もういちど、きみを・・・ (2)





「じゃあ、三人の再会を祝して、乾杯といくか!」
 ディアッカはそう言うと、威勢良くシャンパンの栓を抜いた。
 ぱんっ!……という音と共に、シャンパンが一気に泡立って外に溢れ出た。
「ほーら、飲め、飲め、アスラン!」
 ディアッカは陽気に言うと、アスランにグラスを取るよう促した。
 ディアッカの勢いに押されるように、苦笑しながらアスランはシャンパングラスを差し出した。
 ホテルの部屋の中。
 二人と会うまでは、寒々とした空間のように感じられたこの部屋が、今は見違えるような明るさと暖かさに包まれている。
(やっぱり、いいな……)
 アスランは微笑んだ。
 こんな風に、旧友に会えるということは……。
 父も母も失い、独りきりになった彼にとっては、もはやプラントには他に繋がるものもない。
 たとえ生まれ育った地とはいえ、訪ねる所もなくなれば、そこはただの異邦の地でしかない。特に今、こんな風にプラントを追われた身であれば、その疎外感はことさら強く感じられてしまう。
 デュランダル議長も粋な計らいをするものだ。
 アスランは心から彼の心遣いを有難く感じた。
 こんな風に彼らと再会できるとは……
 こんな風に、『彼』と……
 注がれたシャンパングラスを通して、アスランはグラスの先にいる薄緑のスーツを着た姿を透かし見た。
(イザーク・ジュール……)
 アスランは軽く息を吐いた。
 2年間の空白を感じさせぬほどに、アスランの心はもう既に彼の元に戻り始めている。
(ジュール隊……か)
 アスランはくすりと笑みをこぼした。
 
 ――いつか、俺が隊長になったら……
 
 よく彼が言っていた台詞。
(あのザラ隊には、だいぶ頭にきてたものな)
 念願かなってとうとう一個小隊の隊長か……。あの白い軍服を着て……。
「……何だ」

 不意に、グラスの向こうの顔が歪んだ。
「貴様……さっきから、何をじろじろ見ている」
 不機嫌そうな声に、アスランは慌ててグラスから視線をそらすと、何事もなかったようにさりげなくそれをテーブルに戻した。
「アスラン!」
 その声に振り向くと、すぐ間近にイザークが迫っていた。
「あ、いや……俺は、何も……」
 思わずアスランは身を引きながら、口ごもった。
「見てただろうが!貴様……」
 イザークが険悪な声を上げた。
「にやにやしながらな……相変わらず、人を馬鹿にした目で見やがって……言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ?」
(そっちこそ、いちいち突っかかってくるのも相変わらずじゃないか)
 そうアスランは言い返したかったが、敢えて何も言い返さなかった。
 こういう時は、静かに嵐の過ぎ去るのを待つしかないのだということは、かつての付き合いでよくわかっていた。
「どうせ、俺が隊長だなんて似合わんとか、何とか考えていたんだろうが……」
 ぶつぶつとぼやくその頬がほんのりと朱に染まっている。既に酔っ払っているようだ。
「おまえはいつもそうだった。取り澄ました顔で、いつも自分の方が上なんだって目で俺を見る……一体貴様は自分を何様だと思ってるんだ。自分は誰の下にもならない。いつも自分だけが物語の主人公だとでも思ってるのかよ、クソッ……!」
 アスランは眉をひそめた。
(確かに、アルコールは弱いクチだったけど……それにしても、今夜は酔いの回るのが早すぎるんじゃないか)
 まだ飲み始めてから、さほど時間も経っていないというのに……。
 えらく、絡んでくる。
「イザーク、あんまり飲み過ぎるなよ。帰れなくなるぞ」
 ディアッカが横からひょいと顔を出すと、イザークの肩に手を置いた。
「……ん……」
 やけに素直に頷くイザークを見て、アスランは一瞬呆気に取られた。
 ――また、だ。
 いくら酔っ払っているとはいえ――
 どこかが……かつてアスランが知っていたイザークとディアッカの関係とは違っているようだ。
(……一体、どうなってる……?)
 アスランは困惑すると同時に、軽い羨望を感じずにはいられなかった。
 自分の知らない二人の関係が、確かにそこにあった。
 自分の入れない二人だけの空間がそこに存在しているのが、肌で感じ取れるのだ。
 顔を上げたイザークの朦朧とした目つきに気付いてアスランが手を伸ばそうとした時、イザークはぽつりと呟いた。
「……でぃあっか……」
 酔っ払った呂律の回らない口調だった。
 くるっと振り返ったイザークの足元が不意に覚束なくなった。
「……みず……」
 言うなり、そのまま赤くなった顔をディアッカの胸にがくんと落とす。
「……なんか……ぐるぐる……まわる……」
 ふらふらと崩れ落ちようとする体を、ディアッカが両腕で受け止めた。
「ありゃりゃ、しまったなあ……もう、酔っ払っちまったか……」
 ディアッカは呆れたように呟きながらも、イザークを抱きかかえるようにしながらソファーまで連れて行き、その上へそっと寝かせた。
 そんな様子を横目で見ながら、アスランはぐいっと残ったシャンパンを飲み干した。
 頬が妙に熱かった。どうやら、自分も酔いが回ってきたようだ。
「何であんなに飲ますんだよ。こいつが弱いのわかってて……」
 戻ってきたディアッカを、非難を込めた目で見る。そこには軽い嫉妬の感情もあったろうか。自然に刺々しい口調になるのを抑えることができなかった。
 ディアッカは肩をすくめた。
「俺が飲ましたんじゃねーよ。あいつが、勝手に飲んじまったんだ。俺だって、いちいちこいつの一挙一動見張ってられるかよ。お守り役じゃあるまいし」
「あれ……おまえって、イザークの『騎士役』(ナイト)じゃなかったっけ?」
 揶揄するように言ったアスランの一言に、ディアッカは僅かに眉をしかめた。
「……ヘンなこと言うなよ。俺は、そんなんじゃ――」
「そうだな。おまえは今じゃイザーク隊長の副官だ……大切な右腕なんだもんな。いつも一緒にいて……」
 言いながら、次第に苛立ちが募ってくるのがわかった。
 何か、言い知れぬどろどろとした暗い感情の渦が胸の中で沸き立っているかのようだった。
「おまえさあ、何が言いたいわけ?」
 ディアッカは、アスランをいわくありげに見た。
「何って……別に……」
 アスランは一瞬言い淀んだが、すぐに気を取り直して続けた。やはり、言わずにはいられない。
「ただ、おまえたちを見てると……何か前とはずいぶん違った風だから、さ……」
「つまり、こいつと俺が『できてる』か、聞きたいってこと?」
 冗談めかしているように見えながら、実際にはディアッカの目が決して笑ってはいないということに、アスランはそのとき初めて気付いた。
「あ、いや……」
 どう答えようかと迷ったとき、
「できてるよ」
 さらりと言い放ったディアッカに、アスランは思わず目を瞠った。
「………………」
「……なんて言ったら、どうする?」
 ディアッカはにやりと笑った。
「怒って、俺を一発殴りでもするか?」
「………………」
「冗談だ、なんて言わねーよ。おまえの前で今さら取り繕ったってしゃーねえもんな。どうせ、わかってたんだろ。最初から俺とあいつ見てて……」
 ディアッカはアスランを真っ直ぐ見つめた。もうその瞳は明らかに笑ってはいなかった。
 優越感というほどのものは感じられなかったが、どことなく相手を牽制するような雰囲気はあった。
「おまえに今さらあれこれ言われることはねーよな。おまえはオーブへ行く前に全部片を付けたはずだもんな。だから、あいつだって……この2年でようやくおまえのこと、吹っ切ったはずで……わかってんだろ、そんなこと」
 ディアッカの言うことは当然のことではあったが、それでもアスランはなぜかそれを素直に認めたくない自分がどこかに存在することを意識せずにはいられなかった。
(……俺には何も言う資格はない)
 そう思いながらも、どこか胸の奥で感情が波のようにさざめく。
「……だから、さ」
 ディアッカはふと視線を落とした。陽気な彼の顔に一瞬の翳りが差す。
「おまえも、あいつのことは、もう――」
(……あいつには、もう構わないでやってくれ……)
 その先が、はっきりと読み取れた。
 痛いくらい……ディアッカの気持ちがわかった。決してアスランを責めているわけではない。そして……この2年間の間、彼自身も相当葛藤してきただろうということは想像するに難くなかった。
(俺たちの関係を、壊さないでくれ)
 ディアッカは、そう言っているのだ。
 ――ようやく、築き上げたこの関係を……。
 ――ようやく、掴んだと思った、あいつの想い……。
 そんなディアッカの心の声が聞こえてくるようで。

 2年という歳月の重みが、改めてアスランの胸を押し潰しそうになる。
 自分にはわからない。知る由もない。二人が過ごしてきた、この2年間が……。
 ――そういう……ことか。
 アスランは溜め息を吐いた。
 何も、言えなかった。
「……じゃあ、俺たち、そろそろ帰るわ。この時局だからな。また、早いとこ前線に戻らなきゃなんねーし……」
 ディアッカは目を上げると、何事もなかったかのようにアスランを見た。
 その顔には、既に旧友としての屈託のない笑顔が戻っていた。
「……イザークの言ってたこと、考えておけよ。プラントに戻るってこと、さ」
 アスランの肩を軽く叩くと、ディアッカは彼の前を通り過ぎ、ソファーに寝そべっているイザークの元へ近づいた。
「おい、帰るぞ、イザーク!……隊長!」
 ふざけたように呼びかけるが、一向に意識の戻らない相手の体に手をかけるなり、慣れた手つきで一気に抱き上げた。
「じゃあな、アスラン!いつでも俺たち、おまえを待ってるぜ」
 イザークを抱えて出て行くディアッカの姿を見送りながら、アスランはしばらく呆然とその場に突っ立っていた。
 二人がいなくなった途端、また彼の胸にどうしようもない空白が戻ってきたようだった。
 そして――
(……イザーク……)
 ディアッカに抱かれたまま出て行くイザークの姿が、目の前をちらついて離れなかった。
 ――忘れなければ……
 忘れたはずだった、想い。
 それなのに――
 気が付くと、アスランの足はいつしか二人が出て行った扉へと向かっていた。
 
 
「……ん……」
 体が揺れる。
 イザークはうっすらと瞳を開けた。
(俺は……どうしちまったんだ……?)
 自分がエレカの中にいることに気付いた瞬間、彼はハッと我に返って身を起こした。
(アスラン……?)
「………………!」
「あれ、もう気が付いた?」
 運転席から声がかかる。
「ディアッカ……」
 見慣れた金髪の頭を呆然と見つめながら、イザークはただ問いかけるように呟いた。
「……アスラン……は……?」
(目が覚めるなり、それかよ)
 忽ち、ディアッカの胸に苦々しい思いが広がった。自ずと溜め息が洩れる。
「……おまえ、酔っ払ってぶっ倒れてたからな。いつまでも、あそこにいるわけにもいかねーだろ?」
 バックミラーに映るイザークの表情を敢えて見ないようにしながら、ディアッカは淡々と説明した。
「俺たちも、明日また前線に戻んなきゃなんないんだし……」
 そのとき。
「……めろ」
 微かな声が聞こえたような気がした。
 え、と思う間もなく――
「……止めろッ!」
 いきなり大声で怒鳴ったイザークに、驚いてディアッカは振り向いた。
「止めろ……って……おまえ――」
「いいから、車を止めろ!」
 イザークの激しい語調に押されて、ディアッカは止むなくエレカを道端に停車した。
「どうしたんだよ。何怒ってんの?」
 ディアッカは宥めるように後部座席にいるイザークの方へと身を乗り出した。
「……怒ってるわけじゃない」
「怒ってんじゃんか」
 どう見ても……と、その燃えるようなぎらぎらした青い眼差しを見て、ディアッカは内心身をすくめた。
「ただ……俺は、まだあいつと、何も……」
 酔っ払って前後不覚に陥った自分が悪いのは百も承知の上だが、それでも――
(俺は、あいつに何も話すことができなかった……)
 言いたいことが、たくさんあった。
 言っておかねばならないことが……。
 いや、しかし、何を……?
 ふと、イザークは思いを途切らせた。
 そうだ。何を言うことができただろう。
 自分がまだおまえのことを思っているとでも……そんな未練たらしい言葉の一つでも言いたかったというのか、俺は……?
 そう思うと、急にイザークは自分が何にこだわっているのかわからなくなった。
 なぜ、こんな風に車を止めさせたのか。俺は何がしたいのだ。
 奴の元に戻りたい……のか。
 戻って、もう一度、あいつの顔が見たい……ただ、それだけなのか。
 そんなことをしても、仕方がないのに。
 2年という歳月が戻ってくるわけでもないのに。
 それでも、俺は……?
 
 
「いい加減にしろよ、イザーク」
 不意にディアッカはそう言うと、イザークの肩を掴んだ。爪が喰い込むような強い力に、イザークはびくっと身を震わせた。
「いつまであいつにこだわってる?もう、あいつのことをそんな風に考えるのはよせ!あいつだって、もう別の道を歩き出しているんだ」
「なっ、何だよ!俺は何もそんなこと……ッ!」
「言ってるさ。あいつのところへ引き返したいんだろ、おまえ。――帰って、何をするつもりだ?せめて今夜一晩、あいつと一緒に過ごしたいってか?」
「ディアッカ!」
 ディアッカの侮蔑の交じった言葉に、イザークはかっとなった。
 しかし、怒って睨みつけるイザークの顔をディアッカはすかさず掴み上げ、撫でるようにその頬に唇を這わせた。
「……あ……んッ……!」
 思わず声を上げようとするイザークの唇に相手の唇が重なる。
 そのまま自分の上に乗りかかってこようとするディアッカの体から、イザークは必死で身を捩った。
「よせ、ディアッカ。こんな場所で……ッ……」
 顔を背け、迫ってくる相手の顔を手で押し返しながら、彼は抵抗の意を示した。
「……それに、今はそんな気分じゃない……」
「ふうん、やっぱ、今はアスランとしか、する気ないってか?」
 ディアッカが意地悪げに言うのを、イザークは半分潤んだ瞳でなおも睨みつける。
「……そういうんじゃない!何度言えば、わかる……?」
(クソッ、クソッ、クソッ……!ディアッカの馬鹿野郎……!)
 もどかしくて、どうにもならないこの思いを何と説明すればよいのか……?
 情けなくて、これ以上口を開けば涙がこぼれそうだった。
 そんなイザークの切なげな顔を見て、ディアッカはふと後悔の念に駆られた。
(また、虐めちまったか……)
 ――俺って、こんなに意地悪な人間だったか……?
 イザークの気持ちがわかっていて、わざとこんなことをしてしまう。……ひどい自己嫌悪感が胸を覆った。
 ――と、そのとき。
 コンコン。
 軽く車の窓を叩く音がした。
 ディアッカが不審げに顔を上げたと同時に、運転席のドアが無造作に開いた。
「ディアッカ!イザーク!……おまえら、何してる?」
 アスラン・ザラが驚いた顔を覗き込ませた。
 しかしディアッカに押さえつけられているイザークの姿を見た瞬間、その顔色がさっと変わった。
「ディアッカ、おまえ!」
 ディアッカの体を後ろから掴んで、イザークから引き離す。
「何のつもりだ、こんなところで……!」
 ディアッカと顔を突き合わせた瞬間に、強い口調で詰問した。
「いや、その……見たまんま……かな……」
 ディアッカは事も無げに言うと、間が悪そうにアスランを見た。
「おまえこそ、何だよ。追っかけてきたのか?」
「……ああ。ホテルからエア・タクシー飛ばしてきた」
 アスランも言うと、罰が悪そうに僅かに目を伏せた。
「……ったく……」
(何だよ、これじゃあ、俺、すっかり悪役じゃんか……)
 自分の役割が道化のように思えてきて、ディアッカは苦笑せずにはいられなかった。
 それとなくアスランからそれた視線が、たった今、離されたばかりのイザークの方に向かう。
 その顔を見た瞬間……ディアッカは思わず息を呑んだ。
(イザーク……?)
 イザークの瞳は、ディアッカを通り抜けて、一心にアスラン・ザラを見つめていた。青い瞳の奥に閃く輝きを見て、ディアッカは目を細めた。
 ――何て瞳(め)だ……
 そのとき、彼は自分がアスランに敗北したことを実感せずにはいられなかった。
 何も言われずとも、わかる。
 この青く輝く薄氷の瞳が全てを語っていた。
「アスラン……ひでーな、おまえって奴は……」
 ディアッカは呟くように言うと、まだ襟を引き掴んだままのアスランの手を軽く打ち払った。
「……ディアッカ……」
 アスランは、ディアッカの目に表れた悲しみと切なさの入り混じった表情を見てとって、一瞬胸を衝かれた。
 ディアッカの思いが……痛いくらい、伝わってくる。
 しかし……
 自分の思いも、また……どうにも止められなくて……。
 そんなアスランを見ながら、ディアッカは静かに目を閉じた。自らの思いを振り払うかのように、小さく息を吐く。
 一呼吸置いた後、彼は再び目を開けた。
 イザークに向けて、からかうような目を向ける。
「おい、さっさと行けよ、イザーク。俺の気の変わんねーうちにさ」
 ディアッカは笑った。せりあがってくるような苦い思いを一気に飲み込むと、彼はわざとさりげなく付け加えた。
「――明日の朝、ホテルへ迎えに行ってやるから」

                                          (To be continued...)


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