もういちど、きみを・・・ (3) エレカから降りたイザークが最後に振り返ったとき、ディアッカは既にハンドルを握り、エレカを始動させようとしているところだった。 もはや彼はこちらの方を一顧だにしようとはしない。 ――明日の朝、迎えに行くから…… 何の感情も見せずに、さらりと言い放たれた言葉が、まだイザークの耳に切ない響きを残している。 自分がディアッカに対していかに残酷なことをしているのかが彼にはよくわかっていた。 今この瞬間、ディアッカがどんなに傷ついているかということも……。 わかっていて、それでも彼の元に戻ることはできない、そんな自分を厭わしいとさえ思った。 ――俺は、ひどいことをしている……。 イザークは小さく溜め息を吐いた。 「……イザーク」 目を上げると、アスランがすぐ傍から覗き込んでいた。 翡翠の双眸が優しく瞬いた。 「アス……ラン……」 イザークは躊躇った。 このまま、行ってしまっていいのか。 本当に……? 動き出そうとするエレカを視野の隅に捉えながら、彼はもう一度振り返ろうとした。 そんな彼の動きを止めるかのように―― 優しく、それでいて有無を言わさず制止するだけの強さを込めた手が、すかさずイザークの肩を掴んだ。 「行こうか」 アスランが促すと、イザークはもうそれ以上何もできなくなった。 走り出したエレカの姿が見る見る小さくなっていくのをイザークは呆然とした面持ちで眺めていた。 頬に触れる風の冷たさが急に身に沁みる。 (……ディアッカ……) 彼は微妙に揺れる心を抑えたまま、アスランについて、止まっているエアタクシーまで歩いた。 ――ホテルに着き、部屋に入った瞬間、イザークはふとその足を止めた。 (……俺は……何をしようとしている……?) ――アスランとなら、したい気分ってか……? ディアッカの皮肉めいた声が生々しく甦ってくる。 ――アスランとなら…… イザークの胸に急に不安の影が差した。 本当に、いいのか。 本当に、これで……。 このまま、一夜が明ければ……全ては2年前に逆戻りしてしまうだろう。 アスランの肌に自分の肌を重ね……彼ともう一度繋がってしまえば……本当に、もう彼から離れられなくなってしまうのではないか。 そう思うと、怖かった。 こんなにも、アスランを求めている自分。 しかし同時にその一方で、何かが壊れていくことを、こんなにも恐れているもう一人の自分がいる。 何か。この2年間で培ってきた大切な『何か』が……。 このまま、壊してしまっていいのか。 今からでも、まだ間に合うのではないだろうか。 (ディアッカ……) 先に入ったアスランが不審気に振り返る。 「……イザーク……?」 「――アスラン……俺は……」 ――やはり…… イザークの足が踵を返そうとするのを素早く見てとったアスランの体が先に反応した。 「イザーク!」 いきなりアスランに背後から抱きすくめられ、イザークは思わず声を上げた。 「……アスラン!」 心臓の鼓動が一気に高まる。 ――アス……ラ……ン……ッ! アスランの体の柔らかな感触とそのぬくもりが、直に伝わってくる。 懐かしい感触だった。 ずっと、彼が求めていたもの。 「――放さない」 アスランの声が耳元で囁く。 「……逃げるっていうなら、縛りつけてでも……俺の傍に置いておくから」 今夜は…… 今夜だけは…… しかし、そんなことを何度繰り返してきたことだろう。 そう思うとアスランは自嘲せずにはいられなかった。 今夜だけ…… そう言いながら、結局俺はこいつから離れられない。 俺はおまえを見れば、どうしてもこの手に抱かずにはいられなくなってしまうんだ。 ――ベッドに縛りつけて、おまえを強引に抱いてしまうこともできる。 「……でも、俺はそんなこと、したくないから……」 おまえにひどいこと、したくない。 いつかのような、あんなことは、もう―― イザークは息を吐いた。 アスランについてきたのは、結局自分の意志だ。ここでいやだ、何をすると騒いでも自業自得だろう。 アスランのせいではない。自分自身が望んだことなのだから――。 そう頭の中ではわかっていながら、それでもイザークは、アスランに恨み言の一つも言わずにはいられなくなる。 「……おまえは、ずるい」 アスランに身をもたせかけながら、抵抗もせず、ただ彼は黙って目を閉じた。 「俺に忘れろと言ったくせに……もう、おまえには他に大切な誰かがいる。だから、俺たちはこれで終わりにするんだ、などと……2年前、おまえはそう言って俺の前から去っていったくせに……それなのに、こんな風に突然姿を現して、強引に俺を抱こうとする……」 ――俺……は…… イザークは困惑を隠せなかった。 おまえに、抱かれたいのか……そうでないのか……本当は俺自身にもよくわからない。 抱かれたって……構わない。 しかし、それでも…… おまえの、本当の気持ちは――。 「……おまえは、俺のことを……どう思っている」 ただ、衝動と欲望で俺を抱きたいだけなのか。 それとも、俺のことを少しでもまだ…… オーブの姫と比べろとは言わない。だが―― それでも、俺は…… ――くそっ、それでもやっぱり俺は、おまえの俺への気持ちを確かめずにはいられない。 「……好き――なのか……」 その言葉を口に出した瞬間、イザークの頬はかっと熱くなった。 プライドの高い彼にとって、自分から相手に向けて直接そのような問いを投げかけるには、大変な努力を要したことだろう。 アスランは僅かに目を瞠った。 イザークの口から今、そのような言葉が飛び出すとは、予想していなかったのだ。 「イザーク……」 アスランは一瞬、口ごもった。 胸が、熱くなった。 2年間……忘れたはずの思いが堰を切ったように溢れ出してくる。 忘れようとした。 でも、できなかったのだ。 それを認めるのが怖かった。しかし……今、はっきりとわかる。 イザーク――おまえのことを本当に忘れ去ったことなど、一時たりともなかったのだということを。 彼女と一緒にいるときでさえも……。 常に俺の中のどこかに、おまえの存在があった。 こうして今おまえに会った途端に、もうこの気持ちを抑え切れなくなってしまっている。 こんなおまえへの気持ちを、これ以上言葉にどう表現すればいいというのか……。 ――俺のこと、好きなのか……? (……そんなこと、きまってる……) おまえのことを、好きでなければ……今、こんな風にここでおまえを抱いていない。 「……好き――だよ」 アスランは、静かに答えた。 「……好きだ……」 今、抱いているこの体の確かなぬくもりが、たまらなくいとしかった。 彼は相手を抱く腕に込める力をさらに強めた。 何でだろう……。 何で、俺はこんなにおまえのこと、好きなのかな……。 「……無理強いはしたくない……」 アスランの手がイザークの頬に触れた。 顎を掴み、相手の顔をそのまま自分の方へ向けさせた。 「……でも、どこまで自制がきくか、自信がない……」 アイス・ブルーの瞳をまともに見つめながら、そっと頬にくちづける。 「今さら、何を……」 イザークはふっと目を細めた。 アスランの唇が頬を舐めるその感触に、自然に体が熱く感応していくのがわかる。 「貴様には元々、自制心なんてなかろうが……」 皮肉を込めて言ったつもりが、なぜか震える唇を抑えることができない。 「……この、変態野郎が……ッ――」 と、その先は続かなかった。――遠慮なく侵入してきた相手の舌先に、すかさず邪魔されて。 ひとしきり舌を絡ませ合った後、アスランはあっさりと唇を離した。 「続きは……場所を変えた方がいいだろ?」 からかうように言うと、イザークは少し拗ねたように顔をそむけた。 「当たり前……だろう。こんな所で、できるか……あッ……」 そのとき、いきなりふわりと体が浮き上がって、イザークは驚きの声を上げた。 アスランが抱き上げたのだ。 イザークは忽ち、かっと頬を火照らせた。 「……きっ、貴様っ……いきなり、何をッ……!」 あまりに驚いて動転したためか、声が妙に裏返っている。 「お、下ろせ、馬鹿ッ……!」 必死にわめくイザークを横目で見ながら、アスランはくすりと悪戯っぽい笑みをこぼした。 「相変わらずだな、イザークは」 ――相変わらず、初心な女の子みたいな反応をする。 (そういうところ、やっぱり変わってないんだ……) アスランの胸は激しく高鳴った。 ……以前と同じだ。2年前と、何も変わっていない。 自分のよく知っているあのイザークが、ここにいる。 変わっていないとわかったことが、こんなにも嬉しい。 ディアッカと3人でいたときに感じた僅かな違和感。それが今はきれいになくなっていた。 「大丈夫だよ。誰も見てないから」 アスランはからかうように、そっと囁いた。 ジュール隊の隊長が、オーブ代表のボディーガードに女の子のように抱き上げられている姿を見る者など、ここにはいないのだから。 「馬鹿、そういう問題じゃ――」 そう言いかけたイザークだったが、アスランの目と視線を合わせた瞬間、なぜかそれ以上抗う気になれなくなった。 不意に彼は口を噤んだ。 すぐ傍にある翡翠の深い緑の色が全身に痛いほど染み込んでくる。 ――好きだ……! その瞳の奥から直に伝わってくる、情熱のこもった自分へのそのあまりにも激しい思い。 ――アス……ラン…… 瞳の強さに圧倒され―― 不意に全身の力が抜け落ちていくかのようだった。 (……アスラン……!) 胸の内で呟くその名が、見る見る己の中でかつてのあの狂おしいほどに恍惚とした感情を呼び覚ましていくのがわかった。 ――再び、自分はアスラン・ザラに捉えられた……。 震える瞳を逸らすこともできぬまま、彼は相手を見つめながら、そんな風に感じていた。 今夜は、このまま彼の腕の中で過ごすことになるだろう。 彼と肌を合わせて……かつて過ごした夜と同じように……。 ――今夜は、放さない。 さっきのアスランの言葉がまだ、頭の中でこだましていた。 もはや、何も考えられなかった。 激しく全身を打ち貫いていく、心臓の鼓動だけを感じ―― 溢れるような熱い思いに身を滾らせながら、イザークはそっと目を閉じた。 暖かい相手の体のぬくもりに、ただ身を任せる。 (そうだ……) ――俺を放すな。アスラン…… (To be continued...) |