もういちど、きみを・・・ (6) 「はあ?……『いない』……?」 ディアッカは呆気に取られたように、まじまじと相手を見返した。 「『いない』って……どういうことだよ、おい?」 フロントデスクに肘をつき、身を乗り出すようにして問い返す。 デスククラークは困惑気味に視線を落とした。 「……それが……お連れ様の具合が良くないということで、病院を手配させて頂いたのですが――」 「……病院?誰の具合が悪くなったって?」 何のことかわからない。 イザークか?アスランか? 誰が、誰を病院へ連れて行った? 大体、何でそういうことに……? まさか、ベッドの中で発作でも起こしたってわけでもあるまい。 しかし、ディアッカはくだらない想像をすぐに振り払った。 ――そんなわけ、ねーだろうが! その間にもクラークがおどおどと説明を続けている方に、慌てて注意を向ける。 「……それで、ですね。えらくぐったりとされているご様子でしたので、こちらも慌てて車椅子をご用意し、エレカを――」 「だから、どっちが!」 くどくどと話すクラークに痺れをきらして、ディアッカが途中で遮った。 その語気の強さにクラークは一瞬たじろいだが、 「……はあ……ええ、その……銀髪のお客様の方だったかと――」 聞いた瞬間、ディアッカは、息を吐いた。やはりな、と思うと同時に目の前の脳天気な男に対して沸々と怒りが湧き上がった。 いかにも怪しげな話だった。聞いただけで、おかしいなと思うのに……様子を見たときに変だと思わなかったのだろうか、と半分以上呆れた。 相手は他国人で、しかもオーブの要人だ。ホテルから簡単に外へ出すなと通達がまわってなかったのか。いや、その指示はあった筈だ。でなければ、自分たちが(議長の配慮で、たとえ名目だけであったとはいえ)こんな風に呼び出されてここまで来た意味がない。 大体何だ。病院なら、ホテルが責任を持って連れて行きゃいい話だろう。それを何の疑いもなく、こいつらは……それもご丁寧にエレカまで貸し出して……。 ディアッカはさらにクラークを追求した。 「で、あんたらは、病院に照会したのかよ」 「は……?」 「……だから!ほんとに病院へ行ったのか、ちゃんと確認!……それもしてねーのか?」 クラークはますます困ったように身を縮めた。 「あ、いえ。それは、まだ――」 (おいおい、冗談じゃねーぞ!) ディアッカは再び呆れた。 この無防備なホテルの対応は、どうだ。よくもこんなホテルに他国の要人を泊めているものだ。しかも、これからまた時局がどう動くかわからない、こんな切迫した時期に。 「すぐに連絡を取ってくれ!オーブの要人がどこにいるか所在がはっきりしないようでは、困る!」 そう怒鳴るように言うと、クラークは慌てて頭を下げ、電話に飛びついた。 男が電話をしている間、ディアッカは落ち着かない気分で待っていた。 結果は聞かずともわかっていた。 病院へなど、行っているわけがない。 しかし、それならどこへ……? (まさか……) ディアッカは拳を握り締めた。 ――アスランとイザークが二人一緒に『駆け落ち』でもしたっていうのかよ? そんな…… 馬鹿なこと――と言いたいが、そう言い切れない自分にどきりとした。 そう……あり得ぬことではない。 アスランとイザーク。あの二人の関係を考えれば。 (アスランの奴……!) ディアッカは歯がみした。 イザークも、イザークだ。 心配……というより、腹が立って仕方なかった。 それでは、自分のしたことが見事に裏目に出たというわけだ。 ――自分はあのとき、やはりイザークを放してはいけなかった……! ディアッカは、今さらながら後悔した。 ただ、あのときのイザークの気持ちを大切にしたかっただけなのに。 アスランに対するイザークの思いが、痛いほどわかったから。 ――おまえが、そうしたいというなら……。 一晩だけだ。 次の日になれば、また全ては日常に戻る。 イザークはまた自分のところに帰ってくるのだから。 そう自分に言い聞かせ、苦渋を呑んで、敢えてイザークの手を放した。 アスランのところへ行け、と。 なのに、それが……。 (一晩じゃ、足りねえのかよ!まだイザークを独り占めしようってか?……ったく、どういう神経してんだよ!アスラン、てめーって奴は……!) アスランへの怒りの裏には、イザークへの苛立ちも潜んでいた。 裏切られたような、苦い思いが……。 イザーク、大体おまえがいつまでもあんな奴に未練を残しているから……。 「……あの……病院にはそのような患者は来ていないと……」 青ざめたクラークが戻ってきて、おずおずとそう報告したとき、 「だろうな!」 ディアッカは皮肉たっぷりにそう返すと、ぷいと顔をそむけ、フロントデスクから離れた。 ――とにかく、連絡を取ってみるか。 こんな状況下で簡単に連絡がつくかどうか疑問に思いながらも、取り敢えず尻ポケットから携帯を取り出した。 「……………」 ぼんやりと天井を眺めていたイザークは不意に意識を戻した。 あの音は……? 携帯の着信音。 夢ではない。現実だ。 痛む手首に顔をしかめながら、ゆっくりと身を起こす。 両手首にはもうあの金属輪は嵌っていなかったが、代わりに白い包帯が巻かれていた。 忽ち苦い思いが胸に満ちた。 ――拘束されたとわかった瞬間、彼は激しいパニックに陥った。 暴れる彼の体を抑えつけながら、アスランは容赦なく彼の内部に侵入した。 ――痛い、痛い、痛い……ッ……! 下半身が悲鳴を上げ、再び自分が無理に犯されているのだという屈辱的な感覚がイザークの全身を引き裂いた。 体が拒んでいるのか、受け容れているのか自分でもよくわからなかった。 ただ、辛かった。 痛みと悔しさで、涙が止まらない。 (……いや……だ……っ……!) 助けを求める声が、喉下を掠めた。 こんなセックスはいやだ。 こんな、一方的で、酷い……。 何でなんだよ、アスラン……。 何でおまえはいつも、こんな風に俺を束縛しようとする……? 泣きながらも、相手に突き入れられて思わず喘ぐその声が我ながらひどく淫猥に聞こえて嫌悪感が募った。 体はこんなに反応している。止まらない。 しかしその一方で、心は相変わらず悲鳴を上げ続けていた。 アスラン、どうして俺の声が聞こえない……? 情けないと感じながらも、イザークは本能に突き動かされる獣のように相手に向かってただ足を開き続けるしかなかった。 ……そんな酷いセックスを何度も強要された後――脱力した彼の体から、不意にアスランの体が離れた。 かちり。と、頭上で手錠が外れる音がした。 手首を撫でられると、肌に鋭い痛みが走った。 「あんなに暴れるから……」 アスランの呟く声が聞こえた。 「ひどいな。血が出てる」 相手の吐く吐息が肌に感じられた。 ――誰のせいだと思ってる……? しかし、イザークにはもはや相手を睨みつけるだけの気力も残っていなかった。彼は疲労と痛みの中にいつしか意識を深く沈めていった。 それから、再び――どれくらいの時間が経過したものか。 ますます時間感覚が鈍ってくるようだった。 気付いたときには、アスランは既に傍にいなかった。 窓から薄日が差し込み、既に夜が明けているらしいことがわかった。 しかし、自分がこの狭い部屋に一人きりで寝かされているとわかっても、彼は敢えて体を動かす気にはなれなかった。 窓を開け、外を見回して、ここがどこなのか調べるだけの気力もない。 どうせ扉は施錠されているのだろうが、それを確認するのも何だか怖かった。 自分が閉じ込められているのだとは思いたくなかった。 そんな風に思っていると、体も心も余計に重くなってくる。 彼はそのままの姿勢で、ただぼんやりと天井を見つめていた。 そこへ……不意に聞こえてきた、この携帯の聞き慣れた着信音。 (……ディアッカ……?) ディアッカか……? イザークは転げ落ちるようにベッドから飛び出した。 窓辺に置かれた椅子の上に、見慣れた自分のジャケットがかけてあるのが目に入った。そのポケットの中に、確か連絡用の携帯が入っていた筈だ。 起き上がろうとしても、足がもつれて上手く動かない。 下半身に走る鈍い痛みに、彼は呻きながら床を這った。 そんな風にもたついているうちに、いったん着信音は途切れた。が、数秒間を置いて、再び鳴り始める。 イザークは何とかそこまでたどり着くと、ジャケットから携帯を取り出した。 途端に着信音が大きくなり、部屋いっぱいに鳴り響く。 震える指で通話ボタンを押した。 『……イザーク?』 耳の向こうから懐かしい声が呼びかける。 その声を聞いた瞬間、胸が詰まった。 イザークは口を開こうとしたが、なぜか声が出てこない。何か言えば、忽ち涙が溢れ出てきそうだった。彼は唇を噛んだ。 『イザーク……だよな?』 応答がないことに不安になったのか、電話の向こうの声がやや声を潜めて繰り返す。 ああ、そうだ――といつものように自然に返答したかったが、言葉が喉下でつかえて出てこない。 イザークは目を閉じた。 (馬鹿、しっかりしろ!) 必死で抑えようとしても、なぜかこぼれ落ちていく涙をどうしても止めることができなかった。 『おい、イザーク!おまえ、今どこにいるんだよ!』 我慢しきれずに、ディアッカが強い調子で問いかけてきた。いつものディアッカらしくない、険しさが感じられた。しかし、それも状況を考えれば無理もないことだった。 『あれから何回連絡したと思ってる?丸一日連絡なしで……マジで心配したぞ。アスランもそこにいるのか』 「ディ……アッカ……」 ようやく返した声は、不自然なほど鼻にかかって掠れていた。 イザークは声を出したことを後悔した。 (駄目だ、変だと思われる――) 案の定、相手は一瞬黙った。 『……おい、おまえ……大丈夫――か……?』 相手の声のトーンが少し下がった。 『とにかく、今どこにいるのか、言えよ。すぐに迎えに行くから』 労わるような、優しさが滲む語調。いつものディアッカだった。 (……ディアッカ……早く来てくれ……) 思わず出かかった言葉を飲み込んで、イザークは口を閉じた。 「いや……いい」 本当はここがどこかすらわかっていないのだ、とは言い出せず、イザークは声を抑えながら必死で取り繕うように答えた。 「……俺は……大丈夫だから……」 それが嘘だと自覚しながら、イザークは敢えて平気な口調で付け足した。 再び、妙な間があいた。 ディアッカの躊躇いが伝わってくるかのようだった。 イザークの言葉に含まれた嘘の響きをたぶん、彼は察知しているだろう。しかし、それをどう受け取ればよいものか、彼は逡巡しているに違いない。 『……アスランは……どうしたんだよ……?そこにいないのか』 「……すまん、ディアッカ。その……俺が……誘ったんだ、奴を……」 電話の向こうのディアッカがどんな気持ちで自分の言葉をとらえるかと思うと少し胸が痛んだが、止むを得なかった。 アスランが自分をこのように『拉致』同然に連れ出した、などとはとても言えなかった。 自分自身のプライドもあるが、ついついアスランのことを考えてしまう。 そんな自分はやはり、甘いのか。どんなことをされても、どんな状況になろうとも……結局、自分はやはりアスランのことを……。 『……イザーク、おまえ……』 「俺が……連れ出したんだ、奴を……」 (もう少し、一緒にいたくて……) それは、正直な気持ちでもあった。 「だから、もう少し……俺たちをこのままにしておいてくれないか。必ず、戻るから……」 受話器の向こうからは、何も返ってこなかった。 ただ、微かな溜め息の音が聞こえたような気がした。 長く感じられた沈黙の瞬間が過ぎ―― 『……わかった』 その一言とともに、通話は突然切れた。 イザークは呆然と、流れる無機質な回線音を聞いていた。 (ディアッカ……!) イザークは激しい後悔の念に苛まれた。 (……俺は、何でこんなこと……?) 自分で自分のやっていることがわからなかった。 本当は、大丈夫なんかじゃない。 俺は今、こんなにも怖くて不安で、どうしようもないくらい弱い存在になっていて……。 声を聞いた瞬間、奴に傍にいてもらいたい……今すぐここへ俺を助けに来て欲しい……そう思った――はずなのに……。 なのに、あんなことを言ってしまった。 俺は、なぜ……。 「……知らない間に、ずいぶん嘘が上手くなったんだな、イザークは」 背後から不意に声が聞こえて、イザークは驚いて振り返った。 いつのまに入ってきたのか、すぐ後ろにアスランが立っていた。 「アス……ラン……!」 思わず携帯を取り落としたイザークの愕然とした表情を見て、アスランはふっと唇の端を緩めた。苦い笑みが口元に広がった。 「ひどいな。そんなに怖いもの見るみたいな目で見るなよ。何もしないから」 「………………」 「でも、俺のこと、何も言わないでいてくれたんだな。逃げ出したかったんじゃ、なかったのか。てっきり、助けを呼ぶかと思ったのに……」 アスランはそう言うと、上から屈み込み、イザークの髪を撫でた。 濡れた頬に触れると、指先が一瞬止まった。 「――泣いてたのか?」 アスランは目を細めた。 湿った指先から、相手の痛みが伝わってくるかのようだった。 この涙は、何の涙なのか。……考えたくないことが次々に頭に浮かぶ。 こんな風に、泣かせたくないのに。何で、いつもこんな顔にさせてしまうのか、俺は……。 アスランの胸を一瞬複雑な思いが去来した。 「うっ、うるさい!」 イザークはかっとなってアスランの指を顔から振り払った。涙の筋をつけた頬が、羞恥で僅かに朱に染まっていた。 「勘違いするな!俺は……」 言いながら、怒ったように相手を睨み上げる。 「それに、俺は何も、おまえに監禁されてるわけじゃない!」 そうだ。俺は自分の意志で、ここに……。 イザークは敢えてそう思い込もうとした。 ここにいるのは、俺自身の意志なんだ。だから、ここに留まるのも、出て行くのも、俺は自由なんだ。何で助けなんか呼ぶ必要がある? 「俺だって、おまえを監禁してるわけじゃない」 アスランは囁くように言うと、払われた手を再びイザークの肩にまわし、首筋にそっとくちづけを落とした。 「でも、今はまだ、放したくない……」 もう少し、おまえと一緒にいたい。 ただ、それだけなんだ。 だから、もしおまえが逃げようとしたら、俺は……。 理性では説明できない。感情が高ぶってしまうと、もう何も考えられなくなる。イザーク。おまえのこと以外は、何も……。 爪の喰い込むような感覚にイザークはびくっと身を震わせた。 「……だからといって、いつまでもこんなこと、してられないだろう」 いつかは別れなければならないのだから。 ずっと……永遠に一緒にいることなど、できはしない。 「わかってるさ、そんなことは」 アスランはそう言うと、不意に手を離した。 「それはそうと――腹、減ったろ?おまえ、あれから何も食べてないから」 そう言われれば……さっきのディアッカの話から推測するに、あの朝食のときから丸一日が経過しているらしい。急に空腹感が満ちてきた。 「そのままの姿でいてくれても俺は構わないけど、食事のときくらいはちゃんと服着ててもいいんじゃないか」 アスランの目に不思議な光が閃き、彼はからかうようにイザークを見た。 「食事しながら、セックスしたいわけじゃないだろう?」 自分の裸体を改めて眺める相手の視線を受けて、イザークは忽ち羞恥に頬を火照らせた。 「バッ、バカッ!当たり前だッ……そんなこと……ッ!」 「じゃあ、シャワールームに着替え、置いといたから。シャワー浴びたら、隣の部屋へ来いよ」 それだけ言うと、ここがどういう場所なのか、何がどうなっているのかまだちゃんと説明もしないまま、アスランはさっさと部屋を出て行った。 それを見送りながら、イザークは複雑な思いを巡らせた。 (いつまでも、このままではいられない……) (永遠に、ずっと一緒にいるなんて……) (そんなことは、不可能だ……) (時が止まりでもしない限り……) ――アスラン……おまえには、それが本当にわかっているのか。 そして、俺自身は……。 (To be continued...) |