。
(・・・どうか、したのかな・・・)
 さっきまでの照れ隠しとは違う。
 伏し目がちなその表情はどことなく翳りすら感じさせる。
(・・・イザーク・・・?)
 どうしたんだ、と言うより先に、
「イザーク!」
 ディアッカがすかさず声をかけて、イザークの肩に軽く手を置いた。
「何ぼーっとしてんだよ!花、買いに行くってさ」
 イザークはハッと我に返ると、ディアッカを見た。
「・・・あっ、ああ・・・」
 彼は頷いて歩き出したが、しばらくアスランの方を見ようとはしなかった。
 そんな僅かなやり取りを見ながら、アスランはなぜか戸惑いを覚えた。
 なぜだろう・・・どこか、変だ。
 以前のイザークなら、すぐさまディアッカの手を振り払ってしまっていることだろう。
(こんな風に・・・)
 
アスランは気になって仕方ないように、歩きながらちらちらと後ろの二人に視線を送り続けた。
(・・・こんな風に、イザークがディアッカに肩を抱かれているなんて・・・)
 あまり、いい気はしなかった。
 ディアッカの手の触れ方・・・。それに対するイザークの自然すぎる反応・・・。
 ――何なんだよ、これは・・・。
 これじゃ、まるで・・・
(・・・まるで、恋人同士みたいじゃないか・・・)
 穿った見方をする自分がおかしいのかもしれないが、どうも二人の間の親密感を感じずにはおれない。
 2年間・・・。
 やはり、この2年間は、大きかったのか。
 アスランは、目を閉じた。
(俺は、何を考えてるんだ・・・)
 こんなに・・・イザークのこと、まだ気にしてる・・・。
 もう、ふっきれたはず・・・なのに・・・。
 会った途端に、もうこのざまだ・・・。
 もやもやする胸を押さえながら、彼はただ前だけを見るようにして、歩いた。
 
 
 墓地に着いたときには、既に午後の日差しが大きく傾いていた。
 オレンジ色の光に染まる無数の戦死者たちの墓石の一角に、3人は無言で佇んでいた。
 3つの墓石に一束ずつ、花を捧げる。
 ミゲル・アイマン・・・ラスティ・マッケンジー・・・そして、ニコル・アマルフィ。
 若すぎる死・・・だった。
 いずれも、その下に遺骸はない。
 戦死者の常として、骨を拾うことすら叶わなかった。その肉片は・・・どこか遠い異郷の地に埋もれてしまったままだ。
 せめて魂だけは、故郷に帰ってきただろうか・・・。
 最後にニコルの墓標の前に花束を供えたとき、アスランの手は微かに震えた。
 悔しい・・・。
 2年経った今も・・・友を失ったこの悔しさと悲しさはどうしてもこの胸から消えることはない。
 これだけの犠牲を払ったというのに・・・
 ようやく、戦争が終わったと思ったのに・・・
 また、今・・・
「・・・やはり、ザフトも動くのか」
 アスランは傍らのイザークを見た。
「・・・仕方なかろう。核まで撃たれて、それで何もしないというわけにはいかん」
 真面目な口調でイザークは答えた。
 その落ち着いた様子は、いかにも一個隊を率いる隊長らしかった。
 アスランは少し驚いたように、そんなイザークを改めて見返した。
 最初に会ったときに、どうして気付かなかったのか・・・。
 2年の歳月が、彼らを微妙に変えている。
 自分の知らないイザークが、ここにいる。
 
・・・何だか、不思議な気分だった。
 
あの痛々しい傷も消え、元の美しい顔に戻ったその端正な面は、さらに大人びた優雅さと気品をすら感じさせる。
「・・・で、貴様は?」
 そのときいきなり、イザークがアスランの方に顔を向けた。
「・・・えっ・・・?」
 不意を突かれて、アスランは返事に詰まった。
「何をやっているんだ、こんなところで?!」
 鋭く射抜くような、厳しい視線だった。
「・・・・・・」
 目を合わせていることに耐えられなくなって、アスランは思わず顔をそむけた。
 そのまま彼は、苦しげに視線を落とした。
 そんなアスランに向かって、
「オーブは、どう動く?!」
 イザークは、苛立ったようにさらに強めに問いかける。
 アスランは、すぐには返事をしなかった。
 ・・・というより、できなかったのだ。
 一瞬間を置いた後――
「・・・まだ・・・わからない・・・」
 のろのろと、彼は答えた。
 わからない。・・・自分には、何もわかってはいない。
 この2年間・・・オーブで自分は、何をしてきた・・・?
 カガリの傍で・・・彼女を支えて・・・
(彼女を愛している・・・)
(彼女を、助けたい・・・)
(守りたい・・・)
 確かに、そうだ。その思いに変わりはない。
 しかし・・・
 それだけ・・・か?
 ただ、それだけ・・・
 こんな状況下になった今、自分には何をする力もない。
 今・・・本当に、自分はここで、何をしているのだろう・・・?
 よく考えると、自分でもわからなかった。
 自分が何をしようとしているのか。
 本当は、自分が何をしたいと思っているのか。
 
(・・・おまえは何をやっているんだ、こんなところで?)
 
 ――俺・・・は・・・・
 
 そのとき――
「・・・戻って来い、アスラン」
 イザークの一言に、アスランはハッと瞳を上げた。
 思いがけない言葉だった。
 いや・・・
 本当は・・・何となく、予期していた言葉だったのかもしれない。
 何だか、妙に胸が熱くなった。
 
――ここ(プラント)に・・・戻る・・・
「・・・いろいろ事情はあるだろうが、俺が何とかしてやる。・・・だから、プラントへ戻って来い」
 イザークは少し照れたように目をそらしながら言ったが、その口調は真剣だった。
「・・・いや・・・しかし・・・」
 躊躇うアスランにも構わず、イザークは言葉を続けた。
「俺だって、こいつだって・・・本当なら、もうとっくに死んだ筈の身だ。だが・・・」
 デュランダル議長は、若くして戦場に送られて辛い経験をした自分たちだからこそ、プラントの明日のために・・・未来の平和のために何かできるはずだと・・・そう言った。
 だから・・・俺は今も、軍服を着ている。
 何ができるかはわからないが・・・
 それでも、何もしないよりはマシだから。
 プラントのためにも・・・死んでいった仲間のためにも・・・少しでも、何かできるからと・・・。
 そんな思いがあるからこそ・・・今、ここにいるんだ。
「・・・だから、おまえも、何かしろ!」
 イザークはアスランを見た。
 強い瞳。青い・・・透き通るような青い瞳が強い意志の光で輝いている。
 アスランは、眩しげに目を細めた。
 イザーク・・・?
 これは、本当に、あのイザークなのか・・・。
 何だか・・・やっぱり、おまえは少し変わったのか・・・。
 それとも、俺が忘れていただけなのか・・・。
「・・・おまえには、力がある。・・・それほどの力を・・・ただ、無駄にする気か?」
 イザークのその言葉が、アスランの胸を強く揺さぶった。
 
 アスラン・・・おまえには、力がある・・・!
 忘れたのか・・・?
 おまえには、力があるんだ・・・!!
 しっかりしろ・・・!!
 
 今まで・・・オーブにいた頃には忘れていた何か・・・。
 そんな何かに、火がつくような思いだった。
 その瞬間・・・
 アスランは、『自分』を思い出した。
 自分・・・本当の自分・・・アスラン・ザラ。
 アレックス・ディノではない。
 自分はやはり、アスラン・ザラなのだ。
 ザフト・レッドのアスラン・ザラ。
 
「・・・イザーク・・・」
 アスランは、イザークの手にそっと触れた。
 暖かい。
 あの頃のままだ。
 イザークの手がぴくっと震えるのがわかった。
 しかし、その手は動かない。
(・・・イザーク・・・)
 まだ、おまえは少しでも俺のことを思ってくれているのだろうか。
 あの頃のように・・・。
 このまま、ふと抱きしめたい衝動に駆られた。
 しかし・・・それは、今は・・・できない。
 アスランは、自制した。
 触れた手を戻そうとしたとき、急にその手が強い力で引っ張られた。
「・・・イザーク・・・?」
 目を丸くするアスランの前で、イザークは相手の手首を掴んだまま、じろりと睨みつけた。
「・・・アスラン!・・・ったく、すっかり腑抜けになりおって・・・今夜は貴様に喝を入れてやるからな!!」
「・・・え・・・こ、今夜・・・?」
「こっちはわざわざ忙しい中を呼び戻されてきたんだ!・・・当然、付き合ってもらうぞ!!いいな?!」
 荒々しく吐き出す言葉とは裏腹に、イザークの瞳がどこか優しげな光を瞬かせているように見えたのは、気のせいだったろうか。
 アスランはただ黙ってそんなイザークを見返した。
 ・・・嬉しいような、困ったような・・・複雑な気分だった。
 もはや、否定できなかった。
 オーブでは、得られなかった安らぎが・・・彼の胸をゆっくりと満たしていく。
 やはり、ここ(プラント)が自分のホーム・グラウンドだから・・・なのだろうか。
 それとも・・・
 こいつの・・・せいだろうか。
 アスランは、軽く息を吐いた。
 ――イザーク・・・おまえに会えて、俺は嬉しい。
 素直な想いが溢れた。
「・・・わかったよ。だから、そうがみがみ言うな」
 そう言うと、アスランは微笑んだ。

                                          (To be continued...)


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